北区の成願寺のデザインはスタイリッシュで斬新 - 現身日和 【うつせみびより】

北区の成願寺のデザインはスタイリッシュで斬新

成願寺本堂

 名古屋市北区にある成願寺(じょうがんじ)が斬新なことになっている。
 近代に創建されたお寺ならともかく、745年に行基が開山したとも伝わる古刹がこのデザインというのが驚く。全面ガラス張りにドーム型の屋根が乗る本堂は特にスタイリッシュだ。



成願寺

 仁王門もガラス張りで、中に仁王像が立っている。
 建て替えられる前は普通の外観をしたお寺だった。どうしてこういうデザインで建てることになったのかは分からない。山田重忠が中興して800周年の2009年(平成21年)に現在の姿に生まれ変わった。

 山田重忠が再建した際に現在の慈眼山成願寺に改めたとされる。それ以前は常観寺という名前で、安食重頼の法号「常観坊隆憲」からとられたという。
 安食重頼は平安時代の武士で、尾張国安食荘(名古屋市北区)を本拠にしていた。
 源満政から七代の孫に当たり、いくつかの合戦で武功を挙げた。
 山田重忠は平安時代末から鎌倉時代前期にかけての武士・御家人で、山田荘を本拠にしていた。山田重忠に関しては以前書いた。
 山田重忠について私が書けることのすべて
 重忠が御家人に任じられたのが1185年くらいのことで、承久の乱で命を落とすのが1221年だから、成願寺として再建したのはその間のことだ。
 一時はかなり大きな寺院となっていたようだけど、その後没落したと伝わっている。
 それでもどこかの時点で立て直したのだろう。今もこうして立派に建っている。



成願寺説明書き

 寺の由緒書きも無粋な看板などを立てず、黒壁に直接プリントしている。美術館のようなおしゃれさだ。
 ここにもあるように、昭和5年(1930年)に始まる矢田川の付け替え工事にともない、矢田川、庄内川に挟まれた川中から現在地に移ってきた。
 矢田川の河川敷などは現在でも成願寺町となっている。



成願寺本堂

 本尊の十一面観世音菩薩立像は一木造で、平安時代前期もしくは中期の作とされている。行基作と寺伝にはあるそうだけど、それだと年代が合わない。
 高さは約1メートル60センチ。
 現存する仏像では名古屋最古ともいわれ、市の有形文化財に登録されている。
 残念ながら普段は厨子が閉まっていて姿を拝むことはできない。事前に電話予約すれば見せてもらえるようだ。
 本尊の他に、山田重忠像と伝わる像も所蔵している。

 信長の伝記『信長公記』で知られる太田牛一は、この寺で育ったとも、住職をしていたともいわれる。
 幼い頃にこの寺で育ったのは確かなようで、そのまま僧侶になって還俗したのか、寺は修行だけだったのか、そのあたりはよく分からない。
 根っからの文官のようなイメージがある牛一だけど、若い頃は弓の名手として知られ、数々の戦に参戦している。
 後半生は様々な武将の下で文官として務め、数々の伝記などを著した。
『信長公記』を完成させたのは80歳を超えてからということもあり、大事なところが抜け落ちていたり、少しおかしなことがあったりするものの、信長の人となりや実績を知る上で第一級の史料となっている。
 1613年に87歳くらいで死去したと伝わる。



ニャンコ先生と石仏

 あ、ニャンコ先生。
 
【アクセス】
 ・地下鉄上飯田線「上飯田駅」から徒歩約38分
 ・地下鉄名城線「黒川駅」から徒歩約48分
 ・黒川駅から市バスに乗って「中切町四丁目停留所」または「安井町停留所」下車。そこから徒歩
 ・駐車場 あり(無料)
 

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