恋の三社めぐりと高牟神社 - 現身日和 【うつせみびより】

恋の三社めぐりと高牟神社

高牟神社-1

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 恋の三社めぐりで山田天満宮、城山八幡宮に続いて最後に訪れたのは、千種駅にほど近いところにある高牟神社(たかむじんじゃ)だった。
 個人的には今回が三度目の参拝になる。
 恋の三社めぐりというのは、2002年に桜花学園高等部(昭和区にある私立の女子校)のインターアクトクラブに所属する生徒たちが、部活動の一環として企画立案したものだ。
 街の再発見、活性化のために思いついたとのことで、晴明神社、城山八幡宮、高牟神社の三社を歩いてめぐるウォーキングのイベントがベースになっている。
 ちょうど2001年に公開された映画『陰陽師』の影響で安倍晴明ブームが起こっていたこともあったのだろう。忘れられたような小さな神社にすぎなかった晴明神社に若い女子だちが大挙してやってきた時期とも重なっている。
 縁結びの神である高皇産霊神(タカミムスビ)と神皇産霊神(カミムスビ)を祀る高牟神社と、縁結びの御利益があるとされる連理木がある城山八幡宮を選んで、三社をめぐって恋の運気を上げようというのが、恋の三社めぐりの趣旨だ。
 その後、それぞれの神社が引き継ぐ格好で少しずつ知られるようになり、10年以上経った現在ではけっこう定着した感がある。この日の高牟神社でも、短い時間の間に何組もの女子たちやカップルが参拝に訪れていた。
 その後、晴明神社に代わって山田天満宮が受け継いでいる。スタンプラリーでハンコを集めるスタイルなので、無人の晴明神社ではなにかと都合が悪いというのがあったのかもしれない。
 ただめぐるだけでもいいのだけど、本格的にやりたい場合は、神社で台紙をもらって、各神社でスタンプを押してもらい(それぞれ100円)、スタンプが3つ集まったら願い文を書いて神社へ持っていくと、記念品をもらうことができるようになっている。
 三社はどれも歴史と由緒のある神社なので、男子ひとりでめぐっても大丈夫だ。山田天満宮で合格祈願をしつつ金神社で銭洗いをして金運アップを狙い、高牟神社で名水百選の井戸水をがぶ飲みして、城山八幡宮で戦勝祈願をしてみると何かいいことが起きそうな気がする。起きないかもしれないけど。




高牟神社-2

 高牟神社は名古屋に3社ある。
 千種区の他には、高針と守山区にあって、それぞれが式内社と称している。
『延喜式神名帳』によると、春日部郡と愛智郡と、2社の高牟神社が載っているものの、どこがそれに当たるのかははっきりしていない。
 社伝によると第13代・成務天皇(父は景行天皇)の131年にこの地に鎮座したとされているようだけど、そもそも成務天皇の実在性には疑問があって、もし実在したとすると年代的には4世紀半ば(300年代半ば)に当たると考えられている。
 平安時代前期の865年、第56代・清和天皇の時代に社殿を造営したというのはどうやら間違いなさそうだ。
『延喜式』は全50巻からなる神社や祭事などにまつわる律令の書物で、9巻と10巻に当時、朝廷が認めた2861社の神社が載っている。どういう基準で選ばれたのかは分からない。当然ながら選ばれなかった神社もたくさんある。現在残っている神社のどれが延喜式に載った神社かを正確に知ることは難しい。長い歴史の中で、場所を移されたり、合併があったり、名前が変わったりした。
 醍醐天皇の命によって藤原時平たちが編さんを始めたのが905年で、927年に完成している。
 高牟神社の実質的な創建が865年だったのか、それ以前だったのかは、今となってはよく分からない。
 865年に勅命で第15代・応神天皇(誉田別命/ホンダワケ)が祀られたというけど、そのあたりの経緯もどうだったのだろう。
 平安時代末期に編さんされた『尾張国内神名帳』には「従三位 高牟久天神」とある(天神は天津神のことのはず)。
 江戸時代末期の『尾張名所図会』には近くにある物部神社とともに紹介されている。江戸時代には八幡宮と改名されていた時期もあったとか。

 高牟神社の「牟」は古代の武器である鉾と同じ意味で、物部氏の武器庫があったあとに建てられたというのが、高牟神社の名前の由来とされることが多い。高は美しいを意味する装飾語だという。
 個人的にはもっと単純に、福岡県久留米市にあった高牟礼山(たかむれやま)から来ているのではないかと想像してみたい。
 現在、高良山と名前を変えたその地には、筑後国一宮の高良大社が建っている。
 高良山にはもともと、高牟神社の主祭神である高皇産霊神(タカミムスビ/高牟礼神)が鎮座していて、高牟礼山(たかむれやま/鷹群山とも)と呼ばれていた。
 そこへ高良玉垂命(コウラタマタレ)が一夜の宿として山を借りたいと申し出てきて、タカミムスビが譲ったところ、コウラタマタレが結界を張ってタカミムスビが戻れなくなってしまったという伝説がある。
 コウラタマタレを誰とするかは諸説あってはっきりしない。武内宿禰説などもある。ニギハヤヒ(饒速日尊)だろうか。
 タカミムスビはその後、高木神(たかみのかみ)として、麓の二の鳥居の手前の高樹神社に祀られることになる。

 ところで、高牟神社を創建したのはどの氏族かということだ。
 物部氏との関係が深いようだけど、尾張物部氏がタカミムスビを神と祀って神社を建てるだろうかという疑問がわく。
 物部氏の祖である宇摩志麻遅(ウマシマジ)が没した地とされる島根県太田市に物部神社がある。
 高牟神社の北400メートルほどのところにある物部神社や名古屋の味鋺神社でもウマシマジを祀っている。
 祖神となると、饒速日命(ニギハヤヒ)だ。
 高牟神社の創建に関わったのは、物部氏だったのかそうではなかったのか。何故、タカミムスビとカミムスビだったのか。
 実は本来の主祭神はホンダワケ(応神天皇)という説がある。そうであるなら、タカミムスビやカミムスビは後付けということになる。
 近くにある物部神社と高牟神社と、どちらが先に創建されたかによっても意味合いは大きく違ってくる。先に物部神社があって、通説通り物部氏の武器庫があった場所に神社を建てたのだとすると、高牟神社の名前も、ホンダワケを祀ったことも納得がいくのだけど。

 高皇産霊神(タカミムスビ)について少し勉強してみる。
 といっても、よく分からない。重要な神という位置づけながら情報が少ない。
 天御中主神(アメノミナカヌシ)、神皇産霊神(カミムスビ)とともに人間界からは見えない独神(ひとりがみ)とされる造化三神のうちの一神で、高天原ではアマテラスよりも力を持っていて、天孫降臨を実質的に指導したともされる。
 そのことから、タカミムスビこそが本来の皇祖神とする考え方もあるようだ。
 アマテラスの息子・天忍穂耳命(アメノオシホミミ)と結婚したのがタカミムスビの娘・栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメ)で、その間に生まれたのが天孫降臨した瓊瓊杵尊(ニニギ)だ。
 他の子供たちのうち、思兼命、天忍日命、天太玉命、天活玉命の4人は、ニギハヤヒと共に大和で活躍したのち、有力な氏族の始祖となっている。
 高天原では、タカミムスビが政治や軍事を司り、アマテラスが祭祀を担当していたという説がある。それゆえ、古来の天皇家ではタカミムスビを最高神として祀っていたというのだ。
 古来、皇居八神殿(天皇守護の8神を祀る神殿)の第一殿にカミムスビが、第二殿にはタカミムスビが祀られていて、現在の皇居にもそれはある。
 天皇家の最高神がアマテラスになったのは、第40代・天武天皇、第41代・持統天皇以降のことだとする説はわりと説得力がある。
 天皇の権威を高めるとともに中央集権的国家を確立するために天武天皇と持統天皇がやったことは多い。それまでの歴史をまとめる『古事記』と『日本書紀』の編さんを命じたのもその一つだ。
 そのとき、皇祖神の入れ替えのようなことが起こったのかもしれない。
 伊勢神宮の内宮が今のような姿に整えられたのは、第42代・文武天皇時代の697年頃といわれている。アマテラスを女神として自分の姿に重ね合わせて、伊勢の神宮に祀ったのは、持統天皇の発案だっただろうか。
 伊勢の神宮の元になる社はもっと古くからあったのだろうけど、天武、持統天皇時代にアマテラスを祀る神宮があったという形跡はない。
 大海人皇子(のちの天武天皇)が壬申の乱の時にアマテラスに戦勝祈願をして勝ったことがきっかけになったともいう話もある。

 もう一柱の祭神であるカミムスビ(神産巣日神/神皇産霊尊)についてはさらに情報が少なくてよく分からない。
 タカミムスビとともに造化の三神の一神で、本来性別はないのだけど、唯一、女神とされていて、タカミムスビとペアになっていることが多い。
 出雲関係で何度か登場していて、オオクニヌシとの関係が深い。
 因幡の白兎の話のあと、兄神たちに殺されたオオクニヌシを治療して生き返らせたり、出雲大社の造営では神々を招集して宮殿作りを先導したという。

 そろそろ話を元に戻すと、誰がなにゆえにタカミムスビとカミムスビを祀る神社をこの地に創建したのかということだ。
 その答えは、全然分からない、ということになる。
 個人的な感覚としては、物部氏ではないような気がする。
 タカミムスビや高木神を祀る神社は、福岡など北九州一帯に多い。実在の人物なり氏族が元になっているとしたら、それは渡来系なのか、そうではないのか。
 それらの一族が遠く尾張まで流れてきて、故郷の神聖な山である高牟礼山から名を取って高牟神社と名付けたのだろうか。
 なんにしても、そう簡単に答えの出るものでもない。今後とも興味を持っていれば、ひょんなところで話がつながって、それまで見えなかったものが見えるようになるということもあるかもしれない。




高牟神社-3





高牟神社-4





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高牟神社-11

 とりあえず恋の三社めぐりは終わったけど、恋愛の運気アップを狙ったものではないので、運気が上がるならもう少し別のところでお願いしたい。
 個人的な神社めぐりはまだまだ続く。

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