現身日和 【うつせみびより】

年末感のないサンデー料理

サンデー料理

 12月も半ばを過ぎて少しずつ年末感が出てきた。といってもまったく忙しいわけではなくて、日々は普段と変わらない。
 変わらないといえばサンデー料理も変わらない。冬感も12月感もなく、いつもと同じだ。ほとんど定点観測といっていい。
 私の料理のレパートリーって何種類くらいあるんだろう? 今まで考えたことも数えたこともなかったけど、暇なときに過去のサンデー料理を見返して数えてみてもいいかもしれない。あまり変わり映えしないようだけど、20種類とか30種類とかではないと思う。



イカとタマネギ

「イカ刺しのタマネギソース和え」
 酒、みりん、しょう油、塩に切り分けたタマネギを加えて煮立たせる。



野菜のトマトスープ

「野菜のトマトスープ」
 具材はトマト、大根、ニンジン、キャベツ、鶏肉、ブロッコリー、コーン。
 味付けは、酒、みりん、ケチャップ、コンソメの素、塩、コショウ。



ナスとコンニャク

「ナスとコンニャク炒め」
 ナスは水に浸けてあく抜きをする。
 ごま油でナスとコンニャクを炒める。
 酒、みりん、しょう油、中華の素、唐辛子、塩、白ごまで味付けをする。
 
関連記事ページ

道ばたの風景

道の机

 道ばたの風景をお送りします。



空き地のサッカーボール




落とし物




木製風鈴




石の顔




ベンチと草




空き缶の蓋と落ち葉




ホコリ取り




うどんの切れ端




道の花




フェンスとヘルメット

 
関連記事ページ

三重郡朝日町の移田神社

移田神社

 三重県三重郡朝日町の神社めぐり。井後神社地図)の次に訪れたのは埋縄(うずなわ)にある移田神社(地図)だった。
 朝日駅からは1.5キロほどあって、途中で道に迷ったこともあって30分以上かかった。集落の間を抜けて、樹林の斜面を上がったところにある。車の場合は北の66号線から南の細い道を入っていくしかなさそうだ。標高は23メートルほどなのでわりと高台だ。
 現在は「いだ-じんじゃ」と読ませており、古くは「ウツシタノ」と呼んでいたようだ。
『延喜式』神名帳の伊勢国朝明郡移田神社に比定されている。
 創建は不明で、本来の祭神は土の神である埴安姫神(ハニヤスヒメ)という。いつからか牛頭天王社と称するようになり、明治の神仏分離令を受けて祭神を建速須佐之男命(スサノオ)とした。
 明治40年、神明社の境内社と字北谷にあった八幡社、字入力谷にあった山神社を合祀し、そのとき移田神社と改称した。
 明治44年、神社合祀令を受け、柿の井後神社に合祀(明治41年という話もある)。
 大正10年頃、跡地に大和信貴山から毘沙門天を勧請して祀っていた。
 昭和27年、井後神社に合祀した移田神社を再び分離独立させ、旧地の現在地に再建。
 毘沙門天は後継者がいなくなり、平成11年に信貴山に返したとのことだ。

 創建年代がよく分からないのだけど、式内社だとすれば平安時代前期もしくはそれ以前までさかのぼることになる。
 今昔マップで明治中頃(1888-1898年)の状況を見ると、埋縄集落は丘陵地の縁にあったことが分かる。南は低湿地で田んぼが広がり、その南に朝明川が流れている。
 少し離れた南東に穂積神社(四日市市広永町/地図)があり、この神社は伊勢国朝明郡耳利神社の論社とされる。
 穂積氏といえば、大和国穂積邑や保津邑を本拠とした古代の有力氏族で、ニギハヤヒを祖とする物部一族だ。穂積神社も饒速日命(ニギハヤヒ)を祭神としている。
 二社は350メートルほどしか離れていないことを考えると、穂積氏と移田神社が無関係だったとは思えない。井後神社まで含めて物部氏の支配地だった可能性がある。
 ただ、それにしても土の神の埴安姫神(ハニヤスヒメ)を祀った理由がよく分からない。このあたり一帯の神社は多くの謎を秘めていて分からないことだらけだ。



移田神社入り口鳥居前




移田神社二の鳥居

 社殿などは平成15年に建て直されたようで、まだ新しさが残っている。
 第一印象は、ん? これが式内社? というものだった。訪れたときはまったく知識がない状態で、昭和27年に戻されたことも知らなかった。



移田神社拝殿斜めから




移田神社拝殿正面から




移田神社拝殿額




移田神社社殿横から




移田神社本殿横から




移田神社横の建物




移田神社狛犬




移田神社由緒碑

【アクセス】
 ・【アクセス】
 ・JR関西本線「朝日駅」から徒歩約30分
 ・駐車場 あり
 
関連記事ページ