写真ノート<23> ---写真集を目指す - 現身日和 【うつせみびより】

写真ノート<23> ---写真集を目指す

空と鴉

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 アマチュアの写真活動の集大成として写真集作りを目標にしている人がどれくらいいるのかは分からないのだけど、もし私が人に写真を教える立場だとしたら、必ず写真集を作るようにと言うだろう。有無を言わさず絶対に。
 とにかく写真集を作れ。そのための写真を撮れ。日々の写真行為を明確にするために。写真集という着地点さえはっきりしていれば、あとはそこへ向かって進むだけだ。何を撮らなければいけないのかが明確になるし、自分のテーマというものも見えてくるはずだ。一番分かりやすい目標設定が写真集作りという言い方もできる。

 テーマ。そう、写真集にはテーマが必要不可欠だ。あるいは、ストーリーと言い換えてもいい。
「イメージは物語を紡ぎ出すための手段でしかない」というのはオウライという人の言葉で私の信条にもなっているのだけど、大切なのは自分の物語を物語ることだ。いい写真を撮ることが目的ではない。写真の向こう側にある物語こそが表現すべきものなのだ。
 自分にとって出来のいい写真を50枚なり100枚なり集めて並べてもいい写真集にはならない。音楽でいえばヒットソングを集めたベストアルバムが意外とつまらないのと同じだ。
 いい写真集にとって必要なのは、リズムであり、テンポであり、起伏であり、うねりであり、流れだ。潮の満ち引きのように、ときにジェットコースターのように、鑑賞者の心を揺さぶらなければならない。感動といった単純なものではなく、ましてや感心などといったものでもない。心を浮き立たせたり、しんとした気持ちにさせたりといった緩急といったものが必要となる。
 個人的には泣ける写真集を目指しているのだけど、写真で泣かせるということは本当に難しい。ラブソングのように簡単にはいかない。

 具体的なことを言えば、まずは使う写真のセレクトがもっとも重要なことは言うまでもない。どの写真を選び、どの写真を選ばないか。いい写真を詰め込みすぎるとかえって主題が曖昧になってしまうこともある。捨てるべき写真は捨てる思い切りが大切だ。
 大切といえば、表紙とタイトルも非常に重要な要素だ。タイトルと表紙、最初と最後の写真が決まれば、その写真集は8割方完成したといっても言い過ぎではない。まずはタイトルを決めることでタイトルにふさわしい写真が集まってくる。逆に言うと、タイトルが決まらないと選ぶ写真が全然決まってこない。最後の一枚が見えれば、あとは作業の段階に入ることができる。
 写真集のひとつの特徴として、見開きページということがある。基本は左右に一枚ずつ写真を並べるスタイルになるわけだけど、左の写真と右の写真の関係性を考えることも重要だ。左からめくるか右からめくるかによっても違ってくるのだけど、意外性のある組み合わせと相乗効果といったものを考えなければならない。似たような写真が続くと見る人は飽きる。適度な緊張感を保たなければならない。
 物語ということを考えると写真の順番ももちろん大切だ。文章とは違って起承転結とはいかないことが多いにしても、前半に入れるべき写真と後半に持ってくる写真は明らかに違う。そこを間違えると、ページをめくる人の意識が変につまづくことになる。鑑賞者の意識をどこまでコントロールできかも鍵となる。
 あともうひとつ忘れてはならないのは、つなぎカットの写真の存在だ。写真集というのは、映像でいうところのカット割りに近いものがある。フラッシュバックのようにパン、パン、パンと写真が続く中で、流れとは無関係のカットを挿入することが効果的になってくる。というよりも、そういうカットの写真がないと見ている方は疲れる。意識の集中はそんなに長く続かない。だからこそ、一見無関係に思えるような写真---たとえば何も写ってない空の写真とか---を挟むことで、意識の転換を図ることをやらないといけない。
 村上春樹は文章のストップ・アンド・ゴーという表現をしたけど、写真集にも同じようなことが言えると思う。高揚感、浮揚感を最初から最後まで保てる写真集はない。

 写真集作りのよいところは、自分がそれまで撮った写真をもう一度見直すきっかけになるところだ。撮ったら撮りっぱなしという人が多いと思うけど、過去の自分の写真の中にいろいろ気づくことがあるし、拾い直すことになる写真も出てくる。年に一度くらい、自分の写真をすべて見返すと何かと収穫が得られるはずだ。
 自分はこれまで何を撮ってきたのか、どう撮れるようになってどう撮れなくなったのかが分かる。自分の成長にも気づくし、何年経っても変わらない部分も見つかる。今、何が足りないのかも見えてくる。
 写真集を前提にすると、普段の撮影から意識が変わってくる。この写真は写真集に使えそうだと思ったり、つなぎカットを撮っておこうと考えたりといったことが出てくる。いったん意識がそちらへ向かうと、撮影姿勢も撮る写真も明確になる。上手く撮ろうとか、いいのを撮りたいとかが二の次になってくれば、それはいい方向に進んでいると言っていいと思う。

 写真活動を仕事=ワークにしたらどうだろうと以前書いた。それは、写真集作りを念頭に置いた言葉でもあった。
 たとえば風景の写真集を作ろうと決めた場合、劇的な風景を求めて日本各地を巡らなければならないといったことはない。そんな写真集はたくさんあるし、わざわざ自分が取り組むべきテーマでもない。もっと身近でいいから、自分が深く関わっていくことで撮れる写真集を目指すべきだ。同じ場所に四季を通じて通い詰めるとか、何年にも渡る変化を記録するとかの方がいい写真集になる。桜でも同じだ。花咲く姿だけが桜の木のすべてではない。
 ストリートスナップなら、ある特定の人物に絞るとか、ひとつの街に決めるとかした方がテーマとして伝わりやすいものができるし、写真集としての深みも増す。
 テーマというのは撮っている途中で変わってきたりもするから、撮りながらテーマを模索していくというアプローチでもいいと思う。ただ、繰り返すけど、重要なのはテーマではなく、物語であるということを忘れてはいけない。

 写真集のフォトコンテストは少なくて、私の知る限り大きなものとしては、富士フイルムのフォトブック部門と、「フォトテクニックデジタル」の私的写真集選手権くらいしかない。キヤノンの写真新世紀も写真集での応募も可能ではあるけど、あれは趣味で参加するようなものではない。
 写真集を完成させたなら、富士フイルムのフォトブック部門はぜひ挑戦して欲しいと思う。年に一度、フジコンに応募することを目標にすることは悪くない。

 さあ、自分だけの物語を見つける写真の旅に出よう。遠くへ、近くへ。日常の外へ、あるいは日々の内側へ。
 

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