伊勢の猿田彦神社に参拝してサルタヒコさんに挨拶していく - 現身日和 【うつせみびより】

伊勢の猿田彦神社に参拝してサルタヒコさんに挨拶していく

猿田彦神社入り口


 うちの大田家の出は二見で、祖先は猿田彦らしいとかなんとかいう話を、昔父親がちらっと言っていて、当時は聞き流していたのだけど、ずっと頭の片隅に残っていた。
 伊勢の神宮内宮のそばに猿田彦神社があることは、前回の内宮行きのときにも見て知っていた。一度行かないといけないと思っていて、今回の伊勢行きの目的の半分くらいは猿田彦神社を訪れることだった。
 外宮前から内宮行きのバスに乗ると、その途中に猿田彦神社前停留所がある。回る順番としてはあまり正しいとはいえないだろうけど、効率という点では外宮、猿田彦、内宮というのが一番回りやすい。猿田彦神社から少し歩いた先がおはらい町で、そこまで行けば内宮まではもう近い。

 第一印象は、狭いな、というものだった。
 そこらの街中にある神社と変わらないというか、それよりも境内は小さいくらいだ。現在のような体裁が整ったのが明治になってからというのもあるのだろう。
 猿田彦の子孫である宇治土公家が長い間、屋敷内で祀っていたのが始まりという。
 実際に現地に立ってみれば何か感じることがあるんじゃないかと思っていたのだけど、特に感じることはなかった。私が鈍いだけというのもあるし、劇的なものを期待しすぎていたせいかもしれない。
 伊勢を訪れた観光客や、七五三の家族連れで賑わう普通の神社だった。
 猿田彦は今もこの地に鎮まっているのだろうか。



猿田彦神社拝殿前

 サルタヒコは、天孫降臨の場面で登場する。
 アマテラス(天照大神)が、孫であるニニギ(邇邇芸命)を地上に派遣して治めさせようとしたのが天孫降臨の物語だ。
 そのとき、高天原(たかまのはら/アマテラスたちがいる地)から葦原中国(あしはらのなかつくに/日本)まで照らす異様な風体をした大男が立ってた。背丈は2メートル以上(身長は12メートル?)で、鼻が異様に長く、目が赤く光り輝いている。
 ニニギがおまえは何者だと訊ねてもうんともすんとも言わない。
 それを見たアマテラスとタカミムスビ(高木神)は、天宇受売命(アメノウズメ)に、誰なのか訊いてくるようにと命じた。
 アメノウズメは得意のハダカ踊り作戦で見事に任務を果たす。
 自分、サルタヒコです、とあっさり答えてしまった。
 アメノウズメというのは、アマテラスが天岩戸に隠れてしまったとき、裸踊りをして神々を盛り上げて、アマテラスを天の岩戸から出てこさせることに成功したあの神だ。
 アマテラスたちが外部から来た天津神であるのに対して、土着の神を国津神という。オオクニヌシなどがその代表で、サルタヒコも国津神に属する。
 サルタヒコは頼まれもしないのに、自分が地上を案内するからついてこいと申し出た。
 ここからは『古事記』と『日本書紀』ではけっこう大きな違いがある。ちゃんとは書かれていないのだけど、サルタヒコは日向の高千穂までニニギ様御一行を案内したとかしなかったとか。
 その後、アメノウズメと結婚することになるのだけど、その経緯もあやふやではっきりしない。高千穂まで行った帰り道に付き添ったのか、高千穂方面へ行くニニギをアメノウズメと見送ったのか、いずれにしても故郷の伊勢の地に落ち着き、アメノウズメと暮らすことになる。
 アメノウズメはサルタヒコの猿を取って猿女君(サルメノキミ)と呼ばれるようになるのだけど、その後、表舞台からは姿を消すことになる。結婚してハダカの仕事は引退したということか。

 サルタヒコは本来、伊勢の地にあって土着の神として信仰されていたという説がある。
 天と地を照らしていたとあることから、アマテラスよりも古い天照神だったというのだ。
『古事記』によると、サルタヒコは故郷の伊勢の阿邪訶(あざか・今の松阪市阿坂)で漁をしていたところ、比良夫貝という貝にかまれて、溺れて死んだとある。
 松阪市阿坂ににサルタヒコを祀る阿射加神社がある。
 この話は『日本書紀』にはない。『古事記』の方が先に作られていて、読み物というと言い過ぎだけど伝承などをまとめたもので、『日本書紀』は公式の歴史書といった意味合いが強い。いろいろと違いがあって、『古事記』には書けたけど『日本書紀』には書けなかったこととかもある。
 どうして『古事記』ではサルタヒコが不自然な死をとげたことを書き、『日本書紀』では書かなかったのか。
 普通に考えても貝にかまれたくらいでは死なないし、そもそもなんで漁なんてしていたのか。単純に言ってしまえば、サルタヒコは天津神側に殺されたのかもしれない。
 だとすれば、サルタヒコは伊勢の地で重要な地位にいた人物で、天津神側にとって都合が悪い存在だったということになりそうだ。
 時が流れて、ヤマトヒメがアマテラスを祀る地を探して全国をめぐっていたとき、サルタヒコの子孫である大田命(オオタ)が、うちの土地使ってくださいと伊勢の五十鈴川の一帯を差し出した。そこにアマテラスは落ち着くことになり、これが内宮の始まりとなった。
 オオクニヌシの国譲りの話とよく似ている。恨んでいるであろうサルタヒコを鎮めるために神として祀ったのだろうか。

 ところで、伊勢の神宮を参拝するときはどういう順番でめぐるのがよいとされているか知っているだろうか。
 外宮を先に、その後内宮という順番はよく知られているけど、その前に二見へ行って禊ぎを行うのが古来からの習わしだった。
 夫婦岩があるところに建っている二見興玉神社が、サルタヒコを祀る神社だということを意識している人は少ないかもしれない。
 もともとは興玉社といって、夫婦岩の先の海底に沈むという興玉神石を参拝するために建てられた神社だった(夫婦岩は、鳥居の役目をしている)。
 その興玉神石こそサルタヒコそのものというのだ。
 海で溺れ死んだとされるサルタヒコと、海底に沈む岩を祀る興玉社。神宮へ参る前にまずはサルタヒコを参って禊ぎをするということがどういう意味を持つのか。
 もう一つ、あまり意識していないこととして、内宮の正宮の御垣内には、アマテラスの守護神として興玉神と宮比神を祀っている。興玉神はサルタヒコのことで、宮比神はアメノウズメのことという。

 サルタヒコとは一体何者なのか。
 多くの人がそれぞれの説をとなえていて、はっきりしたことは分からない。異様な風体からインド人だったなどという説もある。
 天狗のモデルとなったり、アメノウズメとともに道祖神の元になったりもした。
 桓武天皇はサルタヒコのお告げで平安京に遷都したという話もあるし、稲荷神社との関係も深い。
 稲荷神社に祀られている稲荷大神は、複数の神の集合体のような性格を持っていて、その中心とされるのが佐田彦大神(サルタヒコ)、大宮能売大神(アメノウズメ)と宇迦之御魂大神(ウカノミタマ)だ。
 ウカノミタマは、二見興玉神社で祀られているもう一柱の神で、外宮の豊受大神の別名とされている。
 つまり、私たちが普段参っている神社の多くでサルタヒコが絡んできているということだ。
 サルタヒコを祀る総本社を名乗る三重県鈴鹿市の椿大神社は伊勢国の一宮だ。



鳥居と太陽




猿田彦大神額




猿田彦神社狛犬




社殿




本殿

 本殿は、さだひこ造と呼ばれるちょっと変わった妻入造になっている。
 明治以降の社殿のはずだけど、どうしてこういう様式になったのかは分からない。
 欄干や鳥居などに八角形の柱を使うというこだわりも見せる。その意味は何なのか。



拝殿屋




古殿地

 古殿地(こでんち)。
 昭和11年に現在の社殿が建てられる前までは、この場所に御神座があったのだそうだ。



授与所




たから石




さるめ神社

 境内にアメノウズメを祀った佐留女神社(さるめじんじゃ)がある。
 神楽の起源は、アメノウズメのハダカ踊りから来ているという説もある。
 芸能の神としても信仰されていて、訪れる芸能人も多いという。
 森三中の大島美幸と鈴木おさむはここで結婚式を挙げている。

 サルタヒコをめぐる私の旅はまだまだ途中で、今後もどこかで出会うことになるはずだ。
 導きの神であるサルタヒコがきっと導いてくれるだろう。

【アクセス】
 ・JR参宮線/近鉄山田線「伊勢市駅」から内宮行きのバスに乗って「猿田彦神社前停留所」下車。
 ・駐車場 30分まで無料 以降30分300円
 ・拝観時間 終日

 猿田彦神社webサイト
 

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