カテゴリ:神社仏閣(Shrines and temples)

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  • 各務原の村神神社(村上神社)を訪ねる

     岐阜県各務原市の神社巡りをしたのは去年2019年の10月のことだった。 苧ヶ瀬池(おがせいけ/地図)から始まり、村国神社、手力雄神社などを回って、最後に訪れたのが村神神社(地図)だった。 この日は一日中雨降りで、もう日没も近かったのだけど、手力雄神社から歩いてすぐのところだったので寄っていくことにした。 最初、村国神社のつもりで、第三の村国神社と思っていたら村神神社だった。 いや、実は村上神社が現在の...

    2020/01/10

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 今年も初詣は森孝八劔神社にしておいた

     少し遅くなったけど6日に初詣へ行ってきた。 去年もそうだっただろうか、近所の森孝八劔神社(地図)にしておいた。 産土神といえば生まれた松阪のどこかなんだろうし、物心つく前に引っ越した大森八劔神社の方が初詣にはふさわしいのかもしれないけど、一番近所の神社といえばここになる。 遠くの有名神社より近くの神社の方がいざというとき助けてくれるかもしれない。 神社は800社以上回っているから、もうどこが味方でど...

    2020/01/08

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 手力雄神社の余った写真

     手力雄神社本編に漏れた写真をお送りします。 各務原の手力雄神社と和解した  ...

    2019/12/05

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 各務原の手力雄神社と和解した

     岐阜県各務原市の神社巡りの終盤に手力雄神社(地図)を訪れた。 どうしても行っておきたいという気持ちが強くて日没前になんとか辿り着いたのだけど、第一鳥居をくぐる手前で、おおおっ、となった。 なんというか、非常に重たい。気が重く、足取りも重い。手前まで行って急に入りたくなくなった。憂鬱だ。 稀にそういうことがあるのだけど、めったにあることではない。霊感のたぐいは持ち合わせていないと自覚している。それ...

    2019/12/04

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各務原の村神神社(村上神社)を訪ねる

神社仏閣(Shrines and temples)
村神神社入り口鳥居

 岐阜県各務原市の神社巡りをしたのは去年2019年の10月のことだった。
 苧ヶ瀬池(おがせいけ/地図)から始まり、村国神社、手力雄神社などを回って、最後に訪れたのが村神神社(地図)だった。
 この日は一日中雨降りで、もう日没も近かったのだけど、手力雄神社から歩いてすぐのところだったので寄っていくことにした。
 最初、村国神社のつもりで、第三の村国神社と思っていたら村神神社だった。
 いや、実は村上神社が現在の正式な社名のようなので、ちょっとややこしい。
 社号標には村神神社とあり、地図でも村神神社となっているのだけど、鳥居の額には村上神社とあり、岐阜県神社庁のサイト(web)でも村上神社となっているから、神社本庁の登録名は村上神社なのだろう。かつては村神神社といっていたのではないかと思う。

 雨の苧ヶ瀬池を訪ねる
 村国神社を訪ね、村国氏とは何者かを考える
 各務原の手力雄神社と和解した



村上神社扁額

 岐阜県神社本庁のサイトによると、祭神は石長比女神(イワナガヒメ)だそうだ。これはなかなか珍しい。
 天孫降臨したニニギがコノハナサクヤヒメに出会って求婚したら、父親のオオヤマツミが姉のイワナガヒメも一緒にもらってほしいと送り届けたところ、イワナガヒメは醜いからいらないとニニギが送り返し、オオヤマツミは怒って天孫の寿命は短くなるだろうと呪いの言葉を吐いたという、あのイワナガヒメだ。
『日本書紀』では磐長姫と表記するように、岩のように長い生命力を象徴する名前とされる。
 全国の浅間神社でコノハナサクヤヒメと一緒に祀られている例はそれなりにあるものの、イワナガヒメを単独で祀っているところはごく少ない。
 この村神神社が最初からイワナガヒメを祀っていたかどうかは分からない。江戸時代までは権現様と呼ばれていたというから、明治になってからイワナガヒメを祭神としたのかもしれない。
 ただ、それにしてもどうしてイワナガヒメとしたのかは気になるところだ。
 気になるといえば、村社に列格したのが昭和9年(1934年)というのも気になる。社号標に村社とあるから明治に村社になったのだろうと思ったら違っていて、無格社だったものを昭和に入ってから神社が願い出て村社に列したという経緯だったようだ。
 だとすると、すぐ近くの手力雄神社が明治に郷社になったときや、明治末の神社合祀政策のときに手力雄神社に移されなかったのは何故だろう。手力雄神社からは160メートルほどしか離れていない。
 そもそもどうして村神神社だったのだろう。文字通り村の神を祀る社だったということか。
 村上神社となったのが昭和以降のことだとすると、村上天皇は関係がないということになる。



村上神社拝殿と本社横から

 境内は未整備状態というか、何やら混沌としている。
 一部は削られているだろうか、東も南も民家が建っていて、参道といったものはあるようでない。
 少し西に境川と岩地川の合流点がある。



村上神社拝殿から本社

 それにしても非常に雰囲気のある神社だ。手力雄神社とは全然違った古くささが感じられる。ある種ここは異空間になっている。
 個人的には決して嫌いではない。
 ただ、訪れる人は少ないだろうと思った。



村上神社拝殿上の御輿

 拝殿の梁の上に何か乗っている。どうやら古い御輿のようだ。
 こんなところに保管しているのは初めて見た。
 これほど素朴で古い御輿も今はなかなか残っていない。



村上神社棒の飾り

 拝殿の隅に無造作に積まれていたこれは何だろう。お祭りで使うものだろうか。これも初めて見るものだ。



村上神社南鳥居

 正式には南鳥居から入った方がいいかもしれない。
 ただ、南には民家があって、西側からしか入れない、



村上神社南鳥居から

 とりあえず南鳥居から入り直してみた。
 ここも雰囲気がある。
 よく分からないけどすごい神社だ。



村上神社拝殿横から

 住所は那加長塚町で、かつての那加村だったところだ。
 長塚というからおそらく長い塚、つまりは古墳からつけられた地名だろう。
 手力雄神社の裏手にも古墳があったけど、この神社は古墳の上に乗っているんじゃないだろうか。境内地は全体にこんもりしている。けっこう大きい古墳かもしれない。
 古めかしい空気感は神社の古さというよりも古墳が発しているものではないだろうか。
 村神という社名も、古墳の被葬者がこの地の首長と考えると納得できる。



村上神社秋葉神社

 境内社の秋葉神社。



村上神社磐

 御嶽っぽいけど違うかもしれない。



村上神社切り株

 手力雄神社を訪ねた際には、よかったらこの神社も寄ってやってください。

【アクセス】
 ・名鉄各務原線「新加納駅」から徒歩約30分
 ・岐阜バスコミュニティ岐阜各務原線 JR岐阜駅バスターミナル(岐阜駅北)13番のりば、「各務西町営業所」行き、または名鉄岐阜のりば(名鉄岐阜駅西)6番のりば、「各務西町営業所」行きに乗り、「手力雄神社前」バス停下車、徒歩5分
 ・各務原市ふれあいバス西部・鵜沼線「山後町公民館前」バス停下車、徒歩約8分
 ・駐車場 なし
 
 


 

今年も初詣は森孝八劔神社にしておいた

神社仏閣(Shrines and temples)
森孝八劔神社入り口

 少し遅くなったけど6日に初詣へ行ってきた。
 去年もそうだっただろうか、近所の森孝八劔神社地図)にしておいた。
 産土神といえば生まれた松阪のどこかなんだろうし、物心つく前に引っ越した大森八劔神社の方が初詣にはふさわしいのかもしれないけど、一番近所の神社といえばここになる。
 遠くの有名神社より近くの神社の方がいざというとき助けてくれるかもしれない。
 神社は800社以上回っているから、もうどこが味方でどこがそうじゃないのか分からないというのが実情なのだけど。



森孝八劔神社二の鳥居と拝殿

 何年か前に拝殿がコンクリート造で建て直された以外はあまり変わっていない。
 昔はもっと鬱蒼とした森だった気もするけど、古い印象なので当てにならない。
 創建はおそらく江戸時代中期以降だろうから、それほど歴史のある神社というわけではない。大森の八劔神社はかなり古い。奈良時代かそれ以前までさかのぼるかもしれない。
 八劔だから草薙剣の神霊もしくはヤマトタケルが本来の祭神ということになるだろうか。草薙剣を形代とする天照大神の神霊というのはピンと来ない。
 現在は須佐之男命も一緒に祀られている。



森孝八劔神社鳥居と榊

 榊はまだ新しさを保っていた。
 古い神札などを返す場所が設けられていた。
 左義長は14日と書いてあったと思う。



森孝八劔神社本社

 本社はけっこう古い。江戸時代ということはないだろうけど、このあたりは空襲では焼けていないので戦前のものではないかと思う。
 もしくは戦後に建て直したものだろうか。



森孝八劔神社隣の弘法堂

 道を挟んで隣にある弘法堂の建物が新しくなっていて驚いた。どなたか住んでみえるのだろうか。

【アクセス】
 ・名鉄瀬戸線「大森・金城学院前駅」から徒歩約40分
 ・地下鉄東山線「藤が丘駅」から徒歩約40分
 ・名鉄バス「三軒家停留所」から徒歩約7分
 ・駐車場 なし
  
 

手力雄神社の余った写真

神社仏閣(Shrines and temples)
手力雄神社

 手力雄神社本編に漏れた写真をお送りします。

 各務原の手力雄神社と和解した



手力雄神社鳥居扁額




手力雄神社拝殿の注連縄




手力雄神社社務所




手力雄神社渡り廊下




手力雄神社稲荷社前




手力雄神社稲荷鳥居




手力雄神社稲荷社の社




手力雄神社おみくじ




手力雄神社絵馬




手力雄神社子護薬師




手力雄神社晩秋に咲く桜

 
 

各務原の手力雄神社と和解した

神社仏閣(Shrines and temples)
手力雄神社

 岐阜県各務原市の神社巡りの終盤に手力雄神社(地図)を訪れた。
 どうしても行っておきたいという気持ちが強くて日没前になんとか辿り着いたのだけど、第一鳥居をくぐる手前で、おおおっ、となった。
 なんというか、非常に重たい。気が重く、足取りも重い。手前まで行って急に入りたくなくなった。憂鬱だ。
 稀にそういうことがあるのだけど、めったにあることではない。霊感のたぐいは持ち合わせていないと自覚している。それにしてもここは久々に重かった。
 人によってはそこで引き返すということもあるのだろうけど、せっかくここまで来て入らないという選択肢は私にはなかった。もったいないという思いの方が勝った。



手力雄神社入口

 感情を抜きにすれば立派でいい神社なのはすぐに分かった。同じ岐阜県の岐阜市にある伊奈波神社(web)を思い出した。




手力雄神社二の鳥居前

 社伝では、5世紀末に現在の各務原市那加地区(古くは佐良木郷と呼ばれていた)を支配していた豪族が山の中腹の磐座(いわくら)を祀ったのが始まりとしている。
 しかし、『延喜式』神名帳(927年)には載っておらず、『美濃國内神明帳』にある真幣明神がそれに当たるとされる。
 真幣(みてぐら)はいわゆる神札のことなので、漠然とした社名だ。いつ現在地に移されたのか、祭神を手力雄神としたのがいつなのかなど、分からないことが多い。
 672年の壬申の乱で活躍した村国男依(むらくにのおより)が各務を領地として与えられたので、村国一族も何らかの関わりを持ったかもしれない。ただし、東にある村国神社(地図)とは直線距離で7.7キロほど離れている。
 2キロほど西南の岐阜市蔵前(かつての厚見郡)にも手力雄神社(地図)があり、そちらは平安時代前期の860年に各務氏が氏神として創建したとされる。
 村国氏はほどなく衰退して、代わって各務をおさめたのが各務氏なので、各務郡の真幣明神を手力雄神社としたのは各務氏だったかもしれない。
 村国神社の祭神は尾張氏祖神の天火明命(アメノホアカリ)と鏡作部の祖の石凝姥命(イシコリドメ)なので、手力雄とは系統が違う。
 厚見郡の手力雄神社は宮中で祀っていた手力雄を勧請したという話があり、伊勢の神宮(web)とも関わりが深いという。
 伊勢の神宮の内宮の相殿神はあまり公にはしていないのだけど、天手力男神と栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメ)とされている。
 承久の乱(1221年)以降、この地は守護家の土岐氏がおさめることになり、その家臣の薄田氏(すすきだうじ)や佐良木氏(更木氏)が神社を守ったという。
 室町時代に薄田氏が寄進した梵鐘や狛犬が残っている。
 手力雄神社の読み方について「たぢから」としているとものと「てじから」としているところがあってどちらが正式なのかよく分からない。岐阜県神社庁は「たぢからお-じんじゃ」としているのに対して公式サイトのアドレスはhttp://www.tezikarao.org/となっており、サイトの手力雄神社の下に「Tedikarao」とある。
 祭神の天之手力男神/天手力雄神は、一般的にアメノタヂカラヲとされるから、個人的には「たぢからお-じんじゃ」の方がしっくりくる。
 地元の人たちは「てぢからさん」と呼んでいるそうだ。



手力雄神社拝殿

 主祭神として手力雄神を祀り、相殿神として高御産霊神、神産霊神、美和都神、宇津井剣火御子三所神、伊波乃西神、長山神、村国神、村国真墨田神を祀っている。
 最初からこんなに祀っていたとは思えないから途中で増えたのだろう。それにしても見慣れない神が入っている。村国関係は村国氏との関わりを示すものとして、美和都神、宇津井剣火御子三所神、伊波乃西神、長山神というのは名古屋では見たことがない。造化三神のうちの高御産霊神と神産霊神を祀っているのも気になる。

 ところで、私の激重だった感覚は、参拝を終えたとたんに嘘のように消え失せ、むしろ気持ちがものすごく軽くなったのだった。あれ? という感じで自分でも驚いた。長く続いた風邪が治ったときみたいな感じだ。
 よく分からないけどよかったと喜んだ。和解という言葉が頭に浮かんだ。気が重かったのは、ここの神様か土地に対して私が過去に何かをしでかしていて、そのことがずっと気掛かりだったとかだろうか。



手力雄神社神紋

 1567年、織田信長は稲葉山城(今の岐阜城)を攻めるためこの地を訪れた。
 周囲の寺社を焼き払い、この神社も焼き討ちしようとしたところ、にわかに霧が立ちこめ体が動かなくなって馬から落ちた。さすがの信長も神罰を恐れて焼き討ちをやめ、稲葉山城後略の後に社領や宝物を寄進したと伝わる。
 神紋が織田木瓜になっているのはそのためで、それまでは巴紋だったという。



手力雄神社本殿彫り物

 拝殿の裏手に回ると本殿の上部が見える。
 本殿は江戸時代前期の1674年に建てられたとされる檜皮葺の流造で、柱には見事な龍の彫刻がほどこされている。
 天手力雄命を祀る神社の総本社のような立場の神社は長野県長野市の戸隠神社(web)とされており、手力雄神社の龍の彫刻はその中の九頭龍社の影響を受けているといわれている。
 江戸時代はこの地の旗本だった坪内氏や徳山氏などが崇敬し、保護した。



手力雄神社本殿檜皮葺

 本殿と龍の彫刻は各務原市の重要文化財に指定されているけど、国の重文指定でもおかしくない。



手力雄神社本殿古墳

 タヂカラノヲといえば天の岩屋戸のエピソードで登場する神だから、ここは天の岩屋戸を模したものかと思ったら、古墳だった。
(天の岩屋戸に隠れたアマテラスが少し扉を開いたとき、すかさず扉を開け放ってアマテラスを岩屋戸から引っ張り出したのがタヂカラノヲだ)
 横穴式石室を持つ6世紀後半の古墳が2基残されている。
 当然ながらこの古墳の被葬者と神社の祭神とは関係があると考えられる。6世紀後半なら村国氏よりも100年も前の時代だ。



手力雄神社本殿古墳内社

 古墳の発掘調査が行われたのかどうかは分からない。
 石室内には小さな社が祀られている。



手力雄神社秋葉神社

 秋葉社ですら貫禄がある。



手力雄神社福徳竜神

 福徳竜神。
 やはりここは龍が関わっている。龍の彫刻もたまたまではない。

 写真が余ったので続編につづく。



【アクセス】
 ・名鉄各務原線「新加納駅」から徒歩約25分
 ・岐阜バスコミュニティ岐阜各務原線 JR岐阜駅バスターミナル(岐阜駅北)13番のりば、「各務西町営業所」行き、または名鉄岐阜のりば(名鉄岐阜駅西)6番のりば、「各務西町営業所」行きに乗り、「手力雄神社前」バス停下車、徒歩すぐ
 ・各務原市ふれあいバス西部・鵜沼線「山後町公民館前」バス停下車、徒歩約3分
 ・駐車場 あり(無料)
 
 

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