カテゴリ:車(Car)

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  • 15年間にありがとうと、さよならを

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 15年乗ったインテグラが満身創痍に陥り、手放すことになった。ここ数回の車検の時の修理代が高くなりすぎて、2年ごとの出費がきつくなりすぎた。とても愛着があり、名残惜しくもあったのだけど、少し車から離れたい気持ちもあって、思い切って一区切りつけることにした。 すっきりした部分もあるものの、やはり寂しい気持ちが強い。車がないということはこんなにも不便なものかとあらためて思い...

    2010/02/20

    車(Car)

  • ツチノコを見つけるより嬉しかったDJ・1との再会

    Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/10s(絞り優先) うひょ、っと奇声を発するほど驚いた。 DJ・1の黒黄ツートンじゃないか。なつかしいなぁ。見たの何年ぶりだろう。「なつかし処 昭和食堂」の裏手に置かれた昭和のなつかしいスクーター。シチュエーションがまたよかった。ひとりで勝手に盛り上がって喜ぶ私。 実はこれとまったく同じものを私も乗っていたのだ。自動車の免許を取った大学一年18歳の春、車は高く...

    2005/11/04

    車(Car)

  • 同世代の現役ハコスカ

    OLYMPUS E-10+C-PL, f5.0, 1/80s(絞り優先) あ、ハコスカだ。こりゃ記念撮影をしないと。 助手席に置いてあるE-10の電源を手探りで入れて、しばし待つ。 ……。 更に待つ。 ……。 こういうとき、のんびり屋さんのE-10を買い換えたくなる。早く電源が入らないとハコスカが行ってしまうぞ。 よし、入った。左手でハンドルを持ったまま、右手だけでE-10を構えてファインダーをのぞきながら撮る。はい、一枚、いただきました。OK...

    2005/10/05

    車(Car)

  • スーパーカー・ブームど真ん中世代

    OLYMPUS E-10+C-PL, f3.2, 1/125s(絞り優先) 車で近所を走っていたとき、サイドミラーにひときわ車体の低いオレンジ色の車が映った。 あ、スーパーカーだ! と、心の中で小さく叫んだ私は、スーパーカー・ブームど真ん中世代。 スーパーカーという言葉がどの世代までなつかしさを伴って響くのかは分からないけど、池沢さとしの「サーキットの狼」をリアルタイムで読んでいた人間にしてみたら、ひどくなつかしい言葉だと思う...

    2005/09/29

    車(Car)

15年間にありがとうと、さよならを

車(Car)
尾張旭-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 15年乗ったインテグラが満身創痍に陥り、手放すことになった。ここ数回の車検の時の修理代が高くなりすぎて、2年ごとの出費がきつくなりすぎた。とても愛着があり、名残惜しくもあったのだけど、少し車から離れたい気持ちもあって、思い切って一区切りつけることにした。
 すっきりした部分もあるものの、やはり寂しい気持ちが強い。車がないということはこんなにも不便なものかとあらためて思い知った。ただ、いろいろ考えて、必然的だったかなとも感じている。また出直そう。
 というわけで、しばらくはご近所ネタが多くなる。電車の旅行シリーズと日常写真の二本立てのようになって、中間がごっそり抜けそうだ。季節ものを追いかけるのもちょっと難しくなる。撮影行きの新たなパターンを模索していかなくてはならない。
 今日の写真は、手放す前、最後に撮ったインテグラの写真だ。ずっと昔から車で行ってる尾張旭の田んぼが最も適した場所だということで、最後の記念撮影はここにした。よくこんなふうに車をとめて佇んだものだ。
 感傷的になってしまうととめどがない。未来のことを考えたい。

尾張旭-2

 尾張旭ではあまり猫を見かけないのだけど、このときはよく見た。私の沈んだ気持ちを慰めるために集まってくれたのか。
 尾張旭もしばらくは行けそうにない。

尾張旭-3

 西日を浴びてまどろむノラ。
 持たざる者の幸福というものもある。

尾張旭-4

 引いてみるとこんなにもいた。写っていない範囲にもう2匹いた。ちょっとした集会をしていたようだ。

尾張旭-5

 野球のグラウンドでサッカーをする子供たち。
 昔は決して見られなかった光景だ。ここもかつては野球をする子供たちの声が響いていた。
 時は流れて、時代は移り変わってゆく。
 丸目四灯のデザインが好きだったけど、平成7年のインテグラは時代遅れとなり、ほぼクラシックカーにかりかけていた。

尾張旭-6

 田んぼのケリ。
 去年の春に生まれた子供はもう大人と変わらないくらい成長しただろう。
 今年の春もまた、ケリはここで子供を産んで子育てをする。季節は巡る。

尾張旭-7

 春が少しずつ近づいてきているとはいえ、田植えまではまだしばらく時間がある。もう少し休みながら初夏を待つ。

尾張旭-8

 人生の半分は失うことだ。失うことを嘆くのは、人生の本質を否定すること。なくすことを悲しむまい。
 インテグちゃん、今まで長い間、ごくろうさん。この車で悪いことは何もなかった。たくさん、思い出もある。
 さよなら。ありがとう。

ツチノコを見つけるより嬉しかったDJ・1との再会

車(Car)
なつかしのDJ・1


Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/10s(絞り優先)


 うひょ、っと奇声を発するほど驚いた。
 DJ・1の黒黄ツートンじゃないか。なつかしいなぁ。見たの何年ぶりだろう。
「なつかし処 昭和食堂」の裏手に置かれた昭和のなつかしいスクーター。シチュエーションがまたよかった。ひとりで勝手に盛り上がって喜ぶ私。
 実はこれとまったく同じものを私も乗っていたのだ。自動車の免許を取った大学一年18歳の春、車は高くて買えなかったので、とりあえず買ったのがこの色のホンダDJ・1だった。
 まあ、買ったといっても親借金で半分踏み倒したので、正確には買ったとは言えないかもしれないけど。

 当時のスクーター事情を思い出してみると、周りではヤマハのJOG派とホンダのDJ・1派に分かれていた記憶がある。たまにスズキのHiなどもいたような気がする。またはお袋さんのホンダおんぼろTACTに乗っていたやつもいたっけ。うーん、ますますなつかしいぞ。
 あの頃はまだスクーターはノーヘルでよかったから、友達とふたりでデコを全開にしてサングラスをかけて、リミッター一杯の60キロで吹っ飛ばしていたものだ。たまにコケたりしながら。
 JOGは軽いから、スタートでアクセルを回しすぎるとウイリーして後ろにひっくり返ったりしてるやつもいたなぁ。
 考えてみると、やっぱりノーヘルはキケンだった。いくらスクーターでも60キロのときに吹っ飛んだりしたらタダでは済まない。お国もそのことにようやく気づいたのか、私が19になる頃、突然思い立ったようにヘルメットの着用を義務づけたのだった。ただ、それでスクーターの圧倒的で絶対的な手軽さは永遠に失われてしまい、ほどなくして私も車を買うことになる。

 車があればスクーターは乗らなくなる。ヘルメットだし、髪がぺしゃんこになってしまうし。
 すっかり乗らなくなって1年くらいしてその存在を忘れそうになった頃、ふとスクーター置き場を通りかかったとき自分のDJ・1を見ると、姿がないではないか。
 いかーん、盗まれたぁーー! なんてこった。
 当然カギもかけてたし、ハンドルもロックしてあったけど、あんなもの盗もうと思えばそのままでも持って行ける。手すりにチェーンをかけておかなかったのがいけなかった。
 淡い期待を抱いて派出所に届けてはみたものの、私の元にDJ・1、正式名称ドルフィン・ジャンプ・ナンバーワンが帰ってくることはなかったのだった。
 ああ、DJ・1、大事にしなかった私が悪かったよ、ゴメンね。あんなことになるなら、エンジンが燃え尽きるまで乗ってやればよかった。

 それにしても平成の今、おそらく現役であろうDJ・1がまだ街にいたとは驚いた。発売は1986年か87年あたりだったはずだ。生産終了になってから15年以上は経っている。スクーターの寿命はせいぜい4、5年だと思うけど、よほど大事にしてるんだろうか。オーバーホールしてるかもしれない。
 思い入れがあるにしろないにしろ、できるだけ長く現役でいて欲しい。ここの店の横を通る楽しみができた。
 もしこれが、私のDJ・1だったとしたら、それは最高のオチなんだけどな。

同世代の現役ハコスカ

車(Car)
あ、ハコスカ

OLYMPUS E-10+C-PL, f5.0, 1/80s(絞り優先)



 あ、ハコスカだ。こりゃ記念撮影をしないと。
 助手席に置いてあるE-10の電源を手探りで入れて、しばし待つ。
 ……。
 更に待つ。
 ……。
 こういうとき、のんびり屋さんのE-10を買い換えたくなる。早く電源が入らないとハコスカが行ってしまうぞ。
 よし、入った。左手でハンドルを持ったまま、右手だけでE-10を構えてファインダーをのぞきながら撮る。はい、一枚、いただきました。OKです。ありがとう、ハコスカの人。
 撮影完了を待ってくれていたかのようなタイミングで、ハコスカは私の前にキュッキュッとクイックに入り込み、ぶっ飛ばして行ったのだった。まだまだ元気だ。

 ハコスカを見たのはずいぶん久しぶりのような気がする。私が学生時代、EP71スタタボ(トヨタのスターレット・ターボ、通称「辛口ターボ」)をあちこち改造して走り屋仕様にしながら街中を安全運転していた頃(友達から狼の皮をかぶった羊号と呼ばれた)はたまに見かけたけど、最近はめっきり見かけなくなっていた。あれからもう15年も経ってるし、そもそもハコスカが生産終了になったのは昭和47年(1972年)のことだから、この時代に現役で走ってるのは相当なものだ。年数だけ考えても、作られてから30年以上経っている。これはかなりすごい。当時の生産技術からしても。

 ハコスカと聞いても普通の人は分からないかもしれない。簡単に言うと、箱形をしたスカイラインのことで、略して「箱スカ」。クジのハズレとかのことではない。
 往年の名スポーツカーとして、いまだに人気が高い。
 いくつかのモデルがあったり、何度かモデルチェンジをしてるけど、基本的にはスカイライン2000GTや2000GT-Rあたりのことを指すのだと思う(ハコスカについては全然くわしくないのでよく分かってないのだけど)。
 写真のこれは、テールライトの形からして、「45(ヨンゴー)」と呼ばれる年式のものだろうか。だとしたら作られたのは昭和44年で、ほとんど同世代だ。

 世の中にはハコスカ好きの人が多いから、たぶん、全国ではまだけっこう現役で走っているのだろう。ハコスカ・オフなどもありそうだ。
 また何年後かに、見てみたい。お、まだ走ってるな、と安心するために。

 私の丸目インテグラも骨董品の仲間入りつつある。もう街で同じタイプのものを見かけることはほとんどない。そもそもあの丸目が不人気で売れ行きが悪くてすぐにマイナーチェンジしてしまったということもあって。
 まだ特に悪いところもないから、止まるまで乗ろうと思ってる。
 しかし、あと何年かしたら、私のインテグラも普通に街を走ってるだけで、誰かにデジで激写されてしまうかもしれない。お、まだあいつ走ってやがるぜ、とか言われながら。
 マイ・インテグラがハコスカ的な価値を持つようになるまでには、あともう10年は乗らないといけないだろう。けど、愛好者が少なすぎて、付加価値はきっと生まれない。ただのポンコツとなってしまう宿命にある。
 目指せハコスカというよりも、コロンボ刑事の愛車に負けるな、といったところかもしれない。

 東南アジアへ旅立ったという私のスタタボは、あれから何年くらい元気で走ってたのかな。

スーパーカー・ブームど真ん中世代

車(Car)
スーパーカー世代

OLYMPUS E-10+C-PL, f3.2, 1/125s(絞り優先)



 車で近所を走っていたとき、サイドミラーにひときわ車体の低いオレンジ色の車が映った。
 あ、スーパーカーだ!
 と、心の中で小さく叫んだ私は、スーパーカー・ブームど真ん中世代。

 スーパーカーという言葉がどの世代までなつかしさを伴って響くのかは分からないけど、池沢さとしの「サーキットの狼」をリアルタイムで読んでいた人間にしてみたら、ひどくなつかしい言葉だと思う。
 昭和でいうと50年代はじめから中頃にかけてだろうか。今30代なかばから40代はじめの世代だ。当時の私は小学生だった。
 スーパーカー消しゴムを集め、ガチャガチャでスーパーカーのミニカーを出しまくり、自転車で東名高速道路に友達とスーパーカーを見に行った。橋の上で待っていて、走ってきたスーパーカーに手を振るとパッシングライトで答えてくれたりした。スーパーカーに乗っているだけで街では小学生の男子に取り囲まれ、スター扱いされるという今では考えられないくらい平和な時代だった。
 あと、ブラスチックにスーパーカーの絵の輪郭がくりぬかれたものがあって、よくそれで授業中絵を描いてたことを今ふいに思い出した。

 ランボルギーニ・カウンタック、フェラーリ512、ロータス・ヨーロッパ・スペシャル、ポルシェ・カレラ、デ・トマソ・パンテーラ、マセラッティ・ボーラ……。
 うーん、なつかしすぎて涙が出そうだ。しかも、そんな名前をまだ覚えてる自分に驚く。
 今30代以上のたとえばプロ野球選手などがフェラーリやポルシェなどを買いたがるのは、少年時代にあのブームを経験したからという面がたぶんある。あの時代の少年にとって、成功した人間が乗るのはベンツやBMWではなくカウンタックなのだ!

 それにしても久々にスーパーカーを見た。よく見えなかったけど、あれはなんだったんだろう。ランボルギーニっぽいけど、よく分からない。
 しかし、笑えるほど車高低いな。乗用車の半分くらいしかない。ドライバーはほとんど仰向けのような格好でシートに収まり、運転してる。ボンネットは見えないはずだ。
 一生に一度は乗ってみたい、スーパーカー。けど、メインカーにするにはあまりにも不便すぎる。あんなので散策の山道走れそうにないし、近所のスーパーに買い物に行くにも気を遣う(そのスーパー・カーじゃない)。
 やはり夢は夢のままが一番なのか。

 昨日、あそこでミウラ見たぞ!
 ウソつけ!
 ホントだって!
 じゃあ、今日の帰り見にいこまい!


 なんていう遠い日の会話がよみがえる。