稲葉地配水塔は二度生まれ変わってアクテノンになる - 現身日和 【うつせみびより】

稲葉地配水塔は二度生まれ変わってアクテノンになる

稲葉地公園

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 名古屋市中村区の稲葉地公園に、ギリシャ神殿を思わせるような白亜の建物がある。名古屋市演劇練習館。愛称のアクテノンは公募で決まったという。
 その存在を知ったのは、都市景観重要建築物の一覧を見ていたときだった。あちこちめぐって有名どころはだいたい知っているつもりでも、まだまだ知らないところや行っていないところがけっこうある。特に中村区、中川区、港区、南区あたりの南西部は行けていないところが多い。
 稲葉地公園の最寄り駅は、地下鉄東山線の中村公園駅になる。距離が1キロくらいあるから、歩くと15分から20分はかかりそうだ。駐車場はある。
 公園の前の通り、太閤通は中村生まれの太閤秀吉から来ている。中村公園はこれまで何度も訪れていて、このブログでもちょくちょく登場している。
 公園の前の通りを1.5キロほど西へ行くと凌雲寺と神明社がある。かつて織田信光(津田豊後守信光)が築いた稲葉地城があったとされる場所だ。織田信光は信長の伯父で、信長の父・信秀の弟に当たる人物だ。信長が家督を継いだあと、信長と敵対していた織田信友から清洲城を奪って信長に提供したといわれている。
 このあたりの地名の城屋敷町というのは稲葉地城から来ているのだろう。



アクテノン正面

 最初から演劇練習用に建てられたものではなく、本来は配水塔として建てられたものだった。
 1937年(昭和12年)、稲葉地配水塔として建築されるも、使われたのはわずかに7年間で、1944年(昭和19年)には早くも廃止されてしまう。近くの大治浄水場が整備されたことで必要がなくなったのだという。
 そもそもの計画段階から怪しかった。最初は塔の上の貯水槽を590立方メートルにすることで設計したのに、やっぱりそれじゃあ全然足りないだろうということになり、途中で貯水槽の容量が4,000立方メートルに変更されてしまったからたまらない。胴体の部分に対して頭でっかちになってしまった貯水槽を支えるために周囲に直径1.5メートルの柱を16本追加することにした。結果的に斬新なデザインとなり、地域のランドマークとして親しまれることになるのだから何が幸いするか分からない。
 長らく使い道がないまま放置されたあと、1965年(昭和40年)に中村図書館として生まれ変わることになる。
 しかしそれも1991年(平成3年)までのこと。図書館が中村公園文化プラザに移転して、また空き家になってしまう。
 思いがけないところから思いがけない形で使われることになったのは、名古屋の劇団「劇座」の主宰者である天野鎮雄氏が、名古屋って演劇の練習をする場所があんまりないですよと、当時の名古屋市長だった西尾武喜氏との対談の中でこぼしたひと言がきっかけだった。ああ、それならいい建物が空いてるよという話になり、旧稲葉地配水塔は中村図書館時代を経て演劇練習場アクテノンへと再び生まれ変わることになる。それが1995年(平成7年)のことだ。
 高さ約31メートル。直径33メートルの円柱形で、地上5階、地下1階。
 1989年(平成元年)の第一回「都市景観重要建築物」に指定された他、2014年(平成26年)には、土木学会により土木学会選奨土木遺産に認定されている。



アクテノン見上げる

 ぐるりと一周回ってあちこちから写真を撮る。



アクテノン裏手




アクテノン横から

 演劇人らしき人たちがひっきりなしに出たり入ったりしていた。
 5階部分のリハーサル室の他、5室の大練習室、3室の小練習室、研修室と和室が1室ずつあり、稼働率は常に90パーセントを超えているのだとか。演劇以外にも楽器の練習などで使っている人もけっこういるそうだ。
 一般人は入っていけないと思って入らなかったのだけど、1階部分だけは入っていいらしい。自販機のある休憩スペースやちょっとした資料館などがあるようだ。
 一回見れば充分だけど一見の価値はあるアクテノン。近くに行った際は立ち寄ってみることをおすすめしたい。生で見ると意外にでかい。
 

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