冬の雨の中、飛鳥を歩く <第二回> - 現身日和 【うつせみびより】

冬の雨の中、飛鳥を歩く <第二回>

飛鳥2-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4



 鬼の石、亀石を見たあとは、石舞台古墳がある東エリアへと向かった。
 空がだんだん厚い雲に覆われ始め、わずかな隙間から光が差して明日香の地を照らした。ほどなくして、その光も消え、ポツリ、ポツリと雨が落ち始めた。

飛鳥2-2

 お寺の入り口のようなものが見えたので近づいてみると、聖徳皇太子御誕生所と彫られた石柱が立っていた。その前には下馬の文字も見える。
 石柱をくぐった先にお寺があると思いきや、一面田んぼが広がっている。どういうことだとあたりを見渡し、左手に目を移すと、やや離れたところに寺のお堂が見える。どうやらあれが橘寺のようだ。
 聖徳太子こと厩戸皇子が生まれた場所に建てたとされるのが橘寺だ。実際にそうだったのかは分からない。
 聖徳太子は、ヤマトタケルのように、『日本書紀』の中で作り上げられた架空のヒーローとする説がある。個人的にはもう少し実在寄りの人物であったと考えたい。後世の日本人が聖徳太子に対して抱く親しみの感情は、架空の存在に向けられたものとは思えない。

飛鳥2-3

 飛鳥の中でも、この眺めはとても印象深いものだった。飛鳥らしい風景の一つといってよさそうだ。
 夏の風景もきっと美しいだろう。
 
飛鳥2-4

 遺跡や寺社から少し外れると普通の田舎風景に見える。けど、今自分が踏みしめている地のどこもかしこも、飛鳥時代には日本の都だった場所だということを思うと、じわりと感慨深い気持ちになる。
 1400年は遠い昔ではあるけど、神話の時代というほど遠くはない。当時も今も、人間の基本的な部分は何も変わっていない。彼らは確かにここで生きていた。

飛鳥2-5

 飛鳥の駅前には、現在169号線となっている中街道(古代官道のひとつ)が南北に走っていて、その道はそれなりの広さを持っているものの、他には幹線道路のようなものはなく、どこも道は狭い。飛鳥盆地は山に囲まれているから、東西の道が発展せず、結果的にこの地の遺跡は残った。もともと都を置くには不便な場所だった。海も遠く、大きな川もない。道を造るにも、地形的に難しい。律令国家の中心地とするには、流通の部分で向いていなかった。

飛鳥2-6

 空は水墨画の色になった。私が覚えている飛鳥の空はこんな色だった。

飛鳥2-7

 石舞台古墳も、中には入らず、少し離れた高台から見ただけだった。
 遺跡巡りは次の機会に残しておいた。
 古墳というからには元々古墳の形をしていたはずで、これは中の玄室がむき出しになった状態だ。最初からこうだったわけではない。
 古墳の形は円形だったのか八角形だったのか、はっきりしない。
 被葬者は、蘇我馬子という説が有力のようだ。蘇我稲目という説もある。
 蘇我氏に対する懲罰的な意味合いでこんな姿にされたといわれているけど、本当のところは分からない。
 一時は天皇家に匹敵するほど強大な力を持っていた蘇我氏は、大化の改新以降、勢力を弱めていくことになる。
『日本書紀』や『古事記』などは、勝者の側に都合良く書かれた歴史書だから、すべてをそのまま信じることはできない。蘇我氏も、書かれているほど悪かったとは考えにくい。
 蘇我馬子と聖徳太子が編さんしたとされる『天皇記』や『国記』が、もし現存していれば、日本の歴史書は大きく変わることになる。『日本書紀』は、日本最古の歴史書ではなく、現存する最古にすぎない。それ以前にも『帝皇日継』や『帝紀』があったとされる。
 乙巳の変で、蘇我蝦夷の家が燃やされたとき、『天皇記』は燃えて、『国記』は燃える炎の中から取り出されて中大兄皇子に献上されたとなっている。しかし、それも怪しい話だ。オリジナルが1冊ずつ、天皇家ではなく蘇我家にだけにあったなんてことがあるだろうか。都合の悪いことが書かれていたから、全部燃やしてしまったと考える方が自然だ。
 2005年に蘇我入鹿の邸宅跡が発見されたというニュースがあった。あるいはと期待した人も多かっただろうけど、今のところ世紀の大発見があったという続報はない。

飛鳥2-8

 どこに行っても、いい廃屋があれば撮る。これもなかなかのものだった。

飛鳥2-9

 石舞台古墳から北上して、岡寺を目指した。
 途中にあった坂乃茶屋は、年末休みに入っていたようで、やっていなかった。

飛鳥2-10

 岡寺も、前まで行って中には入らなかった。
 創建はかなり古く、日本最初の厄除け寺だそうだ。
 見えている仁王門は、1612年再建のもので、重文指定になっている。

飛鳥2-11

 岡寺の前に治田神社というのがあったので、ちょっと寄ってみた。
 治田氏の祖神を祀る古い神社で、式内社だそうだ。
 もともとは別の場所にあったものが、ここに移されたという。なんとなく敷地の隅っこの方に間借りしているみたいに建っている。

飛鳥2-12

 二宮金次郎像かと思ったけど、なんとなく髪型が違うような気がする。

飛鳥2-13

 岡寺から出たあと、道に迷ってしばらくさまよった。人に尋ねようにも、誰も歩いちゃいない。気がつくと、田んぼのあぜ道に立っていた。一体ここはどこでしょう?
 あちこち行ったり来たりしていたら、天理教のところに出た。次の目的地は、板葺宮跡だった。
 つづく。

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コメント
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なるほど☆

冬の飛鳥路も良いですよ!と飛鳥通の方から聞いてはいましたが
そんな様子が写真と文章から、伝わって来ます。
 石舞台古墳、懐かしいなー。
古代米の聖徳弁当は食べました?

2011-01-09 10:17 | from miku | Edit

冬の飛鳥

>mikuさん

 こんにちは。
 冬の飛鳥は、飛鳥通に人気なんですね。
 春や秋はきっと、ぞろぞろ人が歩いてるんだろうけど、冬は少ないから、それだけでもいいかもしれないですね。
 かつての都を思うには、冬のわびしいような風景の方がかえって想像力がかき立てられるってのもあるかも。
 古代米の聖徳弁当なんてのがあるんですね。知らなかった。
 内容が全然思い浮かびません(笑)。

2011-01-10 01:02 | from オオタ | Edit

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