夕焼けのち雨の岐阜城登城 <岐阜旅第二弾・その5> - 現身日和 【うつせみびより】

夕焼けのち雨の岐阜城登城 <岐阜旅第二弾・その5>

岐阜城-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4



 閉館間際の岐阜城天守閣に飛び込んで、急な階段を駆け上がって最上階から外眺めたとき、空は暗雲とオレンジに分割され、長良川は夕焼け色に染まっていた。
 おお、これは。
 こんなときは平凡な言葉しか出てこない。美しい。
 まだ若く、天下取りの野望に燃える34歳の信長は、ここからの眺めに何を思ったか。やっとここまできたかという感慨か、まだまだこれからという思いだったか。難攻不落とされた稲葉山城を足がかりにできたところで、上洛までの道のりは見えたに違いない。あるいは、もうこの時点で天下統一からその先まで見据えていたのだろうか。

岐阜城-2

 岐阜城は、標高329メートルの金華山山頂近くにある。その麓には、岐阜公園が整備されている。
 天守閣へ行くには、いくつかの登山道がある。きつい登りからゆるやかなものまで、30分から1時間くらいのコースだ。
 一般的にはロープウェイを使う。それなら3分で行ける。
 大手口の前には、天下第一の門がある。これは復元というか模擬門で、当時もこんな門があったかどうかは分からない。

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 入り口から入ってすぐのところに、信長の居館跡がある。
 その後の本丸御殿のようなもので、信長は天主と呼んでいたようだ。安土城は天守閣のことを天主としていたけど、その原形がここにあったと見てよさそうだ。
 4層の華麗な建築物だったと伝わっている。
 現在もまだ発掘調査が続いていて、一般公開もされている。このときはすでに公開時間が終わっていた。

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 ロープウェイ乗り場近くに三重塔が建っている。
 これは信長とは関係がなくて、大正天皇が訪れた記念として大正5年に建造されたものだ。
 それでももう100年近く経っているから、なかなか風合いが出てきている。

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 ロープウェイは15分置きに運行されていて、往復で1,050円。
 岐阜の街を眺めながら登っていく景色がいい。3分間だからあっけないのだけど。

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 現在の天守閣は、昭和31年に造られた模擬天守だ。
 実はこれは2代目の復興天守で、初代は明治43年に造られている。それは日本で最初の観光用天守で、木造トタン葺きの3層3階だった。木材は長良橋の廃材利用、屋根はトタン葺き。工事は保存会や建築関係の人たちの労働奉仕で行われたんだとか。
 昭和18年に火が出て、あっけなく燃えてしまった。
 昭和に再建されたものは、3層4階建ての鉄筋コンクリートで、当時の櫓の図面などを参考に設計されたというから、姿はオリジナルにわりと近いかもしれない。ただ、実物はこんなおとなしいものではなかったはずだ。瓦まで金箔だったというし、ルイス・フロイスが地上の天国とまで書いているくらいだから、安土城に通じるようなものだったのだろう。信長という人間がありきたりなもので満足するとは思えない。
 岐阜城が最も注目を浴びたのは、NHK大河「国盗り物語」が放映された昭和48年だった。斎藤道三と織田信長の攻防を描いた作品で、ここ稲葉山城(岐阜城)が舞台となったことで、年間入場者は43万人を超えた。
 昭和50年には、川島紡績の社長が6,000万円を出して模擬隅櫓を造った。そこは資料館になっている。
 平成22年の去年、国指定の史跡になるという話だったけど、あれは本決まりになったのだろうか。

 鎌倉時代初期の1201年、二階堂行政(源頼朝の親戚)が、稲葉山に砦を築いたのが始まりとされている。
 いったん廃城になったあと、室町時代になって美濃の守護代だった斎藤利永が、修復して城を建てて、居城とした。
 戦国時代になって、斎藤道三があらたに山頂に稲葉山城を築いた。蝮(まむし)の道三の異名を持つ斎藤道三が造った稲葉山城は、難攻不落といわれた。織田軍も何度も攻め込んでは撃退されている。
 しかし、斉藤親子の争いで道三が討たれ、義龍の急死によって龍興が13歳で家督を継いだことで斉藤家は弱体化し、家臣の竹中半兵衛や安藤守就が謀反を起こした隙を突いて、信長はようやく稲葉山城を攻略することができたのだった。それが1567年のことだ。
 信長はそれまでの居城だった小牧山城から稲葉山城に移り、町の名前を井ノ口から岐阜と改め、稲葉山城も岐阜城とした。
 安土城完成が1576年、信長43歳のときだ。
 岐阜城を嫡男の信忠に譲り、自分は安土城に移った。
 1582年、本能寺の変で信長と共に信忠が倒れると、家臣の斎藤利堯によって岐阜城は乗っ取られてしまう。
 それもつかの間、明智光秀が秀吉に討たれると、斎藤利堯は織田信孝(信忠の弟)に降伏。
 清洲会議において、信孝が城主と決まる。
 信孝は自分こそが信長の後継者になるべきと思っていたので、秀吉に刃向かった。しかし、最後は秀吉との争いに敗れて、切腹させられることになる。
 その後は、池田元助や池田輝政、豊臣秀勝、織田秀信などが城主となり、関ヶ原では西軍について敗れ、関ヶ原のあとに廃城とされた。
 家康は奥平信昌に美濃を与え、あらたに加納城を築城させた。その際に、岐阜城の天守、櫓、石垣を移築したとされる。
 加納城の天守は、江戸時代(1728年)に落雷によって燃え落ちてしまった。

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 4時15分のロープウェイに乗ったので、山上駅に着いたときには、天守の閉館時間まで10分ちょっとしかなかった。
 通常、駅を降りてから歩いて10分弱の上り階段を、5分で駆け上がった。それでも、天守に入城してから見学時間は7分くらいしかなかった。

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 非常にせわしない見学ならびに撮影となってしまったのだけど、日没近くということで、夕焼け風景を見ることができたのはよかった。この時間帯の眺めを見られるのは、冬場の一番日没が早い時期だけだ。あとは、ナイター営業のときと。

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 よく晴れていれば、眼下の長良川から御嶽山、乗鞍、アルプス、伊吹山、鈴鹿山脈、伊勢湾まで360度のパノラマ風景を楽しむことができる。
 このときは、上空に不穏な黒い雲がかかって、遠くまで見渡せなかった。まさかこのあと、本降りの雨になるとは、このときは思いもしなかった。

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 光のシャワーにカラスが舞う。

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 東の空はとんでもなくかすんでいる。霧なのか靄なのか、同じ場所からの眺めとは思えない。長良川の影響もあるのだろうか。

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 これはこれで幻想的な風景で美しいと喜ぶ。

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 突然、ワッと雨が降ってきた。
 私の晴れ男伝説はいよいよ終わった。それまで連戦連勝で晴れていたのに、去年の秋くらいから雨が増え始めて、ここのところの雨確率はとても高くなっている。実は次の旅でも雨に降られることになる。
 このときは、まさか雨なんて考えもしなくて、雨具は一切持っていっていなかった。レンタサイクルで、傘もなく、このあとずぶ濡れになりながら自転車で観光を続行した自分に自分で感心した。

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 長良川の流れ。

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 南の方角は晴れて、街に日が当たっている。
 左端に小さく名古屋駅のタワーが見えている。

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 かなりドタバタしたけど、なんとか天守まで登って、写真も撮ることができた。
 残す予定は川原町だけとなったものの、雨はますます強くなる。にわか雨で済んでくれる様子はない。
 どうしようか迷いつつも、自転車まで戻って、川原町へ向かうことにした。
 つづく。

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