西郷どん、本当にこの銅像でよかですか? 2006年12月12日(火) - 現身日和 【うつせみびより】

西郷どん、本当にこの銅像でよかですか? 2006年12月12日(火)

上野の西郷どん

PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f5.6, 1/60s(絞り優先)



 上野の西郷どんの背中に乗って待ってます。もしあなたがそんな待ち合わせの約束を交わしてしまったとしたら、それは空約束に終わる可能性が高い。実際に見る西郷隆盛像は思いのほか大きかった。まず土台をよじ登ることの困難さが予想される。たとえ足もとまで登れたとしても、そこから背中を登って肩に手をかけるのはかなり難しそうだった。犬のツンを踏み台にすればいけただろうか。
 いずれにしても、そんなことをしてたら、修学旅行生たちの嘲笑の的になることは間違いなく、外国人観光客に、オー、イッツ・クレージーなどと罵倒されることになるだろう。その前に通報されて、飛んできた警官に取り押さえられるだろうか。どういう罪状になるのかは分からないけど。

 どうして西郷どんの像が上野公園に建っているのか? 多くの人がふと思ったことがあるであろうこの疑問の答えは、用意されていない。いろいろ言われてはいるものの、はっきりした理由は知られてないようだ。どうしてもここじゃなくてはいけなかったわけではないのだと思う。
 そもそも、反逆者西郷隆盛の像が建つこと自体、当初は考えられないことだった。明治新政府に刃向かってきた賊軍の長なのだから。それでも、明治維新における西郷どんの働きに変わりはない。勝海舟と決めた江戸城無血会場は江戸市民100万人の命と財産を守ったし、薩長同盟から徳川家の事後処理までの功績は大きかった。それに何より、西郷どんはみんなから愛されていた。
 明治24年、もうそろそろ許してやってくださいよと当時宮内省の次官だった西郷どんの友達、吉井友美が呼びかけて、2万5千人からの寄付と明治天皇からのお金で西郷隆盛像が造られることになった。制作に当たったのは、高村光太郎のオヤジさんである高村光雲(犬だけ後藤貞行)。しかしこの西郷像、実物をモデルにしたわけではないというのは有名な話だ。もちろん西郷どんは生きてないし、写真嫌いだったから一枚の写真も残ってない。参考にしたのがエドアルド・キヨッソーネが描いた肖像画(教科書とかに載ってる例のヤツ)で、しかもこれは目元を弟の西郷従道、顔の下半分を従弟の大山巌のモンタージュだ。キヨッソーネ自身、西郷どんを一度も見てないから、まったくの勘で描いている。そんな伝言ゲームのようにして作られた西郷隆盛像がオリジナルの西郷どんから遠く離れてしまったのは仕方がないと言えば仕方がなかった。
 除幕式のとき、この像をひと目見た未亡人のイトが、
「宿んしはこげなおひとではなかっ」
 と叫んだというのも話もよく知られている。
 人前に兵児帯姿なんかで出るような人じゃなかったという意味だろうと解説する人もいるけど、私はやっぱり実物とは似ても似つかないのだと思う。顔も風貌も格好も。たぶん、犬も似てないと思う。ツンが可愛くなさすぎ。
 像が完成して除幕式が行われたのは明治31年。西南戦争から21年経っていた。総理大臣の山県有朋や、勝海舟、大山巌、東郷元帥なども参加して盛大に行われたという。楽隊なども出て、大勢の人が見物に訪れたそうだ。これが日本初の除幕式だと言われている。
 けど、ホント、なんでこんな普段着なんだよ、高村光雲。いくら庶民の味方というイメージの西郷どんでも、これはちょっとないんじゃないか。周りから反対は出なかったのだろうか。それとも、あんまり立派にしてしまうと明治政府の立場が悪くなるからこんな格好にしておけという命令があったのか。この像によって、後の西郷隆盛像は決定的に固まってしまった。西郷どんのことだから、これでよか、と言うかもしれないけど。

 西郷隆盛の人物像や一生について書こうとすると、ものすごく長くなってしまう。私も書きたくないし、みなさんも読みたくないと思う。西郷どんを主人公にした小説もたくさんあるし、資料も膨大にあるから、その上私があえて細かく書くこともないだろう。オススメとしては、司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を挙げておく。例によって司馬遼によって幸せに歪められた西郷像は、読んだ者を西郷どん好きにしてしまうこと間違いなし。もうひとつ、昔の年末大型時代劇「田原坂」もよかった。里見浩太朗主演で、堀内孝雄の主題歌「遥かな轍」もよく覚えている。もし機会があったらDVDで。
 でもせっかくだから、さらっと西郷どんについてのおさらいをしておこうと思う。西郷さんってどういう人で何をした人なのですか? と、人に訊かれても答えられるように。

 西郷どんのお父さんは、薩摩藩(今の鹿児島県)の下級藩士だった。西郷隆盛というと明治の人というイメージが強いけど、実際は生まれも育ちも江戸時代の人だ。当たり前だけど、そんなふうに思ってないところがある。坂本竜馬だって新撰組だって、みんな江戸時代の人だ。
 誕生日は旧暦の1827年12月7日で、新暦にすると1828年1月23日になる。すると、私と同じ誕生日ではないか。やっぱり、この日は偉い人が生まれる日らしい。マホメットや湯川秀樹、スタンダール、ジャイアント馬場など、顔ぶれがにぎやかだ。ただ、葉加瀬太郎とまったく同じ日生まれというのはちょっと納得がいかない。
 西郷どんは大きなイメージがあるけど、実際に大きかった。身長182cmの体重114kgというから、力士並みだ。後年、肥満を指摘されてダイエットにはげんだりもしている。血液型はB型。思い込みが激しく、こうと決めたら突っ走るタイプだ。好物は芋焼酎と豚肉と煙草と甘い物。山歩きと温泉も好きだったという。

 大きな黒目がキラキラした少年だった。優等生タイプというのではなく、悪ガキでもないけど、13のとき学校帰りに友達とケンカして、右肘を痛めてしまう。これで武術はあきらめて、のちは文官を目指すことになる。確かに西郷どんが刀を振り回したり鉄砲を撃ってるような姿は思い浮かばない。ただ、狩猟は好きだったようで、よくウサギ狩りなどをしていたらしい。ちょっと野蛮なところもある西郷どん。
 最初の結婚は28歳のときで、生涯で3度結婚している。その後両親を続けて亡くし、家督を継いで兄弟の面倒を見なければならない立場となる。
 藩の役人人生としはまずまず順調に進み、30歳頃には藩主の島津斉彬に目をかけてもらって、だんだん藩の政治にも深くかかわるようになっていく。しかし、その斉彬が死んでしまったことに大きなショックを受け、自分も後を追うとして周りに説得されてなんとか思いとどまる。おそらくこのあたりから、斉彬の意志を継いで、自らが日本をよくしていくのだと本気で思い始めたんじゃないだろうか。
 幕府では井伊直弼が大老になり、無茶をし始める。幕府にたてついた人間を次々に捕まえて徹底的に弾圧した。安政の大獄というやつだ。そこで西郷どんは、井伊直弼の暗殺計画のグループに加わるも発覚。お尋ね者となってしまう。幕府の追っ手が迫り、前途を悲観した西郷どんは友達の月照と共に入水自殺をしてしまう。意外と悲観的な西郷さん。友達の月照は死に、西郷どんは生き残る。それでも回復にひと月かかり、西郷どんも死んだことにして幕府の追っ手をごまかした。
 回復後は見つかるといけないということで、仲間が奄美大島に逃がすことにした。ここで3年ほど過ごすうちに島の暮らしにも馴染み始め、島の娘「とま」と二度目の結婚をする。最初のかみさんは、西郷どんがあまりにも留守がちだったので実家に帰ってしまった。更にこのあともう一回結婚している。島の奥さんは本土に連れて行けないことになっていたから。
 この頃になると、日本がだんだん騒がしくなってくる。寺田屋事件や生麦事件、薩英戦争などが起こり、西郷どんの力が必要だということで大久保利通に呼び戻され、軍の責任者として復帰を果たす。
 長州征伐の軍参謀に任命されて徳川慶勝に会ったり、坂本竜馬たちとともに薩長同盟締結に奔走したり、この時期は西郷どんの人生で一番忙しかったときだろう。大政奉還がなり、戊辰戦争が起こり、勝海舟とともに江戸城無血開城を果たしたり、上野戦争の指揮を執ったりと多忙は続く。
 ようやく日本が落ち着いたのは、明治も4年になってからだ。政府の首脳だった岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などが外国で学ぶためにヨーロッパへ旅立っていき、西郷どんたちは留守政府を預かることになる。これがのちの西郷どんの運命を決めることとなった。もし外国を自分の目で見ていたら、その後の展開はまったく違ったものとなっただろう。
 西郷どんは武力などもちいず朝鮮に赴こうといっていたのに、いつの間にか武力でやっつけるというふうに歪んでしまった征韓論と、外国を見てショックを受けて帰ってきた大久保利通たちと意見が完全にぶつかることになってしまった。日本は近代国家の仲間入りをするために、もう戦争なんてしてる場合じゃないという帰国派の意見はもっともだった。
 このあたりのいきさつはややこしいこともあるので省略するとして、結果的に西郷どんは政府を捨てて故郷の薩摩へ帰ってしまった。本人は引退のつもりだっただろう。しかし、故郷の若い連中にかつがれて、やむにやまれず政府に対して西南戦争を起こすことになる。
 最後は城山に追い込まれて、「もう、ここらでよか」と言って東に向かって頭を下げた後、切腹して介錯され、その生涯を終えた。享年51(満49)。

 結局のところ西郷隆盛というのはどういう人物なのか。多くの人がその問いの前で戸惑い、ある者は追求して、ある者は分からずあきらめてしまう。分かりづらい人であることは間違いない。細かく入り組んだ複雑さではなくて、振幅の大きさに惑わされてしまうところがある。
 たとえばこんなエピソードがある。あるとき、政府の閣僚名簿をつくることになって、誰か西郷さんの本名を知らないかと呼びかけたところ、友達の吉井友実が、確か「隆盛」だったんじゃないかということで西郷隆盛で登録したところ、実はそれはオヤジさんの本名で、西郷どんの本名は「隆永」だった。当時は呼び名で呼び合うのが普通だったので(西郷どんは吉之助と名乗っていた)、誰も本名を知らないのが普通だった。それを伝え聞いた西郷どんは、「よかよか、そいでよか」と軽く受け流して、それ以来西郷隆盛ということになってしまったのだった。
 こんな大らかな一面があるかと思うと、自殺をしてみたり、征韓論では妙に意固地になってしまったり、老成してるかと思えば意外と子供っぽかったりする。普段は無口で礼儀正しくて、笑うとなんとも魅力的な顔になったらしい。何を考えているのか、分かりづらいと言えば分かりづらい。
 西郷はどんな人物だったんだい、と勝海舟に訊かれた坂本竜馬は、「やつぁ馬鹿だ。ただし、小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る。馬鹿の幅がわからない」と言っている。
 賢か愚かといえば愚と見えただろう。愚から大愚を通り越して大賢に至ったものすごく稀な人物だったのではないか。これほど多くの人に愛された日本人というのは少ない。同時代の周りの人間が西郷どんのためならいつでも死ねると思ったというからには、何か決定的な根拠があったに違いない。坂本竜馬の慕われ方とは種類が全然違う。今でも鹿児島で西郷どんが好きかというアンケートをとると、好きという人が95パーセントを超えるという話もある。
 西郷どんがいつも掲げていた言葉は「敬天愛人」というものだった。あるいはこの精神に尽きると言ってもいいのかもしれない。天を敬い、人を愛す。計算でも無理してそう思い込むのでもなく、純粋にそれを信じ、なおかつできた人なのだろう。後世の人間があまりにも美化するのはよくないと思うけど、実際に西郷どんに会ったなら、半端な批評や非難などあっけなく吹っ飛んでしまうような気がする。
 それでもやっぱり西郷どんってどんな人なのか、掴みきれない気持ちのモヤモヤが私の中に残る。こうなったら、もう一度上野公園へ行って、「聚楽台」の西郷丼(880円)を食べながら考えなばなるまいか。次こそ、西郷丼を手に持ちながら西郷どんの銅像の背中に乗ってみせる。そのとき、たまたま上野公園に居合わせたとしたら、あなたは運がいい。ぜひ私の勇姿を写真に納めてください。警官に連行されていくところまでの一部始終を。

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コメント
非公開コメント

遅くなりましたペコリ(o_ _)o))

おかえりなさいませペコリ(o_ _)o))

いっぱいいろんな所に行ってきたんだね^^
西郷どんの銅像は、私も見た事ありますよ♪
オオタさんとは反対で思ったより小さいな~って印象でしたけど。
私は、新撰組がとっても好きでして、西郷どんにはいい感情を持ってないんですけど、
たまに西郷どん主役の長編ドラマなんか見たりすると、
結構感動しちゃったりします(笑)

オオタさん、今度は京都へ行って『新撰組ネタ』をお願いします^^


で、鳩サブレはいつ届くの?w(≧m≦)ぷっ!

2006-12-13 13:24 | from もこ | Edit

西郷隆盛の話・・・私の記憶にないエピソードがたくさんある・・・
そういえばあの像の犬は組み合わせた犬らしいですね。
ちょっと忘れましたけど。かっこいいところを組み合わせたみたいな感じだったと思います。
いやハチ公だったかな?
なんだかわかんなくなってしまいました。。

2006-12-14 02:10 | from ビアンキ

山ごもりの最中も

★もこさん

 こんにちは。
 もこさんの方こそ、おかえりなさいでしたね。
 もう山ごもりの修行は終えましたか?

 そんな山ごもりの最中も鳩サブレのことを忘れてなかったとは(笑)。
 何度かキヨスクなんかで鳩サブレを見かけてもこさんのことを思い出したんだけど、とうとう買うことはありませんでした。
 でも、待っていれば、そのうち届くかもしれません。何かの間違いで。

 西郷どんは、もこさん小さく見えたんですかー。
 もこさん自身が大きいのか(笑)、それとも西郷どんのイメージが大きかったのか。
 私は等身大くらいに思ってたから、かなり大きく見えたのでした。

 新撰組絡みで伝通院へ行こうとしたんだけど、どうにも交通の便が悪くてあきらめてしまったのでした。次は行けるかなぁ。
 京都行きも来年は実現させたいと思ってます。そのときは新撰組コースも組み入れないといけないですね。
 私は特に土方さんが好きなんで、その関係で回って書きたいな。

2006-12-14 03:49 | from オオタ | Edit

意外と知らなかった西郷どん

★ビアンキさん

 西郷どんについては、私も知ってるようで知らなかったことがたくさんありました。
 明治維新から西南戦争にかけては描かれることが多いんだけど、若い頃何をしてどうやって藩の中心人物になっていったのかという流れがよく分かってませんでした。
 奄美大島に流されたあたりも、なるほどそういうことだったのか、と今回納得したのでした。

 犬のツンはメス犬だったのに、後藤貞行がオス犬をモデルにしたんで、あれはおかしいなんて話もあります。
 ホントにツンはあんなに可愛くなかったのかなぁ。(^^;

 忠犬ハチ公も写真を撮って、ここで書きたかったなぁ。
 今度行ったら撮ってこよう。

2006-12-14 04:07 | from オオタ | Edit

鳩サブレ

を見て、遥か遠い地で私を思い出してくれたんだねw
(≧m≦)ぷっ!
ありがとwww

新撰組に関してはね。
斉藤一さんが好きなんですよ、私。
あと、総司も好きだし、歳三さんも好きだし、みんな好きw

いっぱい行きたい所があるけど、
1番行きたいって思うのは、新撰組ゆかりの地です。
西本願寺をはじめ壬生や油小路
あ、多摩にも行きたい、会津も行きたい、函館も行きたい
死ぬまでには絶対に・・・・・(*´ー`) フッ

2006-12-15 20:10 | from もこ | Edit

新撰組ツアーは楽しそう

★もこさん

 東京で鳩サブレの呪いにかかってました(笑)。
 夢に出てこないといいけど。
 帰りのバスの中で、あ、しまった、鳩サブレ買ってくるの忘れた! なんて夢は見たくない。

 新撰組の斉藤一好きなんですかー。なかなかマニアですね。私の知り合いにも一人います。(^^;
 明治を生きて、警視庁に入って、大正まで生きてるんですよねー。すごい。
『壬生義士伝』のときは、竹中直人がやってましたよね。違ーうと思った。(^^;

 新撰組ツアーは、楽しそうですね。京都でも王道とは違う場所なんで、楽しめそう。
 多摩から会津へ行って、そこから函館弾丸ツアーですか? きつそうだなぁ(笑)。
 私は、一度も行ったことがないのに何故か強く心惹かれる鎌倉へ行きたいのです。何年も前から言ってるのに、なかなか実現しない。なんとなく近づくのが怖いような気もして。
 何か鎌倉や鎌倉時代の前世があったりするんだろうか。

2006-12-16 03:53 | from オオタ | Edit

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