受験シーズンの桜天神へ - 現身日和 【うつせみびより】

受験シーズンの桜天神へ

桜天神入り口

SONY α55 + SONY 35mm f1.8/ TAMRON 10-24mm f3.5-4.5



 名古屋市中区錦の桜通沿いに高いビルに囲まれてその小さな神社はある。通りの名前の由来になっている桜天神社だ。
 到着したときは、すでに日没間際だった。ちょくちょく訪れているから久しぶりという気はしないけど、一年以上間が空いているかもしれない。
 名古屋三天神のひとつで、初詣のとき上野天満宮山田天満宮を訪れたから、これで三ヶ所巡り終えた。
 入り口に置かれている時分鐘は江戸時代のレプリカで、かつては名古屋城の城下に時を知らせるために一日2回、12時に鳴らされたという。昼はともかく、夜中も鳴らしていたとは。尾張藩2代藩主の光友が作らせたとされる。
 かつて境内には、立派な桜の木があって、名古屋城下の桜の名所として知られていたそうだ。いつしか桜の木はなくなり、名前だけが残った。



桜天神ひしゃく

 合格祈願に訪れる受験生や関係者は多い。



桜天神奉納ひしゃく

 大量のひしゃくに囲まれる牛さん。
 ここはひしゃくに願い事を書いて奉納するスタイルのようだ。



桜天神絵馬

 絵馬も満載。
 黒い牛はどういう意味があるのだろう。



桜天神ビルに囲まれる

 いつ見てもすごいロケーションだなと思う。
 日が差す時間帯は短く、夕方行くことが多いのでたいてい暗い。



桜天神参道

 鳥居から入って短い参道を進み、右に直角に折れたところに社殿がある。



桜天神-7





桜天神-8

 信長の父・信秀が北野天満宮から菅原道真の木像を勧請して那古野城の祠に祀ったのが桜天神社の始まりとされる。
 現在の場所に移されたのは戦国時代の1537年のこと。当時この場所には萬松寺があり、寺の鎮守とされたという。
 萬松寺は1610年の名古屋城築城にともなって大須へ移されることとなり、桜天神だけがそのまま残った。
 当時はまだ桜天神という名前はついておらず、境内に桜の立派な木があり桜の名所だったことから桜天神と呼ばれるようになり、そのまま名称として定着した。
 加藤清正が名古屋城築城の際、この神社に本陣を置いたというから、その当時はかなり広い敷地があったのだろう。たびたび茶会も開かれたという。
 名物だった桜の木は1660年の万治の大火で焼失してしまう。桜は神社の名前に名残を残すのみとなった。
 通りの名前が桜通になったのは昭和になってからのことで、それまでは菅原通と呼ばれていたそうだ。明治の神仏分離令で一時、菅原神社と名前を変えていた時期もある。

 受験シーズンはまだ続く。道真公にあやかりたいという願いは江戸時代も今も変わらないのかもしれない。

【アクセス】
 ・地下鉄桜通線「丸の内駅」から徒歩約5分。
 ・拝観時間 終日
 ・駐車場 なし
 

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