PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6),f3.8, 1/20s(絞り優先)
東京の名物料理を食べようと思い立ったとき、はて、それは一体なんだろうかとなる。せっかく東京へ来たんだから東京名物を食べていこうかとなったとき、東京ならではの食べ物って何かあるだろうか。
そばや江戸前寿司なんかは、東京オリジナルのものではない。東京は世界中の美味しいものを何でも食べられるところだけど、東京でしか食べられない名物っていうのが意外とないことに気づく。東京へ行ったらとりあえず食べておけ的な食べ物って何だろう。
ひとつ思いついたのが、もんじゃ焼きだった。発祥は浅草だとか群馬だとかいくつか説があるようだし、必ずしも東京オリジナルのものではないにしても、一応東京の食べ物のような気はする。
そんなわけで、我々は夜の月島へと向かった。浅草の方が安いらしいのだけど、ここはひとつ、いかにも観光地という月島で食べた方が雰囲気は出るに違いないということで。
月島は、明治中期に隅田川の中州を埋め立てた東京湾埋め立て地第一号として誕生した町だ。当初は長屋の密集地帯で、下町として発展していくことになる。
もんじゃ焼きは、駄菓子屋で生まれた子供のためのおやつだった。鉄板の上にメリケン粉(小麦粉の昔風の呼び名)を水で溶いて薄く焼いた上にしょう油などで味付けして食べたのが始まりだ。子供たちが遊びで、鉄板の上に文字を書いて焼いたところから文字焼きと呼ばれるようになって、大正時代になった頃からそれがもんじゃ焼きと言われるようになったというのが定説となっている。
それより以前の江戸時代にすでに似たようなものがあったという説もある。1819年の『北斎漫画』の中で「文字焼き屋」の挿絵が出てくる。お好み焼きのルーツは、戦国時代に千利休が茶会で出した「麩の焼き」だと言われているから、もんじゃに類するものはかなり昔からあったと思ってもよさそうだ。
歳月と共にだんだんキャベツやイカなどの具を載せるようになり、味付けもしょう油からウスターソースへと変わっていった。
その後もんじゃは駄菓子屋の減少とともに数を減らしていくことになる。だんだん具が多くなって高価になってしまって、子供がお小遣いで食べられるおやつではなくなっていったというのもひとつの要因だった。
その一方で、下町名物として観光客やサラリーマンなどにターゲットを変え、徐々に盛り返していく。月島はその典型で、昭和30年代には4軒しかなかったもんじゃ焼き屋が平成に入ってから増え始め、平成9年にはついにもんじゃストリートなるものが誕生することになる。そのときはすでに30軒近くまで店が増えていた。
平成12年の地下鉄大江戸線開通もあり店は更に増加し、現在は75軒もあるという。わずか500メートルほどのもんじゃストリートの両脇は、もんじゃ屋がひしめくように並んでいる。この店舗数でも成り立っていくのが東京のすごさだろう。大阪や名古屋ではこういう形態は成り立たない。情報が横に伝わって、格差がはっきりしてしまうから。東京は観光客相手だから客を分け合うことができているのだろう。
軽い思いつきで月島へとやって来た我々は、もんじゃストリートの前で立ち止まることになる。どの店に入ればいいの? と顔を見合わせるものの、手掛かりがない。とりあえず月島へ行って、賑わってそうなところに入れば間違いないだろうという軽い乗りでやって来て、あまりの店の多さに戸惑ってしまった。店の様子なんて外からはさっぱり見えない。たまに行列ができてる店があるものの、それが本当に美味しい人気店なのかどうなのか判断がつかない。
そんな中、勘で選んだのがこの「風月」という店だった。根拠はない。ただ、なんとなくだ。扉を開けると、かなりお客がいたので安心する。店主と我々のマンツーマン・ディフェンスになってしまったら困ってしまうところだった。
しかし、結果的に、この店は大当たりというわけではなかったようだ。帰ってきてから復習して分かった(遅すぎる)。
お客はほぼ満席だったので、不人気店というわけではない。味も普通に美味しかったし、ここの固定ファンも大勢いるのだろう。ちょっと納得いかなかったのは、食べ物を注文する前に必ずひとり一杯飲み物を注文しなければいけないというのと、食べ物は人数分でなければいけないというシステムだ。別にのども渇いてないし、酒は飲まないから飲み物なんていらないぞというのは通用しない。最初から酒を飲むつもりの人なら問題ないのだろうけど、酒を飲まない私たちは巨大なグラスに入った450円のウーロン茶を3分の1も飲みきれずに終わったのだった。高けえウーロン茶だな。それに、ふたりでひとつのもんじゃ焼きを注文して分け合ってもいいではないか。一杯のかけそばの親子なんて泣いて帰ってしまうぞ。
しかし、ここの店に限らず月島のもんじゃ焼きは高いなと思う。小麦粉とキャベツがメインの原材料を考えると、1,000円オーバーは完全に観光地価格だ。具が豪華になると2,000円とか3,000円とかになる。これじゃあ、子供は食べられない。しかも、お客が焼くんだから調理の手間もかかってないのだ。感覚的にいえば、せいぜい500円か600円のものだろう。
何事も予習というのは大事なわけで、あとになって人気店というのもだいぶ分かった。テレビなんかに紹介されて駄目になってしまう店もあるとはいえ、一定以上の支持を集めるにはそれなりの理由があるわけで、人気上位の店は他とは違う何かよいところがあるに違いない。初めて行くなら、まずはそういう店から行っておいた方が無難だ。
たとえば「もん吉」などの有名店ならまず間違いないだろう。あとは海鮮もんじゃの「月島」や、「綿」、「近どう」あたりの評判がよさそうだ。路地裏では「麦」なども人気が高い。
東京に住んでいる人なら食べ比べもできるけど、観光客は一発勝負だから、並んでも人気店に入っておいた方がいいと思う。
さて、いよいよもんじゃ焼きのタネが運ばれてきて、焼いて食べる段になった。しかし、もんじゃ焼き完全シロートの我々は、それを見てふむとうなって動きが止まる。その様子を見た鉄板少女アカネならぬ鉄板オヤジさんが、焼き方を教えましょうかと親切に言ってくれた。一も二もなく、お願いしますと言う二人。お好み焼きのように具をダバァっと流し込んで焼けばいいというものではないらしい。
まずは鉄板を温めて、油を引きのばす。そこへ、汁を残して具材だけを鉄板の上にガバッとあけて、ハケでキャベツを刻むように焼いていく。ここはカンカンカンカンうるさくするのが玄人っぽい。小声の会話などかき消されてしまうくらいに。
キャベツなんかがしんなりしてきたら、炒めた具でドーナツ状の土手を作る。汁が決壊しないように、しっかり作るのがコツだ。その真ん中のところへ汁を流し込む。ここで端に取っておいたスルメイカの刻みを入れるのを忘れないようにする。これを入れ忘れるとあとからパンチのない味になる。
ここで汁のところにソースを加えて、固まってきたら具と混ぜ合わせて、あとは小さなコテ(ハガシというらしい)で食べるだけだ。フハフハしながら熱々を食べていく。のだけど、このハガシとやら、やけに食べづらい。具をすくおうとしてなかなか乗らないのがもどかしい。昔、レストランで皿に盛られたライスをフォークの背中に乗せて食べていた時代を思い出した。思わず箸くださいと言いたくなるほどだ。
なにはともあれ、もんじゃ焼きは美味しかったので、けっこう満足した。お好み焼きとはまた違った美味しさがある。ダシが違うのか、食感の違いが味にも影響してるのか、同じ種類の食べ物ではない。この先どちらかしか食べられなくなると言われたら、迷わずお好み焼きを選ぶけど。
次にもんじゃ焼きを食べる機会があるのかどうか。まったくないとは言えないけど、明日にでももう一度行きたいというほど切実な願望はない。月島でもんじゃ焼きを食べたという事実で満足してしまった感がある。これで充分話のネタになる。これが浅草でお好み焼きを食べたというのでは話のネタにもブログのネタにもならない。美味しいかどうかはこの際、二の次なのだ。
もう一度食べることがあれば、今度は発祥の地とされる浅草で食べてみたい。あちらの方が安くいて美味しい店がありそうだ。行くときはちゃんと下調べをして、一番評判のいい店で食べよう。そうしたら、もんじゃ焼きに対する思いもまた違ったものとなるかもしれない。
東京名物探しの旅はまだ始まったばかりだ。その街ゆかりのものとかに範囲を広げつつ、今後も探っていきたいと思っている。次は浅草の「どぜう」をいってみようと計画している。どじょうなんて子供のときに田舎で見て以来だ。もちろん、食べたことはない。ゲテモノではなく本当に美味しいものなんだろうか。もし食べるにしても、素人らしく謙虚に、骨抜きの深川にしてもらおう。
それにしても、東京で文字焼きやどじょうを食べてるなんて田舎のばあちゃんに言ったら、食べるものにも困ってるのかと心配してお金を送ってきそうだな。