勝手塚古墳の上に建つ勝手社に参拝 - 現身日和 【うつせみびより】

勝手塚古墳の上に建つ勝手社に参拝

勝手社外観

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 ご近所神社めぐりシリーズ、今回は守山区上志段味(かみしだみ)にある勝手社(かってしゃ)を紹介します。
 場所は、三洋堂やバローのある通りの上志段味交差点から南へ少し行ったところだ。こんもりした森になっているからある程度離れた場所からでも分かると思う。
 勘のいい人ならピンと来るかもしれない。これって古墳じゃないのと。まさにその通り。上志段味古墳群の中のひとつ、勝手塚古墳の上に神社は鎮座している。
 古墳が作られた時代としては、5世紀後半もしくは6世紀前半と考えられている。 
 前方の部分が短い前方後円墳で、帆立貝式前方後円墳に分類される。ホタテ貝の格好を想像すると分かりやすいだろう。
 前方後円墳は名前の通り、四角い方が前で、円い部分が後ろとされている。なんとなく円い方が頭と思っている人が多いんじゃないだろうか。前方後円墳という名前が使われるようになったのは江戸時代からなので、昔の人がどう呼んでいたのかは分からない。現代の専門家が考えているような役割に関しても実は全然見当違いだったりするのかもしれない。
 全長は53メートルで、中くらいの規模といえる。6世紀に入ると前方後円墳はだんだん規模が小さくなっていって、7世紀前半には作られなくなる。
 最近、ちょっとした古墳ブームが起きていることをご存じだろうか。古墳女子なる言葉も生まれ、古墳にコーフンする女子が続出しているとかなんとか。
 古墳にコーフン協会会長で日本で唯一の古墳シンガーでもあるまりこふんさんも、勝手塚古墳を訪れているようだ。さすが、活動がきめ細かい。
 志段味地区でもブームに乗ろうともくろんだのかどうか、古墳パークのようなものの建設計画が進行している。ここ数年以内にできるようなので、完成したら一度行ってみたいと思っている。志段味地区にはたくさんの古墳が点在しているので、興味がある方はぜひめぐってみてください。
 志段味古墳群マップ



勝手社入り口石段




勝手社拝殿前




勝手社本殿

 神社は後円部の頂上部分に鎮座している。
 神社の創建については、南北朝時代の戦争に敗れた武将がこの地に流れてきて芳野神社から勝手明神を勧請したという説と、志段味を本拠地にしていた水野又太郎良春が吉野山の勝手明神を勧請したという説の二つがあるようだ。いずれにしても、1300年代後半の南北朝時代ということになるのだろう。
 瀬戸には水野という地名が残っているけど、あれは水野氏の一族がおさめていた土地だった。水野氏は平氏の流れをくむ一族で、承久の乱、平治の乱を経て、良春の時代には志段味を本拠としていた。後醍醐天皇の南朝について戦っていたけど、どうも情勢がよくないということで志段味に戻って志段味城を築城し、のちに尾張旭に南下して新居城(あらいじょう)に移り住んだ。現在の城山公園があるあたりだ。
 瀬戸電の尾張旭駅前にある馬に乗った武将が水野良春なのだけど、尾張旭市民は水野良春についてどの程度知っているのだろう。尾張旭を開いた恩人のわりにあまり大事にされているように思えない。退養寺にあるお墓もけっこう荒れていた。
 水野良春については以前書いたことがあるので、興味のある方はそちらを参照してください。

 浅野祥雲コンクリ像は尾張旭の山の上に人知れずどんと立つ



勝手塚古墳

 本殿が建っている後円部はけっこう残っている。その周りの内濠の一部もある。
 注意深く地面を探すと、埴輪の破片などが見つかることもあるそうだ。



濠部分




境内社

 明治時代にアマテラスやヤマトタケル、大山祇神を合祀している。



境内の社




巨木




何かの輪




板貼りの光と影

 

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