昭和30年代に小旅行できる「昭和日常博物館」<1> - 現身日和 【うつせみびより】

昭和30年代に小旅行できる「昭和日常博物館」<1>

昭和日常博物館1-1




 ちょっと昭和30年代にタイムトリップしてきた。
 まだ生まれていないから懐かしいとはいえないのだけど、最も昭和らしかった時代。一番夢が溢れていたときと言ってもいいだろう。
 戦後の復興が進み、街は活気を取り戻し、日本も人々の暮らしも豊かになった。次々に新しい電化製品が発売され、新幹線が走り、オリンピックが開催された。生活が豊かになることが幸せになることだと信じられた時代。すべてが幸せだったわけではないにしても、人々は未来に希望が持てた。頑張ることで報われた最後の時代という言い方もできるかもしれない。
 今振り返って見ると、まだまだ貧しく、街も清潔とは言えず、暮らしは依然として不便なままだった。それでも、昭和30年代を生きた多くの人が懐かしく振り返るのは、やはりあの時代はいい時代だったからに違いない。昭和40年代に入ると、必ずしも夢や希望だけで生きていける時代ではなくなっていた。
 平成になって20年以上が過ぎ、人々が昭和時代を懐かしく思い返すことが多くなったように思う。昭和というキーワードが、レトロとノスタルジーを感じさせる言葉になった。昭和回顧のイベントなども増え、全国各地に昭和を再現した施設などもたくさん作られている。それが閉塞した今の時代の気分なのだろう。
 そんな時代の流れをいち早く読み取り、昭和を収集、保存し、展示を始めたのが、師勝町歴史民俗資料館だった。
 昭和が終わって間もない平成2年(1990年)という早い時期に、昭和にまつわる品々を集め、資料館として開館させた。
 1999年に行った「ナツカシイってどんな気持ち~ナツカシイをキーワードに心の中を探る」という企画展示をきっかけに、今のような展示スタイルになっていった。
 常設展示の他、年に3回の企画展が開催されている。
 平成18年(2006年)に、師勝町と西春町が合併して北名古屋市となり、名称は北名古屋市歴史民俗資料館「昭和日常博物館」に変わった。
 博物館は、北名古屋市の東図書館の3階にある。入場は無料で、土日祝日をのぞく平日の午後5時までとなっている。
※現在は、毎週月曜日と毎月末日が休館日となっている(9-17時)。



昭和の自転車屋さん

 こういう風景をリアルタイムで知っている人なら、懐かしいに違いない。再現度はかなり高そうだ。
 昭和30年代ということで、私などは中途半端で少し乗り切れないものを感じた。もっと若ければ、まったく知らない昔の風景を新鮮に感じるんじゃないだろうか。
 昭和50年代というのも魅力的な時代だったから、そのあたりを再現する施設があってもいいんじゃないだろうか。



バイク陸王

 自転車屋さんを再現している。
 店先にとまっているのは、陸王というバイクだ。和製ハーレーなども呼ばれたそうだ。



昭和日常博物館タバコ屋

 タバコ屋さんと公衆電話。昔、タバコ屋は切手やハガキも販売していた。
 公衆電話は、ボックスが主流になる前は、こんな風に店の前に置かれているのが普通だった。



昭和日常博物館丸ポスト

 丸ポストと駄菓子屋。
 丸ホストは今でもときどき見かけるから、特別懐かしいものではない。
 駄菓子屋は、ここまで古めかしいものではなかったけど、子供の頃よく行っていた。まだわずかに駄菓子屋の生き残りがあった。



昭和日常博物館床屋

 ここまでオールドスタイルの床屋は知らない。



昭和日常博物館ポマード

 ポマードというのは今でも売ってるのだろうか。リーゼントが絶滅寸前だから、ポマードの需要は多くないかもしれない。



昭和日常博物館下駄屋

 下駄屋さん。昔は靴屋ではなく、下駄屋と呼んでいた。下駄履きの人も最近はまったく見なくなった。



昭和日常博物館電気屋

 電気屋さんの再現。
 さすがに新品同様の電化製品を収集することは無理なので、あまり電気屋っぽく見えない。
 洗濯機の特売が1万9千円を超えている。当時としてはものすごく高価だったに違いない。
 家電の三種の神器は、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫だった。今では当たり前となったこれらも、あの頃は夢の製品だった。それまですべて手作業や肉体労働だったことが、電気製品の登場で劇的に楽で便利になった。電気炊飯器や電気掃除機が一般に普及したのもこの頃だ。
 お父さんたちは外でせっせと働いて稼ぎ、次々に新しい家電を買ってきて、家族みんなが大喜びした。お父さんに権威があり、家族に尊敬されたのも当然のことだった。



昭和日常博物館居間

 昭和30年代の居間の様子。真ん中にちゃぶ台があり、テレビがあり、家電に囲まれた暮らし。収納という発想があまりなかった時代だから、いろんなものが床に置かれていた。
 昭和30年代前半、テレビは街頭か、お金持ちの家に行って観るものだった。昭和35年でようやく一般家庭の普及率が50パーセント近くまでなり、90パーセントを超えるのは昭和40年になってからのことだった。
 チャンネル争いという言葉も、今はもう死語に近い。



昭和日常博物館黒電話とタンス

 黒電話に小さな鏡台。薬箱や諸々のものがタンスの上に置かれている。こんな風景は、昭和40年代になっても続いていたように思う。子供の頃、アパートで暮らしていたときの写真を見ると、こんな感じに近い。
 洋服を仕舞うクローゼットなんてものはなく、そもそも仕舞うほどたくさんの洋服を持っていない。日常の着替えは、部屋の隅に吊っていた。



昭和日常博物館食卓風景

 こちらは田舎の方の居間といった感じだ。板張りの床というのは、街中では少なくなっていたんじゃないだろうか。



裸電球

 傘を被った裸電球。うちの田舎では長らくこんなだったから、すごく古いとは感じない。
 蛍光灯が普及して、少しずつ切り替わっていったのも、この時代だ。



リヤカー

 リヤカーは、農村地域では必需品だった。街での暮らしでは、馴染まないものとなっていた。



昭和日常博物館1-15

 隙間から漏れる部屋の明かり。すきま風が入る隙間でもある。昔の家は寒かった。

 懐かしの小物編に続く。

 昭和30年代の暮らしを再現する昭和日常博物館<2>
 記憶の中のおもちゃ箱の蓋が開く「昭和日常博物館」<3>

【アクセス】
 ・名鉄犬山線「西春駅」から徒歩約30分。
 ・市内循環バス「きたバス」に乗って「市役所東庁舎」下車。 月曜~土曜日 100円
 ・無料駐車場 あり
 ・開館時間 9-17時 月曜日、毎月月末休館

 昭和日常博物館webサイト
 

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コメント
非公開コメント

こんにちはー。

ここ、数年前に一度行ったことがあります。^^
その時は大阪万博の特別展を見に行ったのでした。^^
時間がなくてあまりゆっくりできなかったから、また一度行ってみたいな~。
最近懐かしいものにとても惹かれます。。。年齢のせいかな。笑

2011-01-28 17:33 | from lavie | Edit

昭和
懐かしいとともに、やはり心に暗い影が落ちます

自分にとっては怖い時代だったと、今振り返ると思います

2011-01-28 19:33 | from ただとき | Edit

昭和50年代希望

>lavieさん

 こんにちは。
 lavieさんもここ行ったことあったんですね。
 穴場スポットでもあり、知ってる人には有名どこかもしれないですね。
 特別展と絡めて行くと、更に楽しめそうですね。
 フィルムカメラで撮っても雰囲気が出そうだけど、何しろ暗いので、ちょっと厳しいかな。
 私も、懐メロ聴いて泣きそうになってる自分に年齢を感じます(笑)。

2011-01-29 01:58 | from オオタ | Edit

懐かしくもあり

>ただときさん

 こんにちは。
 昭和って、今になってみると懐かしいけど、もう一度やり直せっていわれたら、ちょっとぞっとします。(^^;
 納得できない不条理なこともたくさんあったし、考えてるほどいい時代でもなかったですね。
 今よりもいろんなことが分かりやすい時代ではあったけど。
 やっぱり、平成の世の中で懐かしがってるのがいいですね。

2011-01-29 02:00 | from オオタ | Edit

おはです

電電公社マークと字体、ナツカシス・・。
黒電話はかなり頑張ってた方かな。ピポパッの時代になっても使ってた(と思う)。

茹で卵器、まだある。って最近は使ってませんが・・。
かぶせる部分がプラ製なので後期になっての物かもしれません。
意外と失敗しませんでしたねぇ。

冷蔵庫、上面は物置けるようになってて後端にコンセント付。
・・・はノスタルジィの範囲ではなかったか(^^;。


社会に対してではなく自分が(は)満足していたので、自分的には古きよきって感じでしょうか・・。

2011-01-29 09:01 | from | Edit

懐かし家電

>⑦さん

 電電公社って名前自体、懐かしい響きですね。
 黒いダイヤル電話はいつまで使ってたかなぁ。プッシュホンに変わったのは、中学か高校くらいだったかもしれない。
 いろいろ忘れていた家電のこととか思い出しました。
 なかなか面白いところでした。

2011-01-30 02:46 | from オオタ | Edit

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