実はけっこうすごいお寺だった久国寺 - 現身日和 【うつせみびより】

実はけっこうすごいお寺だった久国寺

久国寺入り口

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 名古屋市北区の久国寺(きゅうこくじ)は2006年に一度訪れたことがある。
 大晦日は久国寺に10億円の岡本太郎鐘をつきにいこう
 そのときは岡本太郎が制作した梵鐘があるということで出向いたのだけど、鐘に気を取られすぎて久国寺そのものをほとんど見ていなかった。
 あれから10年の歳月が流れ、今回再訪しようと思ったのは、浅野祥雲の観音像があることを知ったからだった。当時は浅野祥雲を知らなかったので観音像にも目がいっていなかった。そんなものがあったことにさえ気づいていない。
 名鉄瀬戸線の清水駅が最寄り駅になる。駅から歩いて7、8分だろうと思う。車なら無料駐車場がある。



久国寺本堂

 江戸幕府が開かれる前の1600年頃、三河岡崎にある松平家の菩提寺、法蔵寺から家康の守護仏を譲り受けた長国守養が楠山久国寺を創建したのが始まりとされる。
 江戸時代前期の1662年、安祥長盛和尚が今の場所に移して名古屋城の鬼門除けとした。その際、山号を天長山とあらためている。
 曹洞宗。
 岡本太郎の鐘によって知られているこの久国寺だけど、行基作と伝わる本尊の聖観音菩薩や、弘法大師作ともいわれる子育観世音菩薩などがあり、尾張徳川家ともゆかりのあったなかなかのお寺なのだ。
 江戸時代中期の天明年間(1781-1789年)に二度の火事で焼けるも再建され、明治時代までは数十人の雲水がこの寺で修行していたという。
 1945年、名古屋大空襲で全焼。古い建物は残っておらず、現在のお堂などは戦後に建て直されたものだ。



久国寺屋根の鳳凰




久国寺岡本太郎鐘

 岡本太郎の鐘については前回書いた。
 先代の住職が知り合いのつてを頼って依頼して制作してもらったというのが経緯のようだ。
 完成したのは1965年(昭和40年)だから、大坂万博(1970年)の5年前ということになる。尖った部分はトゲではなく人の手を表しているということで、のちに作られる太陽の塔に通じる部分が見てとれる。
 タイトルは「歓喜の鐘」。
「私は今までにない鐘、人が見たら、あっと腰を抜かすような鐘を作らなければならないと思った」と岡本太郎は語ったそうだ。この姿には依頼した住職も初めて見たときはびっくりしたことだろう。



岡本太郎鐘近接

 鑑定額は10億円。そんな鐘が無造作に吊されていることに少し驚くけど、こんなに重たいものはそう簡単に持ってはいけないから安心ということだろうか。
 このお寺、大らかなのか、触るなとも書いてないし、誰でも近づいて触りたい放題の状態になっている。さすられたからか、歳月のせいか、10年前と比べて表面の彫りが浅くなっていた。以前はもっと凹凸があって彫りもしっかりしていたと思う。
 この鐘は岡本太郎が曼陀羅をイメージしたもので、仏や動物、妖怪などの彫刻が施されている。
 トゲトゲの効果まで計算したのかどうかは分からないけど、他の鐘とは違った響き方をするらしい。YouTubeで映像を見てみたら、不思議な波打ち感があって、かなり独特だ。岡本太郎はそれを宇宙へ届ける音と言った。
 大晦日の日、除夜の鐘で108人限定でつくことができるらしい。夜の9時くらいから列ができるというからつきたい人は少し早めに行く必要がありそうだ。



岡本太郎の銘




浅野祥雲観音像

 これが浅野祥雲作の護国観音像だ。太平洋戦争の戦没者慰霊のために建立されたものだそうだ。
 作られたのがいつだったのか調べがつかなかった。浅野祥雲は戦前からコンクリート像を作っていて、わりと長い期間制作している。戦後には違いないけど、昭和30年代なのか40年代なのか。
 同じような観音像は関ヶ原ウォーランドにもあった。あちらの開園は1964年(昭和39年)だけど、それより前のような気がする。
 昭和30年頃、久国寺は名古屋市観光協会の後援を受けて大名古屋十二支(七福神めぐりに代わって始められた12の札所巡り)のひとつになっているから、そのときかもしれない。



浅野祥雲観音像水鏡




久国寺社

 境内に小さな社があった。稲荷社とかだろうか。

 岡本太郎と浅野祥雲と行基と弘法大師が出会う寺などめったにあるものではない。そんな久国寺にぜひ出向いていってほしいと思う。
 

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