くらがりの森といわれた闇之森八幡社も今は昔
2017-03-02|神社仏閣(Shrines and temples)

名古屋市中区正木の闇之森八幡社(くらがりのもりはちまんしゃ)。
街としては古渡ということになるだろうか。金山駅と東別院駅と尾頭橋駅を結んだ三角形の中に位置している。
今回訪れたきっかけは、名古屋十名所のうちのひとつだからという理由だった。
これまでにもいくつかこのブログで紹介した。1924年(大正13年)に新愛知新聞社(現中日新聞)が選定したもので、熱田神宮、名古屋城、笠寺観音、闇ノ森、榎ノ権現、櫻田勝景、圓頓寺、久屋金刀比羅、山田元大将之社、天理教々務支庁が選ばれている。
闇之森(くらがりのもり)という響きに惹かれたというのもある。
創建は平安時代後期の1163年と伝わっている。
一説では、源為朝(みなもとのためとも)が石清水八幡宮から勧請して創建したといい、境内に為朝の甲冑を埋めたとされる鎧塚がある。
ただ、源為朝はこの時期、保元の乱で敗れて伊豆大島に島流しにされているので、尾張で神社を建てるなんてことができたはずはない。
為朝の子供が島を脱出して尾張にやってきて、あれやこれやあって鬼頭を名乗るようになったという話があるから、神社の創建はそれの絡みかと思ったりもする。
そのあたりの詳しいことに関しては、近いうちに神社サイト(名古屋神社ガイド)で書くことにしたい。
今回は写真を中心にお届けします。


木製のいい蕃塀だ。


明治15年(1882年)に改造した社殿は、昭和20年(1945年)の空襲で焼失。
昭和22年(1947年)に再建がなるも、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で倒壊。
現在のものは昭和35年(1960年)に建て直されたものだ。
新しいものにしては風格がある。

明治44年(1911年)の狛犬。

尾頭神社。
このあたりの尾頭橋(おとうばし)という地名は、為朝の子とされる次郎義次が尾頭(おがしら)の姓を名乗ったことに始まるとされる。

福守稲荷社。

鳥居は続き、小さな奥の院もある。

御手洗池に片目の鮒がいて、掴まえて祈ったら治ったので、他の2匹とあわせて池に放したら、それらの鮒も片目になってしまったという逸話が『尾張名陽図絵』にある。

御手洗池の中には弁天社がある。

楠黒龍大神。

「その昔植ゑにしきぎの年を経て月さへもらぬくらがりの森」
江戸時代にそう歌われたという闇之森。月の光も届かないくらい暗いというくらいだから、鬱蒼と生い茂る鎮守の杜だったのだろう。
現在も街中とは思えないほど多くの木々があり、外界とは隔絶したような静けさがあるものの、さすがにくらがりの森というほどではない。むしろ陽気で明るい神社と感じた。寄り合い所帯で賑やかだ。
いい光が差していたこともあって、フォトジェニックな神社だと思った。撮りたいと思えるところがたくさんある。それもまた、いい神社の条件のひとつだ。
現代の名古屋十名所として推薦できるかといえばそれほどではないとしても、ちょっとオススメしたい神社ではある。
【アクセス】
・名鉄名古屋本線「尾頭橋駅」から徒歩約10分
・名鉄/JR/地下鉄「金山駅」から徒歩約15分
・駐車場 あり(無料/境内)
・拝観時間 終日
スポンサーリンク
- 関連記事ページ
- No Tag