カテゴリ:名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

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  • 雨の苧ヶ瀬池を訪ねる<3> ---八大龍王編

    「雨の苧ヶ瀬池を訪ねる」シリーズ第3回。八大龍王編をお送りします。 雨の苧ヶ瀬池を訪ねる<1> 雨の苧ヶ瀬池を訪ねる<2> ---神明神社編 苧ヶ瀬池(地図)の西側を北上すると最初にあるのが八大龍王本殿で、神明神社を過ぎてすぐ右手に八大龍王総本殿というのがある。更にその北、苧ヶ瀬池北端には八大白龍大神というものがある。行く前はこれらの関係性がまったく分からなかった。帰ってきて少し調べたけど、やっぱりよく...

    2019/10/29

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 雨の苧ヶ瀬池を訪ねる<2> ---神明神社編

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    2019/10/28

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 雨の苧ヶ瀬池を訪ねる<1>

     岐阜県各務原市にある苧ヶ瀬池(おがせいけ/地図)は非常に古い池とされる。 東の愛宕山(268.5メートル)と西の各務山(170メートル)に挟まれた谷間にあり、4キロほど南を木曽川が流れている。 奈良時代前期に一晩でできたという伝承を持ち、竜神や竜宮城の伝説が彩る池だ。 かつて人を殺す竜女がこの地にいて、江戸時代後期に尾張の福富新蔵の矢に射られて傷を負い、山に逃げ込んで心を入れ替えたという話が伝わっている。...

    2019/10/25

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

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     愛知県一宮市の今伊勢地区は古墳が多いところで、総称して今伊勢古墳群と呼ばれている。 19基が知られており、9基が現存するとされる。 その主墳とされるのが以前紹介した車塚古墳だ。 一宮市今伊勢目久井にある車塚古墳を訪ねる 浅井古墳群はもっと多く、全部で50基以上あるという。 しかし、一宮の歴史からするともっと多くの古墳があったに違いない。気づかないうちに壊されたか、まだ見つかっていないだけで、100基以上...

    2019/05/03

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雨の苧ヶ瀬池を訪ねる<3> ---八大龍王編

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
苧ヶ瀬池

「雨の苧ヶ瀬池を訪ねる」シリーズ第3回。八大龍王編をお送りします。

 雨の苧ヶ瀬池を訪ねる<1>
 雨の苧ヶ瀬池を訪ねる<2> ---神明神社編



苧ヶ瀬池八大龍王総本殿

 苧ヶ瀬池(地図)の西側を北上すると最初にあるのが八大龍王本殿で、神明神社を過ぎてすぐ右手に八大龍王総本殿というのがある。更にその北、苧ヶ瀬池北端には八大白龍大神というものがある。行く前はこれらの関係性がまったく分からなかった。帰ってきて少し調べたけど、やっぱりよく分からない。無関係ではないのだろうけど。



苧ヶ瀬池八大龍王総本殿全景

 八大龍王というのは、釈迦が霊鷲山で法華経の説教をしたときに集まった八部衆(天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽)のうち、難陀・跋難陀・娑伽羅・和脩吉・徳叉迦・阿那婆達多・摩那斯・優鉢羅のことをいう。法華経の守護神で、天台宗や日蓮宗が信仰の対象とした。
 南にある八大龍王本殿とこの八大龍王総本殿の関係はどうなっているのか。
 本殿といいつつ鳥居はないので仏系だと思うのだけど、何とも言えない。
 拝殿のような建物越しに苧ヶ瀬池に浮かぶお堂が見える。その堂に八大龍王が祀られているようだ。
 隣の建物は社務所というのか寺務所というのか、御守りのようなものを売っている。



苧ヶ瀬池八大龍王総本殿拝殿

 額の様子や榊を供えているところなど、神社っぽくもある。



苧ヶ瀬池八大龍王お堂

 社といえば社だけど、屋根の造りは微妙なところだ。



八大白龍大神

 こちらは鳥居があるから神社ということになるのだろう。
 八大白龍大神とある。



八大白龍大神拝殿

 神社なのか、そうではないのか。
 神仏習合しているといえばそうともいえる。



八大白龍大神拝殿

 この地方で悪いことをしていた白い大蛇が八大龍王にこらしめられて改心し、修行を積んで大神となり、八大白龍大神として祀られるようになったのだとか。
 石碑に書かれた縁起には、もともとは人だったのか、八大龍王が信者の広田氏を通じて近くに呼び寄せ、修行して神として祀られるようになったみたいなことが書かれている。前半が生い茂った葉で読めない。



薬王院全景

 八大白龍大神から道一本隔てて北に薬王院がある。かなり立派な寺だ。
 ここでも八大龍王を祀っているらしい。
 臨済宗妙心寺派の寺で、2キロほど東にある大安寺(地図)の末寺だそうだ。
 時間がなくて参れなかった。



薬王院正面

 苧ヶ瀬池の東岸には苧ヶ瀬神社があるのだけど、そちらは寄れなかった。
 他にも池周辺には多くの寺社があるから、車ならそういった寺社を半日くらいかけて巡っても楽しそうだ。
 鉄道と歩きの私は、このあと村国神社に向かった。

 つづく。
 
 

雨の苧ヶ瀬池を訪ねる<2> ---神明神社編

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
苧ヶ瀬神明社

「雨の苧ヶ瀬池を訪ねる」シリーズ第2回。神明神社編をお送りします。

 雨の苧ヶ瀬池を訪ねる<1>

 苧ヶ瀬池の西、住所でいうと各務原市各務おがせ町になる。
 江戸時代のここは、各務村(かかみむら)だった。古代、鏡作部の一族が暮らした土地ということで「かかみ」の地名がついたといわれている。
 現住所でいうと、各務、各務おがせ町、各務西町、各務東町、各務船山町、各務山の前町、須衛、須衛町の一帯が村域で、江戸時代は天領だった。
 各務村の氏神は村国神社で、これは『延喜式』神名帳(927年)にも載る古社だ。
 他に、白山神社、八幡神社、金山神社、七明神社、金比羅神社などがあったようだ。
 おがせ町の神明神社もそういう神社のひとつで、創建については詳しく伝わっていないものの、明治には村社に指定されたくらいなので、苧ヶ瀬集落の中心神社だったと考えてよさそうだ。



苧ヶ瀬神明社全景

 入り口の鳥居は東側にあって、社は南を向いている。
 周囲を囲っていないので晒され感が強い。
 元からこの場所にあったかどうかは分からない。ただ、江戸時代からこんなふうだったとは思えない。ここにあったとしても、もう少し鎮守の森に囲まれるかどうかしていたのではないだろうか。
 鳥居ももともとは社の南側にあったかもしれない。



苧ヶ瀬神明社拝殿

 灯籠と拝殿越しに本社を見る。
 拝殿内に三毛猫。雨降りだったので雨宿り中。



苧ヶ瀬神明社本社

 本社の左右に小さな社が祀られている。
 名古屋はこういう場合、秋葉社や天王社、熱田社が多い。
 美濃ではどういうパターンが多いのだろう。



苧ヶ瀬神明社狛犬

 昭和5年(1930年)に奉納された狛犬はそこそこ年季が入っている。



苧ヶ瀬神明社

【アクセス】
 【アクセス】
 ・名鉄各務原線「苧ヶ瀬駅」またはJR高山本線「各務原駅」より徒歩約23-28分
 ・駐車場 なし
 
 

雨の苧ヶ瀬池を訪ねる<1>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
苧ヶ瀬池

 岐阜県各務原市にある苧ヶ瀬池(おがせいけ/地図)は非常に古い池とされる。
 東の愛宕山(268.5メートル)と西の各務山(170メートル)に挟まれた谷間にあり、4キロほど南を木曽川が流れている。
 奈良時代前期に一晩でできたという伝承を持ち、竜神や竜宮城の伝説が彩る池だ。
 かつて人を殺す竜女がこの地にいて、江戸時代後期に尾張の福富新蔵の矢に射られて傷を負い、山に逃げ込んで心を入れ替えたという話が伝わっている。竜女の白髪が苧(お)に似ていたことから苧ヶ瀬の地名は来ているともいう。
 実際のところ、苧は麻の古名であり、「からむし」とも読み、イラクサ科の多年草のことなので、苧がたくさん生えた土地だったことが地名の由来と考えるのが合理的だ。茎の繊維を編んで織物にした。
 麻我瀬や麻綜とも表記した。
 ついでにいうと各務原は「かかみがはら」と読み、江戸時代までは各務郡(かかみぐん)といっていた。これは、この地に銅鏡などを作る鏡作部(かがみつくりべ)と呼ばれる技能集団がいたことから来ているという説がある。詳しくは村国神社のところで書こうと思っているのだけど、もしかすると苧ヶ瀬池もその一族が築造したものかもしれない。だとすると、「おがせ」の由来はまた別とも考えられる。
 池に浮かぶ八大竜王堂の他、池の周辺には八大竜王本殿、八大白龍大神、神明神社、苧ヶ瀬神社、薬王院などが鎮座している。



苧ヶ瀬池雨風景

 日光の中禅寺湖をぐっとコンパクトにしたような風景だ。
 苧ヶ瀬池は「岐阜県新八景」の第1位らしいのだけど、他の七景については調べがつかなかった。
 桜や藤、蓮などが咲く花名所でもあるようだ。
 訪れた日は雨降りだったのだけど、それはそれで風情があって悪くなかった。



苧ヶ瀬池

 鯉がワシャワシャいる。老夫婦と孫がエサをあげていて大変なことになっていた。



苧ヶ瀬池八大龍王遠望

 右手前が愛宕山ではないかと思う。その向こうは御坊山、向山、権現山あたりだろうか。
 池の北2キロほどのところに古墳と窯跡から成る天狗谷遺跡がある。そのあたりも鏡作部の一族と関係がありそうだ。



八大龍本殿

「八大龍王本殿」とあるけど、ここは仏のようだ。
 釈迦が霊鷲山で法華経の説教をしたとき集まった八部衆(天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽)のうち、難陀・跋難陀・娑伽羅・和脩吉・徳叉迦・阿那婆達多・摩那斯・優鉢羅を八大龍王という。
 法華経の守護神なので、天台宗か日蓮宗が関わっているだろうか。



八大龍本殿額

「龍王殿」か?



八大龍本殿彫り物




八大龍本殿石碑




八大龍本殿龍の置物




苧ヶ瀬池藤棚

【アクセス】
 ・名鉄各務原線「苧ヶ瀬駅」またはJR高山本線「各務原駅」より徒歩約15-25分
 ・駐車場 あり(無料)
 
<2>に続く。 
 
 

一宮市の古墳巡り ---今伊勢古墳群遍

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
古墳か藪か

 愛知県一宮市の今伊勢地区は古墳が多いところで、総称して今伊勢古墳群と呼ばれている。
 19基が知られており、9基が現存するとされる。
 その主墳とされるのが以前紹介した車塚古墳だ。
 一宮市今伊勢目久井にある車塚古墳を訪ねる
 浅井古墳群はもっと多く、全部で50基以上あるという。
 しかし、一宮の歴史からするともっと多くの古墳があったに違いない。気づかないうちに壊されたか、まだ見つかっていないだけで、100基以上あってもおかしくない。
 そういう目で見ていると、ちょっと盛り上がっていたり藪になっているところを見るとすべて古墳に思えてくる。古墳幻覚というものかもしれない。
 今伊勢町馬寄下町屋の藪(地図)も古墳のような気もするけど古墳とはされていない。



藪

 近づいてみたけどよく分からなかった。



西口社古墳

 ここはちゃんと古墳とされている。西口社古墳(さぐちしゃこふん/地図)。
 かつては西口社が祀られていたそうだけど、今はない。どこかへ移されたようだ。
「さぐち」という読み方からしてミシャクジ信仰にまつわる社だろうか。名古屋では西宮社とされることが多い。
 7世紀築造の円墳というから古墳終末期のものだ。



上町屋古墳

 西口社古墳の200メートルほど西に上町屋古墳(地図)がある。
 盛り上がりがゆるやかなので古墳といわれなければ気づかないかもしれない。
 こちらも7世紀築造の円墳と考えられている。直径12メートルというから小型のものだ。
 石室の石が一部表に出てきているから、当時はもっとこんもり土が盛られていたのだろう。



上町屋古墳東から

 隣には秋葉社がある。



上町屋古墳の木

 一宮市の古墳巡りは続く。
 なんなら古墳とされていないところを掘り返して古墳を”発見”するくらいの意気込みでいよう。

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