去年ついでに寄った平塚神社と長崎神社と2つで合わせ技一本 - 現身日和 【うつせみびより】

去年ついでに寄った平塚神社と長崎神社と2つで合わせ技一本

平塚神社-1

PENTAX istDS+PENTAX 18-55mm f3.5-5.6



 これまで東京の有名な神社についていくつか紹介してきた。有名どころはかなり行き尽くした感がある。けれど、よくよく調べてみると、東京十社にしても、別表神社にしても、ポツリ、ポツリと抜けているところがあって、まだまだコンプリートには遠い状態だ。これから巡る予定の神社をざっと書き出してみると、軽く20を超える。マニアックなところでは、平将門の首や手足や胴体、兜、鎧などを御神体にしている神社巡りなんてのもある。なので、神社シリーズもまだネタ切れというわけではない。
 そんな中、今日は別の目的地へ行く途中、ついでに寄った神社を二つ紹介したいと思う。特に有名というわけではないけど、何かの縁で行くことになる神社というのがある。通りから少し奥に入ったところでも行こうかと思うこともあるし、目の前を通りながら中まで入らないこともある。波長というのか、縁というのか、たまたまなのかは分からないけど。
 こういう神社紹介を、東京マイナー神社シリーズと名づけよう。そこはマイナーじゃない、自分はよく知ってるぞという人もいるだろうけど、東京へ観光に行った地方の人間が行かないような神社という意味でマイナーとさせていただきたい。そもそも観光のために東京へ行って好きこのんで神社に行く人もそんなにたくさんはいないろうというツッコミはさらりとかわして、話を先へ進めることにしよう。

 一般的にはほとんど知られていないと思われる北区平塚という町も、内田康夫の浅見光彦シリーズのファンにとっては馴染みのある場所だ。浅見家があるのがこの町で、光彦のおふくろさんが好物の団子を売っている平塚亭は、実際に平塚神社の入り口に店を構えている。JR京浜東北線上中里駅を出て、蝉坂を登っていくあたりは、作品の中で何度も登場している。
 実は、私がそのことに気づいたのは、名古屋に帰ってきてからのことだった。あの平塚神社って、浅見光彦のあの平塚神社だったんだと驚いた。全然思いもしなかった。だから、平塚亭も見ていない。なんたる不覚。
 このときは、ここから少し先にある古河庭園にバラを見に行ったのだった。ちょうど去年の今頃の時期だ。もし、知っていたら、平塚亭で団子を買って食べていただろう。惜しいことをした。もう一度あそこまで行く機会はありそうにない。

 平安時代、この地は豊島郡を治める郡衙があったところで、平安末期に秩父平氏庶流の豪族・豊島太郎近義という人間が平塚城を建てた場所だった。この時代のものだから、戦国時代のような城ではなく、城館だったのだろう。
 1062年の前九年の役(陸奥国司と豪族安倍氏との戦い)に続き、1083年に後三年の役が起こり(出羽国の豪族清原氏との戦)、それに勝利して凱旋した源義家をもてなしたのが平塚城主の豊島近義で、感銘を受けた義家は鎧と十一面観音像を贈った。
 義家が死去すると、近義はその鎧を埋めて城の鎮守とし、社に義家三兄弟(八幡太郎義家、新羅三郎義満、加茂次郎義綱)の像を祀って平塚三明神としたのが平塚神社の始まりとされている。この塚が現在も平塚神社の本殿裏に残っている(非公開)。それが平らな塚であったことが平塚の地名の由来となった。豊島区は、平塚城主の豊島氏から来ている。
 鎌倉から室町時代にかけて、平塚城は豊島氏代々の居城として続くも、泰経の時代の1476年、長尾景春の呼びかけに応じて関東管領上杉氏に反旗を翻し、弟の泰明が平塚城で挙兵。それを受けて翌年、江戸城主の太田道灌が平塚城に攻め込み、落城。1478年、兄の泰経と共に再び戦ったものの、江古田・沼袋原の戦いで破れて泰明は討ち死にしてしまう。
 以降、豊島氏は急速に没落して、平塚城は使用されないまま廃城となる。
 蝉坂というのは、太田道灌が攻め入ってきた坂、攻め坂がなまって蝉坂になったといわれている。
 時は流れて江戸時代。上中里村出身で盲人の針医・山川城官貞久が江戸に出て検校にまで出世して、家光が病気になったとき、平塚明神に祈願したところたちまち病が治ったことから、自らの資金で平塚明神の社殿を建てた。その話を聞いた家光は、平塚明神に250石の知行地を与え、それが現在の平塚神社へとつながった。

平塚神社-2

 溶岩の塊のようなところに狛犬が乗っている。獅子は我が子を千尋の谷底に落として這い上がってきた強いもののみを育てるとうシーンを再現しているのだろうか。違うかもしれない。
 これとよく似たものをどこか別のところでも見た。あれはどこだったか。横浜の伊勢山皇大神宮へ行く途中にあった神社だっただろうか。
 境内社として、豊島神社、御料稲荷、菅原神社、石室神社などがある。

平塚神社-3

 表から見たところ。右手が下っていく蝉坂で、ここから右に少し歩くと古河庭園がある。まわりは静かな住宅地だ。
 神社は鬱蒼とした木に囲まれて深閑としているようだけど、境内の半分が月極駐車場になっていて、ずっこける。なんてちゃっかりした商売上手な神社。神社の境内を月極駐車場にしていいものなんだろうか。これが許されるなら、こんないい商売ない。賽銭で小銭をちまちま集めなくてもいい。

長崎神社-1

 ところ変わって、ここは豊島区長崎町。西武池袋線の椎名駅を出ると、すぐ目の前に長崎神社という立派な神社がある。神社仏閣好きなら素通りはできない。ちょっと寄っていこうかということになるはずだ。
 ここへ行ったのはいつだったか、よく覚えていない。西武池袋線なんてめったに乗らない。去年の秋、巾着田のヒガンバナを見に行った帰りだったかもしれない。
 長崎神社というから九州の長崎に関係があるのかと思ったら、まったくなかった。鎌倉時代、執権北条氏の御内人・長崎氏の領地だったことから、長崎村になり、現在も長崎という地名が残ったのだった。江戸時代には、小田原北条氏の家臣で江戸衆の太田康資(太田道灌のひ孫)の所領だった。
 かなり古い神社のようだけど、創建年代は分かっていないらしい。もともとは、長崎村の鎮守として、櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)を祀って村の安全と五穀豊穣を願ったのが始まりとされている。クシナダはスサノオがヤマタノオロチを退治することを請け負ったときにもらい受けた妻で、『日本書紀』では奇稲田姫という字を当てられていることから、稲田の女神とされる。
 それが江戸時代中期になると、 十羅刹女社(じゅうらせつにょしゃ)と称されるようになっていった。十羅刹女社というのは、法華経における10人の女性の鬼神のことで、鬼子母神と共に法華経の守護天使とされる神様だ。つまり、江戸時代に入って神仏混淆となっていったことを意味している。
 明治に入って神仏分離令が出されたため、明治5年に須佐之男命を合祀して氷川神社となり、明治7年に長崎神社と改称して、現在に至っている。

長崎神社-2

 ここでも岩に張りつく狛犬が出迎えてくれる。豊島区ではこのタイプの狛犬が流行っているのだろうか。平塚神社と同じ作り手によるものなのかもしれない。他の神社ではめったにこういうのは見かけないから、全国的に見ても珍しいと思うのだけど。
 参道の石段には金属製の手すりが付いている。お年寄りに優しくするのが狙いだろうか。
 ちょっとびっくりなのが、石段を登り切ったところに取り付けられたスライド式の金属門だ。閉店ガラガラ用だろうか。それにしては低すぎて、その気になれば楽々と乗り越えられてしまう。時間外は入らないでくださいという意思表示がしたいだけだろうか。

長崎神社-3

 なかなか面白い木の鳥居だ。両部鳥居と呼ばれるもので、柱の足下に補助をする木(控柱または稚児柱)が取り付けられている。一番上の笠木が反増といって両端が反り上がっているのも特徴だ。安曇野の穂高神社もそうだった。
 この鳥居は関東大震災で倒れて、今のものはその後作り直したものだそうだ。
 鳥居にかかっている神社額は、山岡鉄舟の揮毫らしい。山岡鉄舟と長崎神社の関わりはよく知らない。

長崎神社-4

 境内は静かで、なかなかいい雰囲気だった。ここはけっこう好きだ。
 本殿は1849年に建てられたものだそうで、歴史が感じられて悪くない。
 お参りを終えて、帰ろうと思って最後に振り向くと、ちびっこが駆けてきて、本殿の前で何か願い事をしていた。それがなんだかとてもいい光景だった。

 ここ長崎神社は、獅子舞がある神社として地元では知られている。豊島区で唯一の指定無形文化財だそうだ。
 獅子舞の獅子頭が奉納されたのが元禄年間というから、300年の歴史を持つ伝統の行事ということになる。現在では、豊島区で五穀を育てて生業にしてる人はほとんどいないだろうけど、厄除け神事として続いている。
 黒っぽい姿の獅子舞が印象的で、境内で舞いを演じるだけでなく、獅子舞をしながら町内も練り歩く。
 毎年5月の第二日曜日というから、今年は11日に行われたのだろう。

 江戸東京というと、徳川家康が幕府を開くまでは未開の地だったみたいなイメージがあるけど、その歴史は案外古い。ずっと昔から人は住んでいたし、歴史も重ねてきている。東京最古の寺院である浅草寺などは、大化の改新よりも前の628年までさかのぼる。
 東京は、関東大震災と第二次大戦の空襲と、二度壊滅的な打撃を受けているから、本当に古いものはあまり残ってないのだけど、それでも江戸時代を偲ばせるものはたくさんある。
 一般的な知名度は低いこの二つの神社でも、調べてみれば思いがけない歴史を持っていて興味深い。いろいろな出来事は、横にも縦にもつながっていて、いろんな人間が関わっている。
 今後とも、マイナー神社シリーズは継続させていこう。とりあえず目についた神社仏閣は入って写真を撮っておくべしだ。それがあとになって役に立つ。一ヶ所では弱くても、二つ三つと集まれば、合わせ技一本になる。
 神社だけでも、一生かけても巡りきれないくらいあるから、ネタには困らない。

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