天白区の島田神社を訪ねる - 現身日和 【うつせみびより】

天白区の島田神社を訪ねる

島田神社裏入り口

 名古屋市天白区の島田から野並にかけてのエリアの神社、旧跡巡りをしてきた。
 その中から今回は島田神社を紹介します。
 島田神社について語るためには島田城島田地蔵寺をセットにしないといけないのだけど、いっぺんに書くのは大変なので3回に分けて紹介するくことにしたい。
 室町時代前期、南北朝時代の武将で守護大名だった斯波高経(しば たかつね)が島田城を築城した際、城の鬼門除けとして熊野権現を勧請して祀ったのが島田神社の始まりとされる。貞治年間というから1362年から1367年の間ということになる。
 島田にとって斯波高経は重要なキーパーソンだから詳しく説明する必要があるのだけど、それは島田城編のときに書くことにする。

 上の写真は島田神社の北入口で、本来の入り口ではない。59号線を行っていたら発見したのでここから入ってしまった。59号と平行して南東を走っている細い道が旧道だろう。南鳥居はそちらに面している。



島田神社手水舎

 岩から水が湧き出していて、それが手水舎になっている。あたりに水道らしきものは見当たらなかったから湧き水なのだろう。

 ずっと昔、伊勢湾は今よりもずっと内陸まで深く切れ込んでいて、天白のあたりは入り江だったらしい。
 その後、川が運んだ土砂などで陸地が増え、奈良時代あたりにはこのあたりは年魚市潟(あゆちがた)と呼ばれる広大な干潟(ひがた)が広がっていたという(あゆちは愛知の名前の由来になったとされる)。
 熱田の湊から野並あたりにかけてが干潟の海岸線で、沿岸に沿ってできた道がのちに鎌倉街道(鎌倉と京都を結ぶ道の通称)と呼ばれるようになる。現在の天白川は干潟の名残だそうだ。
 島田城は、そんな街道を守る要として築かれた。
 応仁の乱が始まるのが1467年だから、ちょうど100年前のことだ。その応仁の乱の原因の一端を作ることになるのが斯波氏なのだけど、この頃はまだそんなことは想像していなかっただろう。
 築いたといっても斯波高経自らが城主となったわけではなく、同じ一族の牧氏に島田城を守らせていたようだ。斯波高経といえば、尾張・遠江・越前の守護であり室町幕府管領なので、一地方の小さな城を守っているような立場の人物ではない。
 島田神社を創建したのも同時期だろうと予想はするけど、はっきりとした創建のいきさつなどは伝わっていない。神社の創建は牧氏によるものという可能性もある。



島田神社拝殿

 それにしても、どうして城の鬼門除けとして選んだのが熊野権現だったのだろうか。城の鬼門除けに熊野権現を祀ること自体は他でもあることだから不自然ではないとしても、斯波氏といえば足利一門の名門だ、熊野信仰とはあまり関係があるとも思えない。平安時代以降、熊野詣が流行って貴族や皇族も通ったというから、ひょっとすると斯波高経も熊野を詣でたことがあって、特別な信心を抱いていたのだろうか。
 平安時代から鎌倉時代を経て室町時代に生きていた人たちにとって熊野権現というのはどういう存在だったのか。長く続いた北条氏の鎌倉幕府が滅んで、建武の新政から室町幕府が誕生したこの時期、城を建てることや神社を創建することにどういう意義を見出していたのか。
 そのあたりの感覚を共有できないことがもどかしい。



島田神社南鳥居入り口

 違う入り口から入ると気分が落ち着かないから、いったん外に出て、正式な南鳥居をくぐって入り直した。
 こちらから見る島田神社は立派だ。北から入るのとでは全然印象が違う。



島田神社鳥居と参道




島田神社社殿

 明治の神仏分離令で隣接する島田地蔵寺と切り離される。
 1909年(明治42年)、近くにあった神明社、八幡社、天神社と合祀され、その後、黒石の山神社と天神社を合祀しときにいったん黒石に移っている。
 1923年(大正12年)、今の場所に戻る。
 1926年(大正15年/昭和元年)、天神社と秋葉社を合祀し、島田神社に改称。
 現在の主祭神は、イザナギ(伊邪那岐命)、イザナミ(伊邪那美命)となっている。
 その他、事解之男命(コトサカノオ)、速玉之男(ハヤタマノオ)、天照大神(アマテラス)、大山秖神(オオヤマツミ)、鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズ)、応神天皇(ホムタワケ)、少彦名神(スクナヒコ)を祀っている。
 コトサカノオとハヤタマノオは熊野の神だから、これがもともとの祭神だったかもしれない。



島田神社天神社

 境内社の天神社は別扱いで祀られている。
 拝殿前には菅原道真が5歳のときに詠んだとされる和歌の石碑が建っている。

 美しや 紅の色なる 梅の花
  あこが顔にも つけたくぞある


 5歳から梅好きでこんな詩を詠んでいた菅原道真はやっぱりただ者ではなかった。
 ついで書くと、その道真の師匠は島田忠臣(しまだ の ただおみ)という人で、平安時代前期の貴族であり、この時代を代表する漢詩の詩人だった。道真は島田忠臣の娘・宣来子(のぶきこ)と結婚しているから、舅でもある。
 祖父の島田清田(しまだ の きよた)は尾張の士族だったとされる人物で、都に登って官僚となり、伊賀守にまでなった立身出世の人だった。
 この島田一族が天白の島田と関係があるのかどうかは分からない。島田忠臣は今生天皇の直系祖先とされる。



島田神社鷽替え

 新しい鷽替えの石像があった。最近新調したものだろうか。
 鷽替え(うそかえ)というのは、鷽(ウソ)を嘘(うそ)にたとえて、前年にあった悪い出来事は嘘だから今年はいい年にしようという発想の神事だ。各地の天満宮で行われている。
 道真が神事を執り行おうとしていたとき、たくさんの蜂に囲まれてピンチのときにウソ(鷽)が飛んできて、蜂を食べてくれて事なきを得たことが鷽替えの由来とされている。
 ただ、神事が始まったのは江戸時代からということで、この説はやや怪しい。
 ウソ(鷽)という鳥がいるのは本当だ。「うそ」は口笛を意味する古語で、人の口笛のような声で鳴くことから名付けられた。

 島田城編につづく。
 
【アクセス】
 ・地下鉄鶴舞線「塩釜口駅」から徒歩約30分。
 ・駐車場 あり(無料)
 ・拝観時間 終日
 

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