写真ノート<7> ---レタッチは是か非か - 現身日和 【うつせみびより】

写真ノート<7> ---レタッチは是か非か

吉良の海後画像

SONY α55 + MINOLTA 50mm F1.4



 レタッチ=画像データの加工・修正は、是か非か?
 その問題は根が深いようで、実はとっくに結論は出ている。
 是であり、非である。

 上の写真は2013年に撮った一枚だ。
 2年後の2015年にレタッチをやり直したものがフォトコンに入選した。
 下に未加工のオリジナル画像を載せる。

吉良の海元画像

 元画像を応募しても絶対にフォトコンには入選していない。
 よくよくフォトコンの応募要項を読み返して欲しい。
 あなたの「作品」をお送りくださいと、たいていは書いてある。「写真」を送ってくださいとは書いていない。
 写真と作品はまったく別のものだ。作文と小説くらい違う。
 撮っただけの画像データは、採れたての野菜や魚のようなもので、それをそのまま他人に対して召し上がれと食卓に出すのは失礼なことだと知るべきだ。きちんと調理して出すことは最低限の礼儀であり、思いやりでもある。
 小説にたとえると、レタッチは文体のようなものだ。レトリックとも言える。
 何の飾り気もない文章を喜んで読む人は少ない。
 問題とされるべきは程度についてだ。

 レタッチは、やるべくしてやるものだ。
 最初からやると決まっている仕上げの行程と言っていい。
 人形に目を入れたり、仏像に着色するようなものだ。
 大げさに言えば、写真に命を吹き込んで作品にするのがレタッチ作業だ。
 東山魁夷の作品で、御射鹿池をモデルにして描いたとされる緑の森と白馬の有名な絵がある。
 もし、東山魁夷が御射鹿池を見たまま写生したとしたら、その絵は評価されなかっただろうし、人の心を打つこともなかったはずだ。
 目で見た風景を一度自分の中に取り込み、消化してもう一度再構築することが作品化ということである。

 勘違いしてはいけないのは、レタッチは化粧ではないということだ。見た目を取り繕うためにへたくそな厚化粧をすることとは違う。
 映画における特殊効果のようなもので、よりリアリティを高めるために行う必要な技術といえばそれに近い。
 最近のデジタル写真は、やたら厚化粧の写真が多すぎる気がしている。それがレタッチを非とする理由だ。

 レタッチをするにしてもしないにしても、やらない前提ではなく、やる前提で考えておくべきだと私は思っている。
 やる必要がなければやらなければいいし、必要なら過不足なくやればいい。
 フィルム時代に自分でモノクロプリントをしたことがある人なら分かるはずだ。焼き込みも覆い焼きもせず、撮ったままいじくらないことが一番優れたプリントだなどと言う人間はいないはずだ。
 カラーのデジタル写真においても、やるべきレタッチはやるべきだという理解が当たり前ではないのか。
 それは、プリントや印刷ということにも関わってくる問題なのだけど、そのことについてはまた次の機会としたい。

 ひとつ確かなことは、撮り手のことを知らず、撮られた状況も知らない第三者にとって、提出された写真がすべてだということだ。見る側は完成のみを見て、その作品を鑑賞するなり、判断するなりするしかない。
 大切なのは、撮り手の自己満足ではなく、レタッチの有無でもなく、完成度の高さに他ならない。
 写真は言葉で説明するものではない。言葉にできない思いや感情を表現する手段だ。だからこそ、自分の言いたいことを写真にすべて語ってもらわなければならない。
 寡黙すぎてもいけないし、饒舌すぎてもいけない。
 レタッチとはそういうものだと結論づけたい。
 とはいえ、レタッチ前提で撮影に臨むことで撮影姿勢そのものが甘くなってしまっては本末転倒ということになる。文体のたとえでいえば、文体はあくまで文体であって、小説でも写真でももっとも大事なのは中身であることは言うまでもない。

 レタッチをできるという現実の前で、私たちはそれを避けては通れない。もはやデジタルカメラ以前のフィルムカメラ時代には戻れない。
 合成は邪道だの、HDRなど写真じゃないなどと言ってみたところで、今更どうにもならない。
 もちろん、今でもフィルムカメラの一発勝負で決めてみせるというのはそれなりに価値のあることだ。
 けど、時代は前へ進み、状況は常に変化し続けている。カメラの性能も、レタッチソフトも、レタッチ技術も、どんどん進化していっている。昔はできなかったことが今多くのことができるようになった。たとえば、ISO感度をものすごく上げられるようになったことなども、レタッチではないけどそれに類する進歩だ。ほとんど暗闇でさえ普通に撮れるようになった。そのことを否定する人は少ないだろう。
 結局のところ、私たちはもっといい写真が撮りたいし、もっといい写真を見たいということだ。レタッチの是非など議論している場合じゃないといえばない。
 

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コメント
非公開コメント

No title

>撮り手のことを知らず、撮られた状況も知らない第三者にとって、提出された写真がすべてだということだ。

ああ、これは目からウロコが落ちました。

レタッチ後もいいですが、オリジナルもいいと思います。これはレタッチをどんな感じにしようか考えなら撮影してるんですか?

2016-02-14 07:32 | from keiichi_w

過去に見つける写真

>keiichi_wさん

 このときはレタッチ前提で撮ったわけではなかったのだけど、けっこう時間が経ってからこの写真のことを思い出して、レタッチして仕上げたという経緯でした。
 撮影を重ねて、時間が経つと、自分の感覚も進むし、レタッチの技術も上がるから、過去の自分の写真を発掘するのはいいことだと思ってます。
 新たなイメージが沸いて、それを撮りにいくよりも過去の写真の中に発見できることがあるから。

2016-02-14 20:21 | from オオタ | Edit

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