かつての面影はなくとも深川に江戸のかすかな息づかいを感じた - 現身日和 【うつせみびより】

かつての面影はなくとも深川に江戸のかすかな息づかいを感じた

深川散策-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/800s(絞り優先)



 越中島で水上バスを降りたあとは深川に向かった。本所深川といえば、門前町として発達した江戸の古い町並みへの期待が高まる。まずは深川不動へ向かうことにしよう。
 門前仲町駅から深川公園へ、その横の道を入っていくと深川不動の参道が唐突に現れる。ああ、ここだ、間違いないと一目で分かる。テレビでも見た光景だ。けど、ちょっとイメージと違った。もっと昔ながらの姿をとどめているのかと思ったら、これでは観光地の参道だ。うーん、残念。せんべいなんかを売ってる店は昔からのものなんだろうけど。
 それなりに賑わってはいた。浅草や巣鴨のようなメジャースポットではないのでこんなものか。地方から東京観光へ行って、コースに組み込むようなところではない。

 江戸時代になる前、このあたりは海の上に小島が点在するようなところで住む人もいなかった。そこへ深川八郎右衛門という人物が一族を連れて移り住んできて土地を開拓したのが深川という町の始まりだった。家康が江戸幕府を開いてこの地を訪れたとき、深川八郎右衛門にここはなんという地名だと訪ねたところ、住んでるのもうちら一家だけでまだ名前はないと答えると、それならおまえの名を取って深川にするがよいということで深川になったんだとか。
 深川が賑わうようになった一つの要因として明暦の大火(1657年)があった。焼け出された人々の受け入れ先としてこの場所が選ばれて、十五万坪を埋め立てて人が大勢住むようになったことが、のちの発展につながった。材木所も作られ、多くの人と物資が集まるようになり、人が増えれば寺社も作られ、更に人が集まってくる。材木の商売で大きく当てた紀ノ国屋文左衛門なんてのも出てくるようになった。花街も自然発生的に生まれ、辰巳芸者が名物となったりもした。
 江戸の中期には最盛期を迎えて、華々しくて魅力的な町となっていった。一時は松尾芭蕉もこの地に住み、安藤広重や葛飾北斎も好んで深川を描いた。現代の時代小説などでも深川はよく描かれている。
 しかしながら、現在は当時の面影を見つけるのは難しい。時代劇そのものような町並みを期待して行くとがっかりしてしまう。今はもう、わずかに江戸風情の名残があるだけだ。

深川散策-2

 深川不動堂が成田山新勝寺の東京別院だったとは知らなかった。愛知にも名古屋別院として犬山に成田山があるけど、まったく印象が違う。成田山というと赤い派手なイメージなのに、深川不動はまったく違って渋い作りになっている。
 それにしても、後ろの近代的な建物や高層道路はもう少しなんとかならなかったものか。東京の宿命とはいえ、これでは気分がしらけてしまう。芝増上寺の東京タワーくらいシュールだと笑えるけど、これは笑えない。

 江戸で町人文化が花開いた元禄時代、江戸市民の間で不動尊への信仰が急速に高まっていった。しかしながら当時は成田山新勝寺までは遠かったからそう簡単に行ける場所ではなかった。そこで乱暴にも新勝寺の本尊を江戸に呼んでしまおうということになった。一説によると、五代将軍綱吉の母である桂昌院が言い出したわがままだったとか。
 とにもかくにも話は決まり、新勝寺から不動明王を1週間かけて江戸まで運んできたのだった。現在深川公園になっている永代寺で、2ヶ月に渡って出開帳が行われ、大勢の参拝者が訪れたそうだ。
 ただ、深川不動の本堂が建てられたのはずっとのちの明治14年のことで、永代寺は神仏分離令によって廃寺となり、現在は深川不動堂だけが残った。
 本堂は関東大震災と第二次大戦で焼けて、今の本堂は昭和26年に千葉県の龍腹寺(1862年建立)を移築したものとなっている。なので建物はなかなか趣がある。本尊も焼け残った昔のものだ。

深川散策-3

 永代通りに面した入り口には立派な赤門が建っている。鳥居かと思ったらそうじゃなかった。でもこの赤こそが成田山だ。こちらの通り沿いにもおみやげ屋などが並んでいて門前町らしい。大通り沿いだから江戸の面影などはまったくないけど。

深川散策-4

 少し歩くと、今度は富岡八幡宮がある。深川といえば富岡八幡宮が真っ先に思い浮かぶ人も多いかもしれない。
 1627年、永代島に菅原道真の末裔を名乗る僧の長盛によって創建されたとされている。出自のはっきりしない神社なのに、どういうわけかすぐに人気となった。家康が八幡宮好きだったことで代々徳川家によって手厚く保護されたというのもあったにしても、ちょっと不思議ではある。三代家光の頃にはこの辺り一帯が江戸の観光地となって、富岡八幡宮も大人気スポットとなっていった。
 人気を呼んだ理由としては、富くじと大相撲と祭りがあった。宮司が商売上手だったのだろう。寺の維持費や改修費を作るために富くじを売ったり、大相撲を呼んだりして人と金を集めた。祭りもだんだん規模が大きくなり、やがては江戸最大の八幡宮となり、お祭りは江戸三大祭りの一つにまで発展した。
 祭りは毎年8月15日に行われて、3年に一度本祭りという大規模なお祭りになる。次は来年2008年だ。大神興50基あまり、大小あわせて120基もの神輿が担がれ、水をかけながら練り歩くことから水掛け祭りとも呼ばれている。

深川散策-5

 この日は月に2回ある骨董市(毎月第1第2日曜日)の日に当たっていて、その一種異様な熱気に我々はたじろいだ。間違った場所に足を踏み入れてしまったようで。品揃えといい、売ってるおじさんたちといい、街では決して見かけないようなものばかりが並んでいてちょっと怖い。これはフリーマーケットではない。あくまでも骨董市だ。並んでいる品は、どれ一つをとっても価値があるのかないのか判断がつかない。高いのか安いのか。
 古い雑貨、玩具、茶器、絵、着物、レコード、雑誌、家具など、アンティークと呼ぶべきなのか、単に古いだけのものなのか、もしかしたら売ってる人もよく分かってないのかもしれない。中にはものすごいお宝が捨て値で売られてたりもしてるのだろうけど、基本的に欲しいものはなかった。どれでも好きなものを持っていっていいと言われてこれほど困るところは他にないだろう。裸電球の傘とかもらっても使い道がないし。

深川散策-6

 境内は骨董市の雰囲気に完全に飲み込まれてしまって、普段の富岡八幡宮の姿がまったく想像できなかった。二度行くことはないだろうから、私の中の富岡八幡宮は恐ろしげな骨董市の印象しか残らないことになる。なんだか残念すぎるぞ。あれはあれで貴重なものを見たといえばそうなのだけど、できれば初回は普通の富岡八幡宮が見たかった。みんな、石碑に骨董品を立てかけてたり、像の土台が物置になってたりしてたし。

深川散策-7

 富岡八幡宮といえば、日本一の大御輿でも有名だ。もともとは紀伊国屋文左衛門が寄進した3基の神輿があったのだけど、関東大震災で焼失してしまって、長らく宮御輿がない時代が続いた。その後、平成3年に満を持して制作されたのが、高さ4.4メートル、重さ4.5トンの大御輿だ。
 各所に金銀財宝がちりばめられていて制作費は10億円以上なんだとか。狛犬の目なんかダイヤモンドだ。鳳凰にも7カラットからのダイヤが埋め込まれ、ルビー2,000個、や純金24キロなど、ものすごいことになっている。そこまで豪華にする必要があったのかと突っ込まずにはいられない。
 しかし、あまりにも金銀財宝を使って重たくなりすぎて担げないという事態が発生してしまう。そりゃそうだろう、4.5トンは重すぎる。そこで平成9年には2トンの二宮御輿が作られて、こちらを担ぐようになったのだった。
 富岡八幡宮って、なんかおかしなところだ。すっとこどっこいのお金持ちみたいで脱力感を誘われる。そんなところも魅力の一つで、人とお金がここに集まってくるのかなとも思う。

深川散策-8

 伊能忠敬の像が建っている。伊能忠敬は、下総の佐原での事業が成功して、50歳のときに隠居したあと暦学者高橋至時の門下生となるために江戸に出てきてこの近くに住んでいたからだ。日本地図を作る測量に出かける前はいつも富岡八幡宮でお参りしてから出発していたそうだ。
 しかし、当時の50歳といえば今の70歳くらいに当たる。人生で成功を収めて、なおかつ第二の人生としてまったく新しいことを始めようと思う気持ちの若さが素晴らしい。しかも、歩いて地図を作るなんて無謀なことは誰もやらなかったことだ。そこがまたすごい。55歳から71歳まで日本全国を歩き続けて正確な日本地図を作った。
 私もけっこう歩いてる方だけど、伊能忠敬を思うと、一日歩き回ったくらいで疲れたなんては言ってられない。未知への挑戦の大切さも教えられる。

深川散策-9

 思っていたような古い町並みは残っていなかったけど、現在の深川という町を見ることができたのは嬉しかった。いろいろ収穫もあった。深川江戸資料館も行けず、名物の深川めしも食べられなかった心残りが少しあるものの、行けたことだけで満足した部分が大きかった。縁があれば、富岡八幡宮のお祭りも行ってみたい。大御輿の勇姿も見てみたいし。
 深川をあとにした私たちは、次に佃島へと向かうことになる。それはまた次回ゆっくり書こう。東京の下には江戸が眠っている。車や電車で通り過ぎるだけでは気づかない江戸の息づかいが、歩くことで感じられる。それはかすかだけど、耳を傾ければ聞こえてくる。ときどき、立ち止まってみることが必要だ。

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コメント
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日本一の祭 見つけた!

すみません、突然お邪魔します(^^;)

深川の日本一の神輿ですよね~。素晴しいです♪ 
知り合いの人が地元に日本三大○○祭があるのに、何故、祭をやらないのかと聞いたら、女房の実家が深川だから、あれ見たら地元の祭なんて馬鹿馬鹿しいと言っていた神輿ですね~♪
ぼくも、憧れの神輿!!
「ワッショイ、ワッショイ」と担ぐんですよね~?

2007-08-06 07:35 | from ヒロ | Edit

金銀財宝の威力

★ヒロさん

 はじめまして、こんにちは。
 いらっしゃいませ。(^^)

 深川富岡八幡宮の日本一神輿は、間近で見るとその豪華絢爛さに圧倒されます。
 すごく成金趣味的で。(^^;
 あの威圧感は、ただ大きいというだけではなく、金銀財宝の威力です。
 飾り立てすぎて重くなって担げなかったというのはちょっと笑わせてくれます。
 二宮御輿でも充分すぎるくらい立派だから、あれが担がれてる祭りはさぞや見事なんでしょうね。
 一度は見てみたいです。

2007-08-08 03:30 | from オオタ | Edit

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