写真の殿堂、終了(と思わせて) - 現身日和 【うつせみびより】

写真の殿堂、終了(と思わせて)

写真の殿堂



 アサヒカメラ.net写真の殿堂が2016年4月をもって終了した。
 その最終回に「砕ける」が入選した。

写真の殿堂入選


 写真の殿堂が始まったのが2009年の11月。
 審査員は、今は亡き大山高さんだった。
 それから一年余り経った2010年の12月、大山さんは49歳で急逝することになる。
 2009年、2010年当時の私はといえば、まだまだ全然へたくそで、たまにカメラ雑誌のフォトコンに入選するくらいで、写真の殿堂は遠い目標でしかなかった。初めての入選は、後を受けた小林紀晴氏が審査を担当するようになった2011年の7月のことだ。その後は、年に1回入るのがやっとという状況が続いていた。
 小林紀晴氏も自身立派な仕事をしつつ誠実に審査に当たってはいたけれど、大山さんの審査は普通の写真家より二歩も三歩も踏み込んだものだった。応募者のプロフィールを確認し、応募作以外の投稿写真に目を通し、ブログやWebサイトのアドレスを辿って、それらを見た上で審査を行っていた。ときに褒め、アドバイスを与えて応援し、ときには厳しい口調で叱咤激励をした。写真の殿堂は単なるフォトコンテストではなく写真道場だと考えていると何度か書いている。アマチュアのフォトコンテストの審査に対してあれほど誠実に熱意を持って取り組んだ写真家を私は他に知らない。
 大山さんの言葉に励まされ、奮い立ち、写真行為のあり方を考え直すきっかけになったという人も少なくないはずだ。まさかたった一年で大山さんがいなくなってしまうなんて誰も思わなかったんじゃないだろうか。
 あれから5年とちょっと、生きていたらまだ54歳だ。写真家としてまだまだ仕事ができた年齢だし、写真の殿堂はライフワークのひとつとして続けていたかもしれない。大山さんが生きている間に一度でも入選して、私の写真に対する大山さんの言葉を聞いてみたかった。優しい言葉ではなく、厳しい言葉を。
 私が今書いている「写真ノート」の原点は、写真の殿堂の大山高さんの講評にあるといっていい。あの中で毎月熱く語られたいくつかの言葉を今でもはっきり覚えている。写真の殿堂に参加していた多くの人たちもきっとそうだろう。
 これまでの写真の殿堂はアーカイブ化されて保存されることになっていて読むことができる。あの当時は、そんな難しいこと言われても困りますという私だったけど、今なら大山さんが言わんとしていたことをそれなりに理解できるようになったと思う。大山さんの教えは、私を含めて多くの人の中で生き続けることになるはずだ。

 写真の殿堂は今回で終わってしまったけど、アサヒカメラ.netでは新しい形のフォトコンテストが始まるという。どんな形式になって、誰が審査を担当するのかはまだ発表されていない。誰がやるにしても私が望むのは、単に作品を選んで褒めるだけのフォトコンであってほしくないということだ。嫌われたり憎まれたりすることを厭わないことがフォトコン審査員の第一の資質だと私は思う。選ぶ写真にも、落とす写真にも責任を持ってほしい。応募者が聞きたいのは、選ばれた写真のどこがよかったかではなく、落とされた写真のどこがいけないか、なのだ。
「それでもF1は続いてゆくわけです」という今宮純さんの言葉を思い出した。アイルトン・セナが死んだのは1994年5月1日。明日4月25日は尾崎豊の命日だ。うちのアイは4月8日に逝ってしまった。
 春は死や別れにまつわる記憶が増えていく。サヨナラだけが人生、きっとそうなのかもしれない。
 
 追記
「写真の殿堂」は終わったと思ったら終わっていなかった。アサヒカメラ.netのフォーラムが終了しただけで、写真の殿堂そのものは続いていくようだ。審査も変わらず小林紀晴氏が担当する。
 なんとなく嬉しいようなそうでもないような、ちょっと複雑な気分だったりする。
 

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