長久手前熊の多度神社は本当に多度神社だったのか - 現身日和 【うつせみびより】

長久手前熊の多度神社は本当に多度神社だったのか

前熊多度神社

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 愛知県長久手市の前熊にある多度神社を訪ねたのは、去年2016年の6月だった。なので、今年の初詣に行ったわけではない。
 香流川沿いを通ってモリコロパークへ行くときに横を通るから一度や二度は行ってブログにも書いたつもりでいたら、まだ行ったことがなかった。ちゃんと参拝して写真を撮ったまではよかったのだけど、半年も放置してしまっていた。
 行ったつもりになっていた理由として、同じ長久手市の神門前にある神明社に社殿などが似ているせいもあるかもしれない。少し変わった造りになっていて、それがよく似ている。二つの社殿建築を手がけたところが同じなのだろうか。
 前熊の多度神社に関しては、創建年も由緒もよく分かっておらず、資料もほとんどないようだから、書くことがあまりない。創建は江戸時代ではないかと予想はするけど、それも想像でしかない。
 この神社について書くことがあるとすれば二つ。一つは天王祭りで、もう一つは入り口の鳥居についてだ。



多度神社鳥居

 入り口の鳥居は明神鳥居で、江戸時代前期の1661年に建立されたと記録に残っている。愛知県内で江戸時代前期の石造鳥居が残っているところは少ない。
 けど、どうして明神鳥居なのだろうという疑問を抱く。多度大社の祭神はアマツヒコネ(天津彦根命)で、アマテラスの子供なので神明系に属しているはずだ。多度大社の鳥居は神明鳥居だし、尾張旭市にある多度神社もそうだった。他の多度神社でも明神鳥居のところはあるのだろうか。あるいは、創建時は多度神社ではなかったという可能性も考えられるか。
 そのあたりについても、今後何か分かれば追記したいと思う。



多度神社社殿

 ここ前熊多度神社の祭神はアマツヒコネではなく、その子供の天目一箇神(アメノマヒトツ)が祀られているのではないかという。その根拠はよく分からない。
 天目一箇神は、多度大社の別宮・一目連神社で祀られている一目連(いちもくれん、ひとつめのむらじ)と同一神だとか違うとか、ややはっきりしないところがある。
『日本書紀』などでは鍛冶を担当している場面がよく描かれていることから、鍛冶や製鉄の神という位置づけだ。長久手のこの辺りで鍛冶の神様を祀るというのはどういう経緯からだったのだろう。何故アマツヒコネではなくアメノマヒトツだったのか。明神鳥居であることを考え合わせると、何か事情がありそうではある。



多度神社神楽殿




多度神社神楽殿拝殿




多度神社社殿を斜めから見る




多度神社林




多度神社境内

 書くべきもう一つ、天王祭りについて。
 合祀されている津島神社(天王社)の祭りで、毎年7月、山車を曳いて町内を練り歩く。
 この山車はけっこう古いもののようで、古出来町の東之切から譲り受けたとか、大森八剱神社から購入したなどの話があるようだけど、はっきりしたことは分かっていないようだ。
 大正時代までは近くの前熊寺の境内にあった天王社の祭りの際に曳かれていたそうだ。歴史は400年近くになるという。
 10月には警固祭りが行われ、多度神社の辺りも通る。
 警固祭りも同じくらいの歴史があるもので、この地方特有のものだ。馬の背に標具(ダシ)を乗せて飾ったオマント(馬の塔)を中心に、それを守る鉄砲隊や棒隊が列を作って練り歩く。その途中、神社などで鉄砲隊が火縄銃を発砲し、棒隊は棒の手を奉納する。
 以前に一度、尾張旭市の渋川神社で棒の手を見たことがある。いくつかの保存会が作られていて、秋祭りではあちこちで奉納されている。ただ、去年長久手で大きな事故があったから、今後どうなっていくのか少し心配だ。

 これで長久手の主立った神社はすべて紹介したように思う。式内社とされる石作神社や、神仏習合の名残が色濃い岩作御嶽神社など、印象に残る神社がいくつかあった。

【アクセス】
 ・リニモ「公園西駅」から徒歩約30分
 ・リニモ「芸大通駅」からNバスに乗って前寺公民館停留所下車。
 ・無料駐車場 駐車スペースあり
 ・拝観時間 終日
 

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