体に馴染む上野の空気と驚きの不忍池 2006年12月11日(月) - 現身日和 【うつせみびより】

体に馴染む上野の空気と驚きの不忍池 2006年12月11日(月)

上野界隈

PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f5.6, 1/200s(絞り優先)



 上野駅の前に降り立ってすぐ、あ、上野、と思う。それまで歩いてきた東京都とは明らかに違う空気感に満たされているのを感じて、なるほど上野ってそういうことかといっぺんに納得した。雑然とした街並みも、歩いている人たちも、商店街の雰囲気も、良い意味で田舎っぽくて体に馴染む。名古屋でいえば、大須から上前津あたりにちょっと似ている。
 ちょっと微笑みをもらしつつ、上野公園へと向かう人々のあとに続いて私も歩き出した。観光客と同化する感じが心地いい。ここに来れば自分はよそ者じゃないような気がしてくる。田舎者は上野へ行け、という標語が昔あった……というのはウソだけど、石川啄木の「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」が実感として分かった。

 上野といってまず思い浮かぶのはマリノスの上野だがそれはひとまず置いておいて、やはり上野動物園だったり、西郷どんだったり、北の玄関口だったり、アメ横だったりが一般的なイメージなのだろう。私の場合は、最初に不忍池(しのばずのいけ)に行こうと決めていて、それがたまたま上野公園の中にあったという逆アプローチだった。そんなことも知らずに東京見物をしていた私なのだ。
 地元民は上野の山と呼ぶそうだ。なるほど山あり谷あり森や池ありで、山と呼ばれるのも分かる気がする。面積も53万平方メートルと、かなり広い。
 このあたりは大昔、海だった。と同時に、早くから人が住んでいた場所でもある。縄文、弥生時代の遺跡なども出てきている。戦国時代までは忍岡(しのぶのおか)と呼ばれていて、住む人も少ないへんぴなところだったらしい。今の上野公園の元になっているのは江戸時代に建てられた寛永寺によるものだ。三代将軍・家光が江戸の鬼門にあたるこの場所に、天海僧正に命じて寛永寺を作らせたことで、門前町として発展していった。
 しかし、明治維新の戊辰戦争で寛永寺は焼け落ちてしまう。立てこもった彰義隊に対して新政府軍は容赦ない攻撃を仕掛けて、このあたり一体は焼け野原としなってしまったのだった。明治政府め。
 その後、この地に医学校と病院が建てられる計画が立っていたのだけど、視察に来たオランダ人医師ボードウィンが、ここは眺めがいいから公園にしてみたら? と政府にアドバイスしたらあっさり通ってしまって上野公園となることになった。公園内には上野公園の父としてボードウィンの像が建っている。が、実はこの像、手違いで弟の顔になっていたというから笑える。2006年の今年ようやく本人の顔と入れ替えたのだそうだ。首から上だけ付け替えたんだろうか。

 完成したのは明治6年、日本で最初の公園の誕生だ。1882年(明治15年)には動物園と国立博物館が作られ、1890年にいったん帝室御料地となり宮内省の管轄になる。その後、何度かの博覧会会場になったりしつつ、1924年(大正13年)に東京市に払い下げられることになった。このときのいきさつから「上野恩賜公園」という正式名称になっている。
 現在は、東京芸術大学、都立上野高校などの学校施設や、東京国立博物館、国立国会図書館、東京都美術館、上野の森美術館、国立科学博物館などが集まった総合文化公園の様相を呈している。
 個人的に気になったのは、有名な「上野精養軒」だった。1,360円のハヤシライスは、本当に美味しいのだろうか。しょう油かけたりしたら怒られるんだろうな。
 上野という地名の由来は、伊賀上野出身の藤堂高虎から来ているというのはどうやら間違いらしい。江戸時代以前からすでに上野と呼ばれていたそうだから。平安時代の小野篁(おののたかむら)という人が上野国(こうずけのくにでの任務を終えて京へ帰る途中、しばらくこの地に住んでいたことがあって、地元民がその屋敷を「上野殿」と呼び習わしていたことから上野という地名になったというのが正しそうだ。

清水観音堂

 上野公園内にある清水観音堂(きよみずかんのんどう)。東京には少ない赤い紅葉がここにあった。東京都の木がイチョウだとしても、赤のモミジが名古屋に比べると全然少なかった。
 1631年、天海僧正が京都の清水寺を模して建てた。不忍池に面する側には確かに清水寺っぽい舞台がある。江戸人にとって京都は遠すぎてそう簡単に行けない場所だっただろうから、みんなここへ来て清水寺のことを思っていたのだろう。名古屋でいうイタリア村みたいなものだ(それはちょっと違うだろう)。
 国の重要文化財というには妙に新しくて軽い感じがしたと思ったら、10年前に全面的に改築したんだそうだ。どうりでピカピカなわけだ。
 人形供養として有名らしい。ここにお参りに来て子供ができたら人形を奉納するという習わしになっていて、毎年9月25日には人形供養の行事が行われているそうだ。

 もうひとつ有名なのが、上野の弁天堂だ。このとき雨が降り始めたこともあって、写真を撮るのをすっかり忘れていた。
 これも天海僧正が建てたもののひとつで、不忍池を琵琶湖に見立てて、竹生島の弁財天を模して造った(もとのものは慈覚大師が造ったという話もある)。
 弁天様だけに、芸事向上を願って歌手や芸人などが訪れるという。井の頭公園の弁財天にカップルで行くと弁天さんが嫉妬して別れさせられるという都市伝説があるけど、上野はどうなんだろう。
 弁天堂の建物も、昭和33年の再建ということで新しい感じがした。

不忍池とカモたち

 最後に、目的地の不忍池に到着した。がしかし、その手前で、なんじゃこりゃ! と大いなる驚きと共に私は立ち止まることになる。池全体が枯れた蓮に覆われていている光景を見て。ええー? 不忍池ってこんなだったのー? 枯れた茶色の蓮の合間をたくさんのカモたちが縫うようにして浮かんでいる。って違うぞ、私の不忍池はこんなんじゃないぞ。桜の頃、ゆったりとボートをこぎながらのんびりムード漂うというのが私の中にあった不忍池の図だった。それなのに、びっちりと蓮が生えていたんではボートもこぎ出せないではないか。何か異変が起きたのか!?
 なんだかだまされたような気分になりながら進んでいくと、遠くにボートが見えた。そして一番奥には、確かに私の思っていた不忍池があった。そうそう、これこれ。あー、びっくりした。手前のあの有様はなんだったんだ。
 どうやらこの池は、蓮が一面を覆う「蓮池」と、動物園側の『鵜の池』、それと「ボート池」という3つのゾーンに分かれているらしい。そんなこと知らないから、かなり本気で驚いたのだった。

 それにしても、ものすごい数の鳥たちが入り乱れて大変なことになっているぞ、ここ。エサやりの人がたくさんいるようで、写真のようにエサをばらまいたところには鳥まみれになってしまう。カモとユリカモメとハトが激しい争奪戦を繰り広げる。地面に落ちたものは気が荒いユリカモメと陸担当のカモがケンカしながら取り合い、池に落ちたものは水面担当のカモたちが奪い合う。ハトはおこぼれをちょうだいする。とても野鳥とは思えない姿だ。おまえたち、野生スピリットはどこへいってしまったんだ? 何も持ってない私にさえトコトコと歩きながら近寄ってくる。もう少しで頭をなでられそうなくらいまで。
 ここでの主勢力は、どうやらオナガガモのようだ。それと意外だったのは、キンクロハジロの多さだった。名古屋郊外ではこいつはめったに見ないのに、東京にはどういうわけかうじゃうじゃいる。すぐに見慣れて一気にありがたみがなくなった。その他、ホシハジロもそこそこいて、ハシビロガモも見た。ウミネコさえいた。逆に、名古屋でよく見るコガモやマガモがほとんどいなかったのも不思議だった。
 野鳥たちのこの馴染み方は、上野動物園の人たちの活動があったからという。戦争中不忍池は田んぼとして使われていて、戦後は荒れ果てて埋め立ての計画が持ち上がったそうだ。そのとき保存に立ち上がったのが上野動物園の人たちで、野鳥を保護することで不忍池の存続価値を作り出したという経緯があったらしい。今では都民がこぞってエサをあげているから、鳥たちはすっかり人になついている。野鳥にとって幸せなのかどうかは少し難しい問題もあるのだけど、何にしても人が野生の生き物を大事にする光景は心が和む。

 上野公園は一日の短い時間で回れるような億の浅いところではなく、今回は表面をさっと撫でるだけで終わった。ただ、上野のエッセンスは感じ取れたと思う。ここは嫌いじゃない。また訪れたい場所だ。春の桜もいいだろうし、夏の蓮も見てみたい。忍ばずだけにお忍びで行く必要もない。
 ……。
 さよなら、上野公園と不忍池。また逢う日まで、逢える時まで。さよならは別れの言葉じゃなくて再び会うまでの遠い約束。上野発の夜行列車で帰ります。って、おいおい、私の家はそっちじゃないぞ。北へ帰る人の群れに混ざってどうする。それじゃあ、8時ちょうどのあずさ2号で信州経由で帰るとするか。

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コメント
非公開コメント

>公園内には上野公園の父としての像が建っている。
>が、実はこの像、手違いで弟の顔になっていたというから笑える。
>2006年の今年ようやく本人の顔と入れ替えたのだそうだ。首から上だけ付け替えたんだろうか。
ワロタwwwww
なんで弟なんですかね?と思い調べるとどうやら
元駐日オランダ領事だったみたいですね。弟さん。

2006-12-14 01:55 | from ビアンキ

アイコラじゃないんだから

★ビアンキさん

 ホント、このエピソード笑えますよね。
 なんで今になってすげ替えることになったのか不思議。
 ずっと前に気づいていて延び延びになっていたのか、つい最近発覚した驚愕の事実だったのか。
 この像は、胸像だったから、上の部分だけそっくり入れ替えたみたいです。
 顔だけだったらアイコラですもんね。(^^;

2006-12-14 04:01 | from オオタ | Edit

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