写真ノート<30> ---写生と描写と説明の違い - 現身日和 【うつせみびより】

写真ノート<30> ---写生と描写と説明の違い

洗濯ばさみ

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 写真における写生と描写と説明の違いを考えてみる。
 非難めいた批評として「絵はがきのよう」というのと、「説明的すぎる」という言い回しがよく使われる。目の前の風景を見たまま写したのが写生で、状況を詳しく伝えようとあれもこれも欲張って写してしまうと説明的になる。一般的にどちらもよくない写真とされることが多い。
 では描写とは何か。文章における描写とは、物事の有り様をなるべくそのまま表現することをいう。写真は目にするものをそのまま写すしかないからすべて描写になるのではないかといえばそうとも言えない。写真の描写と文章の描写は別のものと考えた方がいいかもしれない。
 たとえば目の前に黄金色に実った田んぼ風景が広がっているとする。見たままを俯瞰で撮ればそれは写生だ。稲に近づいてアップで撮れば描写になりそうな気がするけど説明的かもしれない。この場合、描写とするには稲刈りをしている農家の人を写すという手がある。そうすれば単なる写生ではなくなるし、説明的でもなく、描写でありながら説明以上に伝えることができるのではないか。
 野球の試合の場合なら、球場全体を写せば写生で、ピッチャー、バッター、キャッチャーを内野スタンドで横から写すと説明的になる。描写するなら審判の目線から撮るか、あるいは(無理を承知で言うと)マウンドの後ろからピッチャー越しにバッターとキャッチャーを写すことができれば描写になるだろう。
 いい写真を撮りたければ描写することを心がけるべきだと私は考えている。

 優れた曲は優れた描写で成り立っている。

 笑って話せるね
 そのうちにって握手した
 彼のシャツの色がまぎれた人混み
 バスは煙残し
 小さく咳こんだら
 目の前が滲んだ黄昏

松任谷由実「青春のリグレット」


 これなどは非常に優れた描写のよい例だ。わずか6行の短い文章で、ふたりの関係性と別れの場面を鮮やかに描ききっている。感情などの余計なことを説明していない。

 安いダンスホールは たくさんの人だかり
 陽気な色と音楽と煙草の煙にまかれてた
 ギュウギュウづめのダンスホール
 しゃれた小さなステップ
 はしゃいでおどり続けてる おまえを見つけた

尾崎豊「ダンスホール」


 これは尾崎豊が16才以前に書いた曲だ。何かのインタビューで、「メッセージは物語の背後に隠した方が伝わりやすい」と答えている。尾崎豊は10代にして誰にも教わることなく描写の本質とそれが持つ力を知っていた。
 上質の描写は説明よりもずっと饒舌だ。それは写真にも同じことが言えるのではないか。

 写真における描写のキーワードとして物語性というものがある。何故描写でなければならないのかの答えもそのあたりにありそうだ。
 写真に写っている場面の状況を説明することは必要だ。何が言いたいのか分からない写真は見る側としては戸惑ってしまう。とはいえ、説明しすぎると鑑賞者の気持ちがしらける。そのあたりの加減が難しくもあり、撮影者の技量ということになる。
 単純に言えば、シーンを撮ることだ。たとえば、列車の中の彼氏と窓越しのホームに彼女がいて互いに手を振っているシーンを撮ったなら、それは紛れもなく描写だ。それ以上説明しなくても状況は伝わる。あるいはそれが説明的すぎると感じたなら、出ていった列車とホームに残された彼女の後ろ姿を同時に写し込むのでもいい。その方がより描写的といえるかもしれない。
 説明的すぎるということをもう少し詳しく書くと、祭りで神輿を担いでいるシーンを撮るとき、つい欲張ってまわりの群衆と絡めて神輿全体を撮ってしまいがちだけど、それをやってしまうと説明的になりすぎる。その場合は、神輿を担いでいる誰か一人にスポットを当てて、その人物のアップを中心に構図を作ると描写的になる。そういうことだ。
「映画のワンシーンみたい」というのは、写真に対する褒め言葉としてしばしば用いられる。
 すべてを描きすぎないことで鑑賞者の想像の余地を残すことが描写することの意味であり、それがつまりは物語性ということにつながっていく。
 もうひとつ言うと、描写は撮影者としての感情を排除するものでもある。撮り手の感動や美意識を鑑賞者に押しつけてはいけない。受け手はすべてを与えられることだけで満足する存在ではない。写真は撮り手と受け手が共有し、協力して作り上げるものだ。

 分かりすぎる写真はつまらないし分からなすぎても共感できない。そこは描写の加減ということになるのだけど、受け手の好みもそれぞれだから一概に正解がどうだとは言えない。私は描写こそが最上だと信じているけど、それもまた絶対ではない。人によっていい写真の価値基準は思っているよりも開きがあって溝は深い。
 今回の話にしても、万人向けの内容だとは思っていない。
 ただ、写真における写生と説明と描写の違いというのは、誰にとっても一度は考えていいテーマではないだろうか。
 偶然頼みで結果オーライの写真から脱却するするためには、撮る以前の確かな理論が必要だ。写真は感覚だけで撮るものでは決してないと思うのだ。
 

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