写真ノート<43> ---写真の嘘 - 現身日和 【うつせみびより】

写真ノート<43> ---写真の嘘

道ばたの人形

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 写真は嘘か誠か? 誠でもあり嘘でもある。嘘でもあり誠でもあると言った方がいいか。
 目の前にある現実しか写らないという意味では真実だけど、ある場面のある瞬間を切り取ることで写真はある特定の意味を持つようになる。嘘ではないにしても、それは限定された真実だ。
 無意識の嘘があり、意識的な嘘がある。
 たとえば、目がかゆくて手で目をこすったシーンを撮って「泣いている人」というキャプションをつければ、それは泣いている人を撮った写真になってしまう。周りに大勢の人がいる中でたまたま横に並んだ男女の手と手が触れた瞬間を切り取って手つなぎデートの場面とすることだってできてしまう。写真はそういうあやうさをはらんでいる。キャパの「崩れ落ちる兵士」のエピソードなどはその典型的な例だろう。

 素敵な夢を見させてくれるのが写真なのだから、少しくらいの嘘があってもかまわないという考え方もある。その意見には私も賛成だ。写真が絶対非演出の絶対的真実でなければならないといったような考え方は持っていない。ただ、世の中にいい嘘と悪い嘘があるように、写真にもいい嘘と悪い嘘がある。そこを正しく区別する必要がある。厚化粧をしたようなデジタル写真も、私は悪い嘘の範疇に入ると思っている。
 夕焼け写真を撮ったけど思ったほど空が焼けずに物足りないとき、レタッチソフトでホワイトバランスをいじって印象的な夕焼け空を作ることはできる。でもそれは嘘か本当かでいえば嘘だ。写真を見た人にとってホワイトバランスをどうしようが関係ないとしても、撮り手の嘘はどこかでばれるような気がする。本物の夕焼け空を撮りたければ何度でも通って本物の夕焼けを撮ればいい。その方が写真としての説得力もあるはずだ。
 自分の写真以上によく見せようとすると、写真はどんどん真実から遠ざかっていってしまうだろう。

 要するに安易に嘘をついて写真を飾ってはいけないということだ。
 写真はときとして見た目を超える。夜景写真などは特にそうで、肉眼で見るよりも写真に写した方がずっときれいに見える。ただ、それは悪い嘘ではない。それが写真の持つ力のひとつであり、現実を超えていくことが写真の使命でもあるからだ。写真は現実のコピーとは違う。
 最初に書いたように、写真はある場面のある瞬間を写しとめることであらたな真実として提出される。もともと嘘なのだからどんな嘘も許されるだろうという考え方は間違っている。嘘だとしても、いや嘘だからこそ、ぎりぎりまで誠実でなければならないのだ。
 何がいい嘘で何が悪い嘘かはそれぞれが自問自答して決めるしかない。境界線は時と場合によって変わったりもする。
 それでも、結局のところ、嘘のない写真を目指すことがもっとも自分のためになるのではないかと、近頃の私は考えるようになってきた。人に褒められるいい写真や、誰かを感心させるカッコイイ写真などへの憧れはできるだけ捨てて、素直な心でありのままを撮ることだ。大切なのはどう撮るかよりも何を撮るかだという当たり前のことにあらためて思い至ったところだ。
 中級者、上級者といったレベルになると、どうしても欲が出るし、人とは違う写真を撮ってやるという虚栄心にとりつかれがちだ。それは向上心とは似て非なるもので、いい写真を撮りたいという思いが写真を歪ませることもある。フォトコンなんかをやっていると特にそうなりがちだ。知らず知らずのうちに嘘が上手くなり、嘘をつくことに慣れてしまう。そうして、自分は人より撮れる人間だと思い込む。そうなってしまうと、何が大事なことを置き忘れている。
 嘘のない写真とは何か? それは誤魔化しがなく、誰に対しても恥じるところのない写真だ。撮ったままの写真をそのまま人に渡すことができるか、と自らに問いかけてみれば分かる。
 写真は現場で完成していることが望ましいというのはそういうことでもある。家に帰ってからレタッチで仕上げればなんとかなるといった態度だとしたら、そこには不純な嘘が混じっている。

 写真の真実ってなんだろう? という問いかけはテーマが大きすぎてすぐには答えられないのが普通だ。でも、自分にとって写真の真実ってなんだろうという問いかけは常にしておく必要がある。写真をやっている人間なら、どうしても撮りたい写真の一枚や二枚は頭の中にあるはずだ。それこそが自分にとっての写真の真実ということになるだろう。現実問題として撮れる撮れないは別にして。
 嘘をつかないことで自分の写真がこれまでよりもつまらないものに感じられるようになってしまうかもしれない。でも、それでかまわないではないか。嘘のない正直な写真こそが至高なのだと私は思う。
 写真の質を上げるためには、撮り手である自分自身を高めるより他に道はない。自分のレベルが上がれば写真のレベルも上がる。
 写真は等身大の自分を映す鏡でありたい。取り繕った自分を本来の自分と思い込んではいけない。
 

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