写真ノート<31> ---キーワードは緊張感 - 現身日和 【うつせみびより】

写真ノート<31> ---キーワードは緊張感

歩道橋と夏空と日傘

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 いい写真とそうでない写真の違いは何か。悪くはないんだけどもう一歩という写真があり、下手じゃないけどぐっと来ない撮り手がいる。何が足りないのか。どうすればいいのか。あきりたりな写真から脱却するには何をどう変えればいいのだろう。
 その問いかけに対する決定的な答えは誰も持っていない。それぞれが試行錯誤の中から答えらしいものを見出していくしかない。
 私が考えるひとつの重要なキーワードがある。それは、緊張感だ。いい写真には緊張感がある。言い方を換えれば、駄目な写真には緊張感がない。
 やや曖昧な概念であり感覚的な緊張感というキーワードを手がかりに、今回はいい写真とはどういうものかを考えてみたいと思う。

 一般的に言って、無駄のない画面構成になっている写真はある種の緊張感を持つ。いろんな要素がゴタゴタしてなくてすっきり整理されていると人はそう感じるようにできているらしい。ちょうどよく片付いた部屋がそうであるように。
 余計なものが写り込んでいたりすると人は気が散って集中力が途切れる。そうなると緊張感がない写真に感じられる。緊張感というのは写真が持つものであると同時に鑑賞者側の意識の問題でもある。
 更に言えば、優れた構図の写真は緊張感がある。これも逆に言えば、構図が破綻してないがゆえに鑑賞者の意識も崩れないからそう感じるということだ。
 緊張感というのは、必ずしも緊迫した場面を捉えなければいけないとかそういうことではない。いかにして鑑賞者の集中力を途切れさせないかが鍵となる。

 具体的に画面の緊張感を生み出すにはどういう方法があるかといえば、やり方はいくつか考えられる。
 まずはよく言われるように無駄を省くことだ。余計なものは写り込ませない。背景や周辺にも気を遣って、できる限り整理整頓することが大切だ。場合によっては、レタッチ作業の段階でゴミや余分なものを消すという作業も必要になる。
 レタッチということでいえば、トリミングもまた有効な手段だ。以前も書いたように、トリミングした方がいい写真になるなら迷わずやった方がいい。極端に言えば、世の中の写真の8割はもっとトリミングすべきだと思うし、トリミングすることでもっと良くなるんじゃないかと感じる。
 被写体にぐっと寄ることもひとつの手段だ。鑑賞者の意識を一点に集中させることで写真と受け手の緊張感を高めることができる。マクロレンズを使うべきならそうすればいいし、広角レンズでめいっぱい寄り切るのもありだ。
 前ボケというテクニックもある。それもまた、画面の中で見て欲しい部分に鑑賞者の目と意識を持っていく役割を果たす。
 風景写真なら意識的に前景を作ることで画面に奥行きを与え、緊張感を出すことができる。
 そういったテクニックはひけらかすためではなく、効果をしっかり狙った上で発揮すべきだ。
 モノクロ化することで余計な情報をそぎ落とすやり方もある。

 緊張感といっても一種類ではなく、様々な種類、いろいろな形の緊張感がある。
 祭りのクライマックスを動的に写す緊張感があれば、長時間露光による静かな緊張感もある。
 風神雷神図屏風の緊張感があれば、大はしあたけの夕立の緊張感もある。モナリザの緊張感があり、ひまわりの緊張感がある。
 いい写真はいい絵画に似ている。写真と絵画の違いは、写真の場合、すべてを自分で決められないことだ。無から有を生み出すことはできず、そこにあるものしか撮れない。画面上の線や色を全部決めなくてもいい分、責任は軽い。それゆえ、絵画ほど完璧な緊張感を生み出すことは難しいとも言えるのだけど。

 緊張感がない写真が絶対駄目かといえばそうではない。心がふわっとする写真や、笑える写真、気持ちが和む写真もまた、鑑賞者を退屈させないものだ。ゆるかわ写真にガチガチの緊張感は必要ない。ただ、それでも点と点、線と線を結んだ緊張の糸みたいなものは必要だ。ふんわりした雰囲気のハイキー写真であっても、構図がいい加減なら、たんにゆるいだけの写真になってしまう。
 緊張感はひとつのキーワードであり、重要な要素ではあるけど、それがすべてではないことは言っておきたい。
 要するに画面を構成する上で無自覚にならずに撮影者の意図を持って写真を作ることが大切ということだ。鑑賞者の意識をコントロールしなければいい写真にはならない。人の目を引きつける写真、意識を引き込む写真、それを撮るにはどうすればいいのかを考えて撮らなければならない。
 写真なんて簡単に考えればカメラを向けてシャッターボタンを押すだけで誰にでも撮れる。しかし、写真はいったん考え始めると、決めなくてはいけない要素があまりにもたくさんあって途方に暮れてしまいがちだ。でも、そこであきらめてしまうとその先へ行けなくなってしまう。算数をあきらめたら数学へは進めず、数学を投げてしまえば物理へ行けないように。
 頑張って乗り越えなければいけない。
 感覚といったものは、理論や理屈や思考の向こう側にあるもので、何度も言うけど、写真は決して感覚だけで撮られるべきものではないのだ。
 写真の核が見えるようになるまで、勉強と実践を積み重ねていくしかない。いい写真に至る近道はない。
 

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