写真ノート<42> ---写真が上手くなるために考えるべき2つのこと - 現身日和 【うつせみびより】

写真ノート<42> ---写真が上手くなるために考えるべき2つのこと

庄内川土手夕景

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 上手い写真とはどういうことか?
 それは、空間と時間を支配しているということだ。
 空間とは構図であり、時間とは瞬間を意味する。それを意のままにコントロールできればいい写真が撮れるし、コントロールできなければいい写真は撮れないということになる。
 上手い写真を撮ることは誰にでもできる。理屈の上では。ただ、実際のところ、誰も彼もが上手く撮れるわけではない。それは一体どういうことかを考えてみたい。

 カメラ雑誌やカメラ本に書かれている写真が上手くなるための方法論は間違っているのではないかと私は思っている。間違ってはいないにしても、本質を突いていないのではないか。それは、書いている人たちがもとから上手かった人たちだからということと無関係ではない。
 写真家たちの中では、アマチュアや初心者にも分かりやすいように上から降りてきて丁寧に解説しているという意識があると思う。たとえばプロ野球の第一線で活躍している選手が草野球をやっているおじさんたちを教えているようなものを想像してみればいい。確かに理にかなった有益なアドバイスは与えられるだろうけど、できる人ができない人にものを教えることは思うほど簡単なことではない。
 むしろ、アマチュアの指導はアマチュアの指導者の方が向いているのではないか。何を教えるにしても、できないということがどういうことなのか、自分自身の感覚として理解できるからだ。
 写真の場合、優れたアマチュアの指導者といった存在はなかなかいない。たまたま身内や友だちに上手い人がいて教えてくれるなどということは少なそうだ。たいていの場合、本や雑誌で覚えるか、写真サークルに入るか、友人同士で撮るとか、そういったパターンになるだろう。つまり、ほとんどの人が誰からも教わることなく独学で写真を勉強して撮っている。それで本当に上手くなるものだろうか。毎週のように打ちっぱなしに出かけてたくさん球を打っているのにコースに出るとなかなか上手くいかないと嘆いているアマチュア・ゴルファーの姿と重なる。
 今回のこの話に限らず、どうして私が写真ノートを書こうと思ったのかというと、もともと撮れなかった私だからこそ同じように伸び悩んでいる人たちに対して何か役に立つことが書けるのではないかと考えたからだった。それは自分の撮っている写真を棚に上げないとできないことではあるし、説得力があるのかどうかもよく分かっていないのだけど、何かしらヒントくらいにはなってくれるのではないかという思いは持っている。このブログの2010年以前のページを見てもらえれば私がいかに撮れなかったか分かってもらえると思う。下手ではないにしても取るに足らないありきたりの写真しか撮れない時期が長く続いた。どうにかフォトコンにコンスタントに入選できるようになるまでに5、6年はかかっている。

 というわけでここからが今回の本題となる。写真が上手くなるには何をどうしたらいいのかがテーマとなる。やること自体は特に目新しいものではない。ただ、カメラ雑誌に書いているようなやり方では遠回りすぎるように感じるから、私なりの方法論といったものを書いてみたいと思う。
 たとえるなら予備校の講師が教える受験勉強のテクニックのようなものだ。教科書や参考書だけでいくら頑張って勉強しても偏差値の高い大学に入るのは難しい。受験という一点に絞って対策を練ることが入試攻略のコツであるように、写真上達にもある種の方法論があるように思う。内容については、これまで写真ノートに書いてきたことの繰り返しになる部分が多いけど、自分自身の頭を整理するためにも今一度まとめてみようと思う。
 今回の対象は、カメラの操作や写真用語をひと通り知っていて、ある程度撮れる初級から中級者といった人たちを想定している。分かりやすい目標として、フォトコンに入選する程度の写真を撮るにはどうしたらいいのかをメインテーマとしたい。

 まずやるべきことは、構図の勉強、研究、理解だ。
 とにかく構図をマスターすることが上手い写真を撮るための一番の早道だ。構図ができない撮り手はデッサンができない画家のようなもので、正しい写真にならない。構図は建物でいえば完成予定図のような感覚的なものではなく製図の部分に当たる。きちんと理屈を理解する必要がある。
 具体的にやるべきことは、プロの写真家の写真を真似ることだ。プロの写真家は例外なく(たぶん)正しい構図を理解している。だから真似しておけば間違いはない。それが正解なのだから、自分で正解を導き出すまでもない。どうしてその構図が正解なのかを考えると訳が分からなくなるからとりあえずそういうものだと飲み込むしかない。数学の方程式のようなものだ。
 構図の種類やパターンなどについてはカメラ本や雑誌でひと通り勉強しておく必要がある。覚えることは多くない。三分割とか、トンネルとか、S字とか、三角とか、空間の開け方みたいなことだ。
 プロの写真を真似ることは、習字を習うときにお手本となる字を並べながら真似をして書くことから始めるようなものだ。いきなり自分勝手に字を書き始めたりしない。そんなことをしたら我流の悪いクセがついてしまってあとから直すのが難しくなる。
 写真も同じなのにいきなり手本も見ずに自己流で撮り始めるから基礎ができない。写真は絵画におけるデッサンの勉強や訓練といった過程がない分、基礎を身につけるのが意外に難しい。だからこそ、プロの写真に学ぶ必要がある。画家が模写をするように、書家が臨書をするように、写真家はもっと模倣を大事にすべきではないのか。
 真似るときには、絞りとシャッタースピード、ISO感度なども見て覚えておくといい。ケース・スタディーとして、こういう場合は絞りやシャッタースピードをどれくらいにすればいいのか分かる。それもまた構図同様正解なので、そのまま覚えて真似ればいい。
 ぼんやりながめて、なんとなく同じようなものを撮るのではなく、はっきり同じものを撮るつもりで撮ることが大切だ。そこから学べることは多い。オリジナリティーなどというものは二の次三の次だ。
 一番勉強になるのは、写真家が撮影しているところを追いかけたドキュメンタリー番組だ。写真家がどういう場所で、どんなときに、どんなものを、どんなふうに撮っているかが分かるのはすごくためになる。かつて写真家たちの日本紀行というBSの番組があって、あれは本当によかった。The Photographersのような単発の番組あるけど、レギュラーの写真家番組の復活が望まれる。今はYouTubeニコニコ動画にも写真家関連の動画があるので、それらを見るのもいい。

 写真のよしあしを決めるもうひとつの要素が瞬間だ。
 いつシャッターを押せばいいのかが分かっている人間がいい写真を撮る。動くものに限らず動かないものでも撮るべき一瞬というものが存在する。そのことを理解しないままむやみに連写しても一瞬は捉えられない。いつ撮るかというのは、そういう1秒未満の話だけではない。
 いい写真を撮れない人の共通点は、どの瞬間を撮るのがベストなのかが分かっていない。あるいは瞬間に対する姿勢が甘い。
 本当に撮るべき写真は、最高の瞬間にこそある。プロとアマチュアの決定的な違いは、最高の瞬間を妥協するかしかないだ。プロは一枚のために準備期間も含めて多くの時間を費やす。アマチュアが一番プロに劣っているのはその点だ。
 誰にも想像しうる最高の瞬間というものがあるはずだ。そこを目指すか目指さないか。ほとんど実現不可能だとしても目指さなければ捉えることはできない。プロはその一点を目指し、捉えることができるからプロたり得ている。
 瞬間の大切さを繰り返し言いたい。いい瞬間を捉えさえすればいい写真になる。単純なことだ。もちろん、その単純なことが容易ではないからなかなかいい写真が撮れないのだけれど。
 最高の一瞬のためには、待つことや粘ること、通うことも必要になってくる。たとえば海の写真を撮るなら、晴れた青空がいいのか、夕焼けなのか、朝焼けなのか、夜の星空がいいのか。光は順光なのか逆光なのか。季節は春夏秋冬のいつがいいのか。最高の写真の可能性は、それらの要素をすべて合わせた数点の瞬間にしかない。
 たとえば人物写真における最高の瞬間とはいつか。被写体にもよるし、撮り手との関係性によっても違ってくるのだけど、笑顔なのか、真剣なまなざしなのか、日常のふとした表情なのか、寝顔か、泣き顔か。いい人物写真もまた、いい瞬間の中にしか存在しないものだ。
 私が撮っている道ばた写真などは瞬間は関係ないと思うかもしれないけどそうじゃない。何かが道に落ちている時間はごく短くて、私がそのときその場所に居合わせるというのも瞬間の出来事だ。だから私は道ばた写真も瞬間の出会いが大切だと思っている。

 プロの写真家の写真集をたくさん見ることの必要性もこれまで何度も書いてきた。漠然と眺めていては意味がない。読むことが大切だ。読むべき内容は、構図と瞬間だ。何が撮られているかはさほど大切じゃない。どういう構図で、どんな瞬間に撮っているかを読み解くこと。自分も同じ被写体を前にしたとき、どう撮るかをイメージすることがトレーニングになる。
 まずはプロの写真を理解することだ。理解できなければ真似して撮りながら理解を深めることをしたい。
 あと、古今東西の絵画も勉強になるので余裕があれば画集を見たり美術館へ行ったりするといい。特に日本人画家の作品は参考になる点が多い。歌川広重や葛飾北斎の浮世絵、伊藤若冲や東山魁夷の絵画などは写真に還元できる部分が多々ある。
 新海誠監督のアニメ作品なども、とても写真的で真似したくなるシーンがたくさんある。個人的な感覚として、写真のライバルは絵画ではなくアニメのような気がしている。作者の思い通りにすべてを描くことができるアニメの静止画こそ、写真の目指すべき到達点なのではないかと。

 フォトコンの選者コメントで、今まで見たことがないような新鮮な写真が見たいなどといったことを言っている写真家がいるけど、そんなたわごとは無視していい。誰も見たことも撮ったこともないような写真がそんなに簡単に撮れるわけがない。そんなものを撮ろうとするから自分の写真を見失うのだ。ありきたりなテーマでいい。これまで散々撮られてきたものを、正しく撮ればそれがいい写真になる。人と違うものを撮らなければならないなどという間違った強迫観念は捨てることだ。他人と違うものを斬新に撮ることは、もっと先の段階ですべきことで、今やることではない。
 1つ注意しておかないといけないことは、フォトコンの入選作はあまり見ない方がいいということだ。アマチュアの入選作は真似してはいけない。それはただの物まねになってしまう。写真家の写真を真似ることは勉強のためであって、そっくりそのままの内容の写真をフォトコンに応募すれば、それはやはり盗作に近いものとなってしまう。
 まず目指すべきは、端正な写真を撮るだ。お手本の字のように。そういう写真を撮れるようになってから、次にどう崩して自分の写真を確立していくかという話になる。正しい楷書も書けないのにいきなり格好をつけて草書のまねごとなどしている場合ではないのと同じだ。
 やらないといけないことはごくシンプルだ。正しい構図で、いい瞬間を撮る。何がいい瞬間かはそれぞれが決めることで、他人がとやかく言うことではない。自分で探し、自分で見つけるしかない。

 今回のまとめ。
 写真は構図と瞬間の2つを考えればいい。構図と瞬間を曖昧なままにしておくと、いつまで経っても上手い写真が撮れるようにはならない。気づいてしまえばごく当たり前のことに過ぎないのだけれど、それこそが写真という表現の本質なのだと思う。
 

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