守山区の寺巡り ---利海寺と浄土院 - 現身日和 【うつせみびより】

守山区の寺巡り ---利海寺と浄土院

利海寺入り口

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 名古屋市守山区西城(にししろ)にある利海寺(りかいじ)。
 守山区の「城跡と寺社めぐりコース」の中にあったので行ってみることにした。
 場所は守山中学の西で、浄土院と並んで建っている。
 西城という地名は、戦国時代にあった小幡城の西ということで付けられたのだろう。それなら城西の方がよかったんじゃないかと思わないでもないけど、名古屋城の西に城西という町名があるから、それと区別するためだろうか。ずっと「さいじょう」と読むのだと思い込んでいて、にししろと読むことを知ったのは今日のことだ。

 臨済宗妙心寺派の寺で、山号を安休山という。
 室町時代後期の元亀年間(1570-73年)に、中区の白林寺の和尚が開山したと伝わっている。そのときは明鏡山圓福寺といった。
 創建時は低地にあってたびたび庄内川の氾濫で被害を受けたとのことだ。
 江戸時代中期の1754年に今の高台に移され、名前も変わった。
 本尊は延命地蔵菩薩立像。



利海寺山門

 臨済宗妙心寺派の総本山は京都にある妙心寺だ。
 以前紹介した長慶寺は同じ臨済宗でも東福寺派なので派が違う。この何々派というのもよく分からないもので、どれくらいの違いがあるのか部外者にはうかがい知れない。
 臨済宗妙心寺派は、末寺3,400以上を持つ臨済宗最大の宗派だそうだ。



利海寺本堂と鐘楼




利海寺本堂屋根




利海寺鬼瓦




利海寺全景




浄土院山門

 続いて隣にある一条山浄土院を訪ねた。
 こちらはこぢんまりしたお寺さんという印象を受ける。境内に寺が経営する幼稚園がある。
 浄土院については創建年など、くわしいことは調べがつかなかった。本尊は浄土宗なので阿弥陀如来像だ。



浄土院本堂

 浄土宗は法然を祖とする仏教宗旨のひとつで、平安時代後期の1175年を始まりの年としている。法然43歳のときだ。
 ただひたすら「南無阿弥陀仏」をとなえて阿弥陀様に往生を祈るのが教えの根幹となっている。他力本願というやつだ。
 南無阿弥陀仏の南無は帰依するという意味で、阿弥陀様の言う通りといったところだろう。
 ちなみに、あみだくじ(阿弥陀籤)もこのあたりから来ていると思ったら少し違っていて、昔は真ん中から外に向かって放射状に線を書いて各自が選ぶというやり方で、それが阿弥陀如来の後光に似ているところから付けられた呼び方なんだとか。室町時代あたりにはすでに行われていたらしい。子供の頃、駄菓子屋で紐のついた飴を選ぶというのがあったけど、あれなどもあみだくじの原型のようなものといえるかもしれない。
 浄土宗と浄土真宗の違いについてだけど、もともとは同じ浄土宗から派生したもので、浄土真宗はのちに親鸞によって枝分かれしたものだ。同じく他力本願を根幹としながら決定的に違うのは、自分の力で往生しようなどと思わず、一切を阿弥陀様に委ねてしまおうという絶対他力が浄土真宗の基本的な考え方となっている。
 浄土宗の中でも鎮西義やら西山義やらあるのだけど、そのへんの詳しい差異についてはよく知らない。
 鎮西派の総本山が京都の知恩院で、東京の芝増上寺は大本山となっている。
 西山派の総本山は京都の永観堂禅林寺だ。
 浄土宗の学校としては、京都の佛教大学などがある。名古屋にある名門の東海中学校・高校もそうだ。
 浄土宗のことを調べると村上春樹の名前が引っかかってくる。京都生まれの村上春樹は、おじいさんが浄土宗西山派の寺で住職をしていたのだとか。学校の先生だった父親も僧侶のようなことをしていたらしい。



浄土院門前の地蔵

 地元の史跡巡りは続く。

【アクセス】
 ・名鉄瀬戸線「瓢箪山駅」から徒歩約15分。
 ・ゆとりーとライン「金屋」から徒歩約15分。
 ・無料駐車場 あり
 ・拝観時間 終日
 

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