春日大社と鹿と奈良の関係が腑に落ちた - 現身日和 【うつせみびより】

春日大社と鹿と奈良の関係が腑に落ちた

春日大社と鹿


 今回は奈良県を代表する神社のひとつ、春日大社(かすがたいしゃ)について勉強しつつ書いていきたいと思う。
 奈良観光でははずせない有名スポットでありながら、春日大社そのものについては意外と知らない人が多いんじゃないだろうか。いつ誰が建てたのかとか、祀られているのはどんな神なのかとか、どこからどこまでを春日大社というのかとかを即答できる人は少ないはずだ。私自身も、御利益がなんなのかも知らずにお参りだけしてきたのだった。
 帰ってきてから調べたところによると、創建は平城京ができたときだった。
 聖徳太子が活躍したのが飛鳥時代で、その時代の最後に造られたのが藤原京だ。710年、平城京遷都。ここに奈良時代が始まる。細かいことをいえば、この前後で何度か都は移っている。それだけ国が不安定だったということだろう。
 784年に長岡京遷都、10年後の794年に平安京へと都が移ることになる。
 そんな時代背景の中、768年に春日大社が創建。もともとは710年の平城京遷都の際に、藤原鎌足(中臣鎌足)の子である藤原不比等が、藤原氏の氏神である建御雷之男神(タケミカヅチ)を春日の御蓋山に祀って春日神としたのが始まりとされている。
 現在のように本格的な社殿ができたのが768年で、藤原永手が茨城県の鹿島神宮からタケミカヅチを、千葉県の香取神宮から経津主神(フツヌシ)を、大阪府の枚岡神社から天児屋根命(アメノコヤネ)と比売神(ヒメガミ)の4神を春日の地に迎えて祀った。
 それ以前にもこの地で神を祀っていたという記録もあって、はっきりしたことは分かっていないようだ。
 平安時代に入ってからは藤原氏と共に栄え、造営が繰り返され、現在のような規模になっていった。
 その後、神仏習合の流れもあって次第に興福寺とも合体するようになり、一時は興福寺が春日大社の実権を握っていた時期もあった。
 皇族や貴族の春日詣も盛んとなり、天皇もたびたびここを訪れ、寺社としての格も上がっていった。
 中世以降は、武家や庶民にまで信仰が広がり、日本全国で春日神社が建てられるようになる。現在でも1,000社ほどがあるという。

 どうして奈良に鹿がいるかということについてはこんなエピソードがある。
 鹿島神宮の神の使者といえば鹿で(鹿島アントラーズのエンブレムの鹿の角はそこから来ている)、そこから神様を呼んだとき、向こうの神が白い鹿に乗ってたくさんの鹿を引き連れて1年がかりで奈良の春日までやって来たという伝説があり、そこから春日大社といえば鹿ということになったようだ。
 そもそも平安時代から春日の地にはたくさんの野生の鹿がいたようで、平安貴族は鹿を見ると神の使いということで鹿に向かっておじぎをしたんだそうだ。それをマネて鹿もおじぎをするようになったとかならないとか。彼らは鹿せんべい欲しさにおじぎの芸をしているわけではないのだ(たぶん)。おじぎをする鹿は日本でも世界でも類を見ないというから、まんざら作り話でもないかもしれない。
 かなり前置きが長くなったけど、そろそろ本殿に向かって進むことにしよう。上の写真は二の鳥居だ。入り口にあるはずの一之鳥居は修理中とかで取っ払われてなくなっていた。ちょっと驚いた(平成20年/2008年に修理は完成)。



鹿の手水舎

 手水舎では大きな鹿が口にくわえた筒から水を出している。趣向は面白いけど、水が飛び散る。手を洗うときカメラを濡らさないように気をつけないといけない。
 参道の両脇にはいろいろな形をした石灯籠がずらりと並んでいる。これはとても春日大社らしい光景だ。
 ひとけのない静かな参道もいいけど、この日のように人が多くて賑やかなのも悪くない。春日大社はけっこうな人気だった。



南門と紅葉モミジ

 長い参道を10分ほど歩いただろうか。ようやく本殿前の南門の下までやってきた。
 ふと感じたのは、奈良の寺社は意外と明るいということだ。陽気な気に満ちている土地なのだろうか。怨霊が跋扈していたという平安京とは違い、奈良にはそういう暗さがあまりない。春日大社も神々しさよりも親しみやすさを覚えた。



朱塗りの楼門

 色鮮やかな朱塗りの南門(重要文化財指定)。ここは本殿4棟が国宝指定されている他、重要文化財の宝庫となっている。たいての建物は重文指定だ。それでもなんというか京都のように居丈高な感じがしない。奈良は威張っていないところがいい。
 春日大社ができた当時は、この場所には鳥居が建っていたそうだ。現在の楼門になったのは1179年という。それでも平安末期だから充分古い。



石灯籠

 寄進された石灯籠が並ぶ。全部で約2,000基もあるそうだ。
 ちなみに現在でも寄進は受け付けてもらえるようで、石灯籠で250万円、釣灯籠で200万円くらいが相場らしい。



神拝所

 朱塗りの門や廻廊とは打って変わって、神拝所はぐっと地味で質素な造りになっている。本殿もそうだ。こちらの色合いの方が本来の春日大社の色だったのだろう。朱塗りは平安時代になって後付けされた色だ。
 神拝所は幣殿と舞殿が一棟になっている。この奥が本殿で、第一殿から第四殿まで四つの社が横に並んでいる。裏手にまわると屋根の一部がちらりと見える。本殿に入るには申し込みをして特別拝観料を払わなくてはならない。
 本殿は切妻造で、少し変わった春日造と呼ばれる様式になっている。通常の神社建築ではなく、仏教建築の影響を受けているとされている。現在のものは江戸時代末期の1863年に建て替えられたものだ。
 ところで春日大社の御利益って何だろうという疑問の答えが見つからなかった。4人も神様がいて、境内には60以上の摂社・末社があるから、何かお願いすれば誰かが聞き届けてくれそうにも思うけど、一番メインとなるものは何になるのだろう。日本で唯一という夫婦大国社は縁結びの神として知られているけど、それがすべてではもちろんない。第一の神であるタケミカヅチは、一般的には戦の神だ。何かの戦いに勝ちたいわけではない。いや、災いと戦うという意味ではタケミカヅチに力を借りるのは筋違いではないか。
 願い事は自己確認ということでは、お参りの対象は誰でもいいといえばいいのかもしれない。



釣燈籠

 こちらも春日大社では欠かせない釣燈籠だ。直会殿(なおらいでん)にかかる釣燈籠は1千基だそうだ。多くが寄贈なのだという。古くは平安時代の関白藤原頼通の瑠璃燈篭から江戸庶民のものまで、皆様々な願いや祈りを込めて贈られたものだ。
 毎年2月の節分と、お盆8月14、15日には万燈籠が行われ、境内にある1,000の釣燈籠と、2,000の石燈篭が一斉に灯される。



ご神木

 境内にはご神木や巨木がたくさん立っている。古くから神地だっただけに、そのまま切られずに残ったのだろう。ある一定以上の巨木に対して、人は自然と畏敬の念を抱くようにできているらしい。それは信仰心とは少し違う別のものだ。
 春日神社の裏手には春日山原生林が広がっている。今回は時間がなくて行けなかったけど、紅葉の季節は特に素晴らしいというから、いつか機会があれば歩いてみたい。



境内の鹿

 寺社の境内に鹿がさりげなく溶け込んでいる風景こそ最も奈良らしい光景といえるだろう。
 しばらく奈良で過ごしていると、目に映る範囲のいたるところに鹿がいるのが当たり前になって、違和感がなくなる。このあたりに住んでいる人は、逆によそへ行って鹿がいないと何か物足りないような思いがするんじゃないだろうか。

 以前訪れたときはひっそりした平日の春日大社を見たけど、今回は週末の紅葉シーズンで賑やかな春日大社を見て、だいぶ印象も変わった。
 どこがどういいというわけではないのだけど、境内の中にいると安心感があって心穏やかになる。それは奈良そのものが持っている空気感でもあるし、私自身と奈良との相性の良さでもあるのだろう。普通の観光とはちょっと違った感覚がする。
 近しいようで実際はよく知らなかった春日大社についても、今回勉強したことで多少分かるようになった。どうしてここに鹿がいて大事にされているかもようやく腑に落ちた。前回書いた、早起きは三文の得というのが奈良の鹿に由来するという話は半信半疑だけれど。
 私が見た奈良らしい風景と紅葉写真

【アクセス】
 ・近鉄奈良駅から徒歩約18分(一の鳥居まで)
 ・JR奈良駅から徒歩約30分(一の鳥居まで)
 ・奈良交通バスで、「春日大社表参道」または「春日大社本殿」下車
 ・奈良県レンタサイクル
 ・駐車場 春日大社駐車場1日1,000円 他

 ・拝観料 500円(一般)
 ・開門時間 夏(4月-9月) 6時-18時 冬(10月-3月) 6時-17時(本殿前特別参拝は8時-16時)

 春日大社webサイト
 奈良市観光協会webサイト
 

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