揚輝荘も文化のみちの一員になるといいね ---揚輝荘第6回<最終回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
揚輝荘最終回-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 長くなった揚輝荘シリーズも6回目でようやく最終回となった。最初は3回くらいのつもりだったのに、調子に乗って写真をたくさん撮ったから。最後は本編に入りきらずにこぼれてしまった写真を集めて並べて終わりとしたい。

 この人形はけっこう古そうだ。外国の人形だから、どこか海外へ行ったときのおみやげだろうか。ここの家の娘さんにお父さんが買ってきたものかもしれない。

揚輝荘最終回-2

 こちらには日本人形が置かれていた。
 部屋のふすまや壁紙が古びて、染みなども浮いてきている。ちょっとおどろおどろしい雰囲気。泊まった田舎の古い旅館がこんな部屋だったら寝るのに勇気がいりそうだ。

揚輝荘最終回-3

 このあたりの作りも非常に凝ったものとなっている。
 樹齢数百年だかの巨木から切り出した一枚板で作られているとのことだ。

揚輝荘最終回-4

 揚輝荘の中では伴華楼が一番きれいな状態になっている。応接間もそのまま使えそうなほど整っている。
 暖炉の上にいる置物は猫だったか違ったか。犬だったかもしれない。

揚輝荘最終回-5

 一階から二階へ上がる途中の、床の高さと目の高さが同じになる風景がなんとなく好きだ。家の中をこの水平レベルで見ることは普通ないから、新鮮な景色に映る。

揚輝荘最終回-6

 古い柱と鏡。どちらも年季が入っている。
 古い鏡はちょっと恐い気もする。たくさんの人の顔や、移り変わる部屋の様子を長い年月映し出してきて、何か自らの意志のようなものを持っているような、そんな想像をしてしまう。

揚輝荘最終回-7

 昔ながらの柱時計。すでに時を刻むのをやめていた。

揚輝荘最終回-8

 日曜大工で作ったような机と椅子だけど、これも手が込んでいる。椅子の背もたれには、階段の手すり同様、透かし彫りが施されていて、向こうが透けて見える。手すりの上の部分にも模様が刻まれている。
 家の中の至る所がこういう意匠を凝らしているところはあまりないんじゃないか。高い家具を揃えるとか、派手なインテリアで飾るとか、そういうことではない。こういう工夫もあるんだと参考になるところがいろいろあった。もちろん、使われている素材は高級品で庶民が気軽に使えるようなものではないけれど。

揚輝荘最終回-9

 聴松閣の玄関前には石の虎が構えている。
 当主が中国旅行のとき手に入れたもので、大齊永明六年と刻まれているそうだ。それが本当なら488年に彫られたものということになる。

 これにて揚輝荘見学報告は終わりです。お疲れ様でした。
 建物も庭も、まだまだ整備はこれからで問題も山積みのようだけど、今後に期待したい。名古屋市が金を出すだろうか。古くて貴重なものは残して守っていって欲しいと思うけど、それは部外者の勝手な願望で、実情はなかなか大変のようだ。
 名古屋市も遅ればせながら文化財や古い建築物の保存に力を入れるようになって、「文化のみち」として歴史的な地域一帯を観光コースとして育てようという活動を始めた。現在のところ、二葉館(旧川上貞奴邸)、橦木館、旧豊田佐助邸、故春田鉄次郎邸が指定されて、一般公開されたり使われたりしている。今後は、この輝揚荘もそれに組み入れられるといいんじゃないかと思う。コースとしても大きくは外れていない。
 去年から名古屋観光バス「メーグル」というのも運行されるようになった(ネーミングがまたアレだ)。いくつかのコースがあって、「歴史探訪ツアー」では、名古屋駅から徳川園、徳川美術館、二葉館、市政資料館、名古屋城を、「産業観光ツアー」では産業技術記念館、名古屋テレビ塔、広小路栄、ノリタケの森をそれぞれ巡っている。1回どこまで乗っても250円で、一日乗り放題券も500円だから、ちょっと魅力的だ。バスは金ピカに塗られていて、乗り降りするとき恥ずかしいけど、屋根に金鯱を乗せなかっただけましだ。私も一度乗りたいと思っている。早めに乗っておかないと、いつ廃線になってしまうか知れないし。
 そんなわけで、名古屋にもまだまだ隠れた観光スポットがあるという話でした。また名古屋のマイナー見学ネタでお会いしましょう。
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