名古屋市天白の島田地蔵寺に歴史あり - 現身日和 【うつせみびより】

名古屋市天白の島田地蔵寺に歴史あり

島田地蔵寺外観

 島田神社島田城跡に続く第三弾。今回は島田地蔵寺を紹介します。
 天白島田の歴史を語るなら、この3つはセットと考えた方がいい。
 島田地蔵寺は、島田神社と道一本隔てて隣り合わせになっている。ただ、入り口が少し遠いのですぐ隣という感じではない。寺はもともと、ここから600メートルほど東、現在の天白小学校のあたりにあったという。
 島田城築城が室町時代前期の1362年から1367年。島田神社は城の鬼門除けとして創建されたとされるから同時期だったと思われる。島田地蔵寺が建てられたのは1442年と伝わっている。
 建立したのは、斯波高経(しばかたつね/足利高経)の孫の樵山和尚(しょうざんおしょう)とされる。
 登場人物を整理すると、鎌倉街道の守りとして斯波高経が同族の牧氏に島田城築城を命じ、島田神社は牧氏が創建した可能性が高い。そして、島田地蔵寺を建てたのは斯波高経の孫ということになる。
 応仁の乱が始まるのが1467年だから、その25年ほど前のことだ。
 どうして管領までのぼりつめた斯波高経の孫が島田村で禅寺を開くことになったのかは、少し順を追って説明する必要がある。

 斯波高経については島田城編のときに書いた。
 幕府の最高権力者から転がり落ちて、都落ちし、最後は追い詰められた越前の寺で病死した。
 高経が特に目をかけていたのが4男の義将(よしゆき)で、父の死後に許されて、室町幕府の初代、3代、5代、7代の管領を務め、越前・越中・信濃守護ともなった人物だった。
 樵山和尚の父親は、高経の5男・ 義種(よしたね)で、室町幕府の重職に就き、加賀・越前・若狭・信濃・山城の守護も務めた。
 大野斯波家の初代。
 1395年、3代将軍足利義満の出家に従って兄と共に仏門に入る。
 1408年、死去。享年57。
 嫡男ではなかったとはいえ樵山和尚はもともと武士だった。合戦での怪我が元だったのか、思うところがあったのか出家して僧侶となる道を選んだ。越前(福井県)の永平寺で修行したと伝わっている。それ以前は源種国(みなもとのたねくに)と名乗っていたようだ。
 義種の嫡男・満種(みつたね)は加賀守護を務めるなどするも、その後失脚して高野山に入ってしまう。この後、斯波家は世襲が上手くないなかったこともあり、幕府内において勢力がだんだん弱くなっていくことになる。
 ついでに書くと、樵山和尚や満種の母は、千秋高範の娘で、熱田神宮の大宮司だった藤原季範の末裔に当たる。藤原季範の娘・由良御前(ゆらごぜん)は源義朝の正室となって源頼朝を産んでいるから、樵山和尚はその流れをくんでいることになる。

 樵山和尚が永平寺からこの地にやってきて寺を開いたのは、斯波氏一門の牧氏ゆかりの地だったからというのと、このあたりが熱田神宮大宮司の千秋家の土地で、その招きもあったからとされている。
 少し南へ行った野並に、千秋家代々の墓がある。
 創建時はこれより東にあり、島田山広徳院と称していた。永平寺の末寺ということで曹洞宗の禅寺ということになる。
 1491年に天白川の氾濫で堂が倒壊。
 1500年、鳴海の瑞泉寺の秀建和尚が本堂を再建。島田山地蔵寺と改称。現在地に移されたのはこのときだろうか。
 1541年、牧義次が堂を修造。
 1560年、桶狭間の戦いの際、今川軍によって火を放たれ焼失。
 その後、牧義汎が再建する。このとき、古厩山地蔵寺と改称した。
 島田地蔵寺は牧家の菩提寺にもなっている。



島田地蔵寺

 島田地蔵寺を紹介するとき、必ず出てくるのが熊坂長範(くまさか ちょうはん)の盗馬毛換え伝説だ。
 平安時代に生きたとされる伝説の大盗賊で、東海から信州、北陸にかけて多くの逸話が残されており、たびたび芝居や物語の主人公にもなっている。
 その中で島田地蔵寺に伝わるエピソードはこんなものだ。
 もともと善人だった熊坂長範はほんの出来心で身内の馬を盗んで売ったら知られずに上手くいったことに味を占めてしまう。それなら金持ちから盗んでやろうと思いついたものの、そのままでは盗んだ馬ということがバレてしまう。そこで、島田にあった地蔵尊に馬の毛の色を変えてくれと頼んだらその通りになって、売りさばくことに成功。いつしか大盗賊となっていた。
 島田には地蔵寺ができる前から地蔵信仰があったようで、島田地蔵寺にある地蔵像は、平安時代の僧・恵心僧都源信(942年-1017年)の作と伝わっている。もともとこの地蔵があったのが天白小学校のあたりだったという。
 この話が伝わり、いつしかその地蔵は毛替地蔵と呼ばれるようになった。馬の毛の色が変えられるくらいなら人間の髪の毛もどうにかなるんじゃないかと、髪の悩みについての相談を受けるようになっていく。きれいな髪になりますようにとか、白髪が減りますようにとか、あげくの果てにはもっと髪が増えますようにとかいった願い事をしに地蔵のところにやってくる人間が大勢いたのだとか。
 その後、熊坂長範は改心して、手に入れたお金を庶民に分け与え、自分は出家して僧になったという後日談がある。お寺に伝わる話ということで、これがないと地蔵が単に泥棒の手助けをしただけのエピソードになってしまうから、それはまずいということだったのだろう。



島田地蔵寺本堂

 本尊の阿弥陀如来像は、平安時代後期に活躍した仏師・定朝(じょうちょう)の作とされる。
 その他、東海地方で最古とされる掛軸の地蔵尊も所蔵するという。
 お願いすれば見せてもらえるのかもしれないけど、このときはほぼ予備知識なしに出向いたので、外観を撮るだけで終わってしまった。

 8月には提灯祭りが行われる。
 戦国時代の1570年。日照りが続いて困り果てた村人たちは地蔵に雨を降らせてくださいとお願いしたところ雨が降ってきて大助かりしたということで、それ以来、提灯を奉納するようになり、いつしか祭りに発展していったのだとか。
 夜、奉納する提灯を持った人たちが列を作ってお寺に向かい、境内では盆踊りや太鼓の演奏なども行われ、夜店が並んであたり一帯が賑わいを見せるという。



島田地蔵寺参道

 今回は天白島田三部作と名付けて島田の歴史を紹介してみました。
 近所に歴史ありとあらためて思った今回の島田行きだった。
 
【アクセス】
 ・地下鉄鶴舞線「塩釜口駅」または「植田駅」から徒歩約30分。
 ・駐車場 あり(無料)
 ・拝観時間 不明(たぶん夕方には閉まる)

 島田地蔵寺webサイト
 

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