光と風と変化と---モネが見た睡蓮とぬっくん疑惑 2006年12月20日(水) - 現身日和 【うつせみびより】

光と風と変化と---モネが見た睡蓮とぬっくん疑惑 2006年12月20日(水)

冬の温帯スイレン

Canon EOS Kiss Digital N+TAMRON SP 90mm(f2.8), f5.6, 1/100s(絞り優先)



 へー、冬でもスイレンって普通に咲くものなんだ。
 ときどき自分で自分のお間抜けさにあきれることがあるけど、このときもそうだった。冬にスイレンが咲くかよ。どう考えても温水だろう。ぬくみずじゃないぞ、おんすい、だ。ああ、そうか、温水ね、だから冬でも外で咲けるんだね。
 冬の東山植物園で、ひとりヤヌスの鏡の芝居をする私であった。
 実際に水を触って確かめたわけではないけど、おそらく温水なんだと思う。そうじゃなければ、この時期こんなに花は咲いてないはずだ。それとも、今年は暖かいし、日本の風土に慣れてこれくらの寒さならへっちゃらで咲けるように進化したのだろうか。ぬっくんなんてお呼びじゃない?

 スイレンというとなんとなく東洋的なイメージがあるけど、実際はエジプトなどが原産で、世界の熱帯や亜熱帯にかけて広く分布する異国の花だ。日本には白くて小さなヒツジグサ1種が自生しているだけで、世界では40種類ほどの原種が知られている。品種改良も、日本よりもむしろヨーロッパで盛んに行われているそうだ。
 睡蓮は大きく分けると温帯性と熱帯性があり、温帯は欧米や日本でよく流通するもので、熱帯は東南アジアなどで出回っている。日本に入ってきたのは明治になってからで、大正から昭和にかけて少し流通したものの、第二次大戦で多くの原種が失われていったん下火になったあと、戦後しばらくしてからまた復活していった。熱帯魚ブームなどもあり、熱帯性のスイレンもたくさん入ってきている。
 温帯と熱帯の違いは、熱帯の方が水面から高々と顔を出して咲いているので分かる。根っこの形も違う。温帯性はすべて昼咲きで青や紫がなく、熱帯性にはナイルのほとりに咲く青いスイレンがある。古代エジプトでは、太陽の花と呼ばれる青いスイレンと、夜に咲く白いスイレンがあったという。エジプト人はスイレンを神聖なものとして大事にしていた。食卓に飾って姿だけでなく香りも楽しんだと言われている。
 お釈迦さまのスイレンは温帯性で、モネが描いたのも温帯性だ。エジプトの壁画には熱帯性のスイレンが描かれている。
 学名のニンファエア(Nymphaea)はラテン語で妖精を意味する。ヨーロッパなどでは妖精のイメージで捉えられてるようだ。
 日本の漢字では睡蓮となる。これは午後になると眠るように花を閉じるところからきている。イメージは眠り姫といったところだろうか。ヒツジグサは羊に似てるからではなく、未の刻に咲かせるところから来ているので未草となる。
 ヨーロッパではハスとスイレンをあまり厳密に区別してないようで、ひっくるめてロータスと呼んでいる。ロータス・ヨーロッパ・スペシャルだ(?)。アメリカでは、ハスがロータスで、スイレンはウォーターリリーになる。
 品種改良が盛んに行われるようになったのは比較的最近のことで、19世紀のフランスを中心にブームとなった。現在はアメリカ、イギリスなどでも専門家や愛好家が多いそうだ。アジアではタイでたくさん栽培されているらしい。
 近年は日本でも家庭でスイレンを育ててる人が増えている。関東から西では温帯性のものは越冬できるんだとか。

黄色スイレン

 スイレンというと、やはりモネの睡蓮を思い浮かべる人が多いだろう。睡蓮といえばモネ、モネといえば睡蓮というのは加藤芳郎キャプテンでも出さないくらい見え見えの連想だ。これなら江守徹でも正解できる。
 光のマエストロと呼ばれたクロード・モネは、晩年、何枚も何枚もジヴェルニーの池に浮かぶ睡蓮を描き続けた。描こうとしたのは睡蓮ではなく、時間や季節とともにとどまることなく移りかわっていく光と色の変化だったにしても、睡蓮が好きというのも当然あったのだろう。モネの生きた時代は、フランスにおける睡蓮の品種改良ブームの時期と重なる。
 1840年にパリに生まれたモネは、迷うことなく10代から画家を志した。しかし、印象派という新しすぎる画法は、当時の画壇に長く受け入れられることがなく、さんざん叩かれ相手にされなかった。印象派という呼び名は、モネの画『印象、日の出』から来ている。
 それでもモネはめげることなく自分の信じる画風で描き続けた。のちに印象派の画家と呼ばれるルノワール、セザンヌ、ゴーギャンたちはそれぞれ印象派を脱却して独自の画風を確立していったのに対して、モネだけは死ぬまで印象派であり続けた。
 貧乏暮らしの中でも妻のカミーユと息子のジャンという愛する家族がいて、モネの絵はいつでも明るい。特にカミーユとジャンを描いた『日傘をさす女』は、優しくて柔らかい光に包まれていて、見る者に向かって幸せな風が吹いてくるようだ。私はモネの絵の中でこれが一番好きだ。
 しかし、モネが38歳のとき、カミーユは32歳で死んでしまう。ベッドの中のカミーユを描いた『死の床のカミーユ』は、胸を打つ。青灰色で塗り込められた世界は、死そのものだ。見ること、観察することに生涯徹底的にこだわり抜いたモネだから描けたこの絵は、いいも悪いも突き抜けて、ただそこに存在している。カミーユの死に顔と共に。

 86歳まで生きるモネの生涯は、ここではまだ半分でもない。早くからモネの支援者だったオシュデの未亡人アリスと6人の子供と共に、各地をさまよい歩きながら絵を描き続けた。移り変わる光を追い求めて、何度も同じ風景を描き、やがてアリスとの結婚で大家族に囲まれ、また描き、そうやって自己を再生させながら、本当の意味で光を捕まえられるようになっていった。時代も変わり、ようやくモネの絵は認められるようになっていく。50歳のことだ。
 他の印象派の画家と同じく、モネも日本の浮世絵から多くの影響を受けた画家のひとりだ。その色づかいや大胆な構成にインスピレーションを得ていたという(大きな影響を与えたのが広重の「名所江戸百景・亀戸天神境内」だと言われている)。モネは特に日本のことも好きだったようで、日本風の庭園には藤を植え、池には太鼓橋を架け、インテリアは浮世絵に合わせた色づかいをしていたそうだ。
 睡蓮を盛んに描き始めたのはモネが57歳くらいの頃からだった。来る日も来る日も睡蓮の池の前に座り、光のある朝から日没まで描き続けた。捉えたかったのは、水面に映る光と色と変化だったのだろうか。モネは一瞬を切り取って定着させようとはしていない。絵の中に定着させようとしたのは、あくまでも変化そのものだった。だからいつも光が踊り、風が吹いている。水面というのはそういう意味で変化の象徴だったのかもしれない。
 生涯に描いた睡蓮の絵は200枚を超えている。

 以前、私が一番好きな画家はスーラだった。けど、今スーラの絵を見ると、すごく暗い。こんなに暗い絵だったのか驚くほどに。今はもっと明るい絵が好きだ。モネも前より好きになった。
 世界は光であり、光は色だということをモネがあらためて教えてくれる。そして、世界の本質は変化だということも。
 写真を撮っていると、光のありがたみを痛感する。光のない写真はどこか物足りなくて、光があるだけで平凡な風景が非凡なものとなる。だからいつでも光が欲しいと願ってしまう。けど、その前にもっときちんと光を捉えられるようにならなくてはいけない。そのためには、モネが言うように徹底的に観察することだ。光が見えたとき初めてシャッターを切るくらいにならないといけないのだろう。
 見る人の心に、明るくて穏やかで優しい光が差し込むような写真が理想だ。私もいつか、「日傘をさす女」を撮りたい。日傘の似合う人を募集してます。
 さあ、私たちも光を求めて太陽の下に繰り出そう。草原に、川に、池に、海に、街の中に、愛する人と共に。そこには風も吹いているだろう。とどまることなく移りゆく時間の中で、手を伸ばして一瞬を捕まえよう。それはもう二度と帰ることのないただ一度の一瞬だ。

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コメント
非公開コメント

高知には、モネの庭をそっくり再現した!土佐版「モネの庭」があります。
何でだか、よくはわかりませんが・・・

2006-12-21 18:44 | from superwildsoul

何故高知に

★superwildsoulさん

 こんにちは。
 高知にモネの庭があるんですね。知りませんでした。
 調べたら、こりゃあかなり本格的で立派なものなんですね。橋本大二郎知事まで開園式に参加してるし。(^^;
 坂本さんが好きな私としても、高知はぜひ一度訪れなければいけないところなので、そのときはモネの庭も行ってみたい。
 でも、なんで高知にモネなのかは謎のままです。(^^;

2006-12-22 03:04 | from オオタ | Edit

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