南極観測船ふじとタロとジロとサブロとタケシの話 - 現身日和 【うつせみびより】

南極観測船ふじとタロとジロとサブロとタケシの話

タロとジロとふじ

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.8, 1/13s(絞り優先)



 名古屋港にあるタロとジロの銅像と、南極観測船ふじ。オマケとして、ゴミをゴミ箱に捨てている男の人。右側にちょこっとスクリューも顔だけ参加してる。何故か、名古屋港には南極観測にまつわる品々がある。
 国内2代目の極観測船ふじは、昭和60年(1985年)の引退後どういういきさつがあったのか、名古屋港のガーデンふ頭に永久係留されることになった。当時の姿そのままに、南極観測船博物館として一般公開されている。
 入船料大人300円で、船内で各所で働く姿のまま固まったろう人形たちを見ることができる。艦内放送から聖飢魔IIの「ろう人形の館」が流れているとかいないとか(流れてない)。船員あり、観測員あり、床屋あり、歯医者ありと、観測船での生活ぶりがうかがえる作りとなっている。南極観測船好きな人にはたまらない。
 初代観測船「宗谷」はお台場の「船の科学館」に、3代目「しらせ」は現役で活躍中で、4代目は現在建造中という。南極観測船好きならぜひとも全部押さえておきたいところだ。

 敗戦から10年後の1955年(昭和30年)、日本は南極へ行くと決めた。主導は文部省(当時)で、お金も文部省が出すことに決まる。しかし、専用の船はないしお金もない。なんとか見つけてきた船は、建造されてから18年も経ったロートル巡視船「宗谷」だった。海上保安庁所属の灯台補給船を改造して南極へ行くという無茶な計画だった。
 それでも1956年、ど根性で宗谷は南極に辿り着き、以降1962年まで6回も南極へと物資や人を運び続けることになる。
 とはいえ、いい加減老朽化も限界に達し、能力的にも不足すぎるということで、新たに専門の南極観測船を造ることとなった。それが、ふじだ。このときも文部省の予算で造られている。輸送と所属はそれまでの海上保安庁から海上自衛隊に変わった。
 1964年(昭和40年)、南極観測船ふじは完成した。正確には、砕氷艦「ふじ」(AGB-5001)というらしい。全長100メートル、排水量5,250トンは自衛艦の当時最大だった。12,000馬力で最高速度17ノット、厚さ80センチまでの氷を砕きながら進むことができた。その能力は、宗谷の倍だった。船体は一般のものよりも横幅が広く、先端は氷に乗り上げ荒れるように30度の角度がつけてある。定員245人で、輸送ヘリを3機搭載可能とした。
 最初に出発したのは名古屋港かと思いきや東京湾の晴海ふ頭だった。じゃあ、東京湾へお帰りよと言いたいところなのだけど、東京湾にこんなものをつないでおく余裕はないということか。縁もゆかりもない名古屋港につなぎ止められたふじは何を思ってるだろう。
 ふじは1983年までの18年、7次から24次隊まで活躍したあと引退。現在はふじに代わる「しらせ」がせっせと南極へ行ったり来たり行ったり来たりしている。
 名古屋とは縁もゆかりもないと書いたけど、おそらく、近くにあるポートビルの中の「名古屋海洋博物館」と連動した形での展示ということで誘致したのだろうと思う。南極観測船というものの内部を見る機会は一般人にはまずないから、これはなかなかいい試みだと思う。ただし、世の中に南極観測船好きな人は思いのほか少ない。

 そもそもなんで南極なんて行くんだ? と思った人もいるだろう。私もふとそんな疑問が頭に浮かんだ。ロマンと冒険の旅ならそんなにたびたび行く必要もないし、長く滞在する意味もない。南極の土地でも調べてるんだろうか、いいもんが埋まってるとか? なんてとぼけたことを考えた人がいたとしたら、それは私のお仲間だ。けど、南極ってそんなに簡単な場所じゃない。
 一番最初は、国際地球観測年というものに参加する12ヶ国のうちのひとつということで、2次で終了するはずだった。しかもそれは南極ではなく赤道だったのが、予定していた場所がアメリカの持ち物で許可が下りなくて、仕方なく南極となったのだった。だから、船も間に合わせの改造船しか準備できなかったのだ。
 観測する場所も決まらないまま出発して、とりあえず行ってみてよさそうなところで基地を造ろうやってことで造られたのが昭和基地だった。命がけなのに意外と計画は大雑把。ただ、南極でも敗戦国日本の肩身は狭く、南極本土ではなく海岸から5キロ離れた東オングル島になった。ここは強風からは逃れられるものの、本土へ行くにはいちいちヘリを飛ばさなくてはいけないから面倒だ。本土に基地を造ったら駄目と言われたのだろうか。
 1月29日、日本で最初のプレハブ建築が南極に建つ。プレハブっていいねと君が言うから1月29日は南極「昭和基地」設営記念日。
 現在は、管理棟の他、住居棟、発電棟、観測棟、衛星受信棟、焼却炉棟など53もの棟ができている。生活も長期に渡るため、医務棟や食堂、図書館、娯楽施設、郵便局など、ひととおりの設備が整っていて、日本の田舎よりも便利な暮らしができる。寒いのを我慢すれば。
 で、結局南極で何してるのという問いに対する答えは、ごくシンプルに言うなら、観測をしている、だ。気象はもちろん、天体や生物学、地球のことなどいろんなことを観察しているのだった。南極でないと見られないものもいろいろある。
 人員は越冬組と帰国組がいて入れ替わり立ち替わりしていて、合計すると60人ほどが観測隊員ということになるそうだ。想像してたより多い。もっとこぢんまりした施設だと思ってた。

 南極といえばやはりタロとジロのことに触れないわけにはいかない。
 極寒の地で物資を運ぶために犬ぞりが必要とのことで、樺太犬(からふといぬ)が選ばれた。体力があって、寒さに強く、少ない食事にも耐えて、指の間の毛が雪の上での行動に適しているからというのがその理由だった。
 1次隊と一緒に22頭の樺太犬が南極へと渡った。この中にまだ子犬だったタロとジロがいた。実はサブロという兄弟がいたのだけど、こいつは訓練中に腸を痛めて死んでしまったのだった。もし生きていたら、団子三兄弟よりも亀田三兄弟よりも早い樺太犬三兄弟として話題になっていたかもしれない。
 結果的に犬を置いてくることになってものすごい非難を浴びることになるのだけど、犬は道具としてではなく最初から家族同然の隊員として扱われていた。赤道を超えるときに暑さに弱い樺太犬のために冷房装備まで取り付けていったのだから。
 あまり知られてないネタとして、このときオスの三毛猫タケシくんも南極観測隊に参加している。オスの三毛猫はとても珍しくもあり、昔から船の守り神とされていることから一緒に連れていかれたようだ。彼は基地の中で働きもせずぬくぬくと過ごして、無事帰国している。
 越冬隊員と犬15頭を残し、いったん1次隊の半分は日本に帰っていき、その後2次隊を乗せてやてきた宗谷は、昭和基地の手前140キロで厚い氷に行く手をさえぎられて身動きが取れなくなってしまう。スクリューも破損し、天気は荒れて、ついに上陸を断念。1次隊のメンバーはどうにか救出したものの、15頭の犬たちを乗せる余裕はなかった。隊員たちを責めるのは簡単だけど、彼らの思いを想像するとなんとも切ない。
 一ヶ月後に自分たちが戻ってくると信じて、ひと月分の食料を置いて鎖に繋いで南極を後にする。しかし、戻ってこられたのはそれから一年後のことだった。
 タロとジロはどんなに飢えても仲間を食べたりはしなかった。ペンギンやアザラシのフンを食べたり、ときには兄弟でペンギンなどを狩っていたのではないかと言われている。実際、3次越冬隊によってその様子が目撃されている。
 タロジロ生存のニュースは日本国内にいち早く伝えられ、明るい話題として大変な評判となった。高倉健さん主演の『南極物語』は、ある一定の年齢以上の人なら一度くらいは観てるだろう。最近アメリカでリメイクもされた。
 生き残ったタロとジロは、再び南極へ行っている。もうこりごりと断らなかったのだろうか。ジロは1960年に南極で病気のため死に、帰国後はく製になった。タロは帰国してから北海道大学植物園で余生を過ごし15歳まで生きた。こちらもはく製になっている。タロとジロの子孫が今日本全国にいるという。
 現在の南極は生き物持ち込み禁止となっているので、もうタロとジロのようなことは起こらない。

 あなたは南極へ行ってみたいと思うだろうか? 私は少しだけ思う。マイナス40度の世界はバナナでクギが打てるから楽しそうだとかいう理由ではなく、あまり人が行ったことのない土地だからという理由で。
 ただ、宇宙ほど一般人お断りではないにしても、思い立ったらふらっと旅行に行けるような場所ではない。JTBの代理店へ行って、ちょっと南極まで2泊3日で行きたいんですけど、いいツアーないですか? などと訊ねたらこいつふざけてるなと思われて相手にしてもらえない。稀に日本の旅行会社でツアーを組むことがあるようだけど、やはり人数も集まらない分、めったになくてなおかつ高い。100万くらいするという話だ。もうひとつは、アルゼンチンまで飛行機で飛んで、そこから船で行くというツアーがあるようだ。それでも50万やそこらはかかるだろうけど、南極行きはそれほど非現実的な旅行ではないのかもしれない。
 南極観測隊の一員になるにはどうすればいいか? それは私には分からない。何か特別な育成コースとかがあるんだろうか。それとも一般公募したりするのか。
 かつて、まだ誰も日本人が南極へ行ったことがなかった時代、南極大陸冒険者募集で新聞にこんな広告が載った。その応募資格がこうだ。
 マイナス40度の寒さに耐えられること。
 堅忍不抜の精神を持っていて、多量の飲酒をせず、歯の力が強くて梅干しのタネをかみ砕くことが出来る者。
 家族のしがらみがなく、後顧の患いがない者。

 とりあえず私は梅干しのところで駄目だと思う。南極への道のりは遠い。
 遠い将来、地球温暖化が進むと、人類は南極や北極にしか住めなくなるという話がある。そのときは普通に行ける場所になっているのだろうか。けど、そこもオゾン層の破壊でやっぱり住めなくて、人類は寒さというものを忘れてしまう時代が来るかもしれない。そんなときはもう誰もタロとジロの話をしなくなるだろう。だからせめて私たちが彼らのことを覚えていよう。高倉健さんの名演技と共に。

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コメント
非公開コメント

タイトルで笑いました。

タロとジロはわかるけど
タケシってなんだって思ってたら猫だったんですね。

タロとジロ、一年経ったら、はじめは隊員の事を忘れてたって話でしたけど・・
あと他の行方不明の犬達は帰巣本能でどっかに行ったんですよね・・可哀相です。
あと隊員の条件に梅干の種を噛み砕けれる者って・・・

2007-01-26 11:45 | from ビアンキ

戦後生まれには無理?

★ビアンキさん

 こんにちは。
 タケシと聞くと、やっぱり思い浮かぶのはビートたけしかな?(^^;
 猫にタケシってちょっと珍しい名前かもしれないですね。
 ひらがなで「たけし」って書けばあるのかな。
 オスの三毛猫はすごく珍しいですからね。もし、野良でオスの三毛猫なんていたら、すごい争奪戦になります。(^^;

 タロとジロの話は、私は正直苦手というかつらいというか好きじゃない。
 感動秘話なんかじゃないですよね。
 最初はすぐに戻るつもりだったから仕方ないんだけど。
 けど、隊員の人たちもつらかっただろうなぁ。

 梅干しのタネをかみ砕くのは、戦後生まれの日本人には無理ですよね?(笑)

2007-01-26 21:42 | from オオタ | Edit

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