廃校になった学校の教室が撮りたくて ~多米民俗資料収蔵室 - 現身日和 【うつせみびより】

廃校になった学校の教室が撮りたくて ~多米民俗資料収蔵室

民俗資料収蔵室-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 / PENTAX-M 50mm f1.4



 ずっと前からそうだったわけではない。気づいたら廃墟めいたものに惹かれる自分を発見した。いつ何がきかっけでそうなったのかという自覚はない。自分では気づいていなかっただけで、昔からそういう部分はあったのかもしれない。
 私はそれを、未来を先取りしたノスタルジーだと自己分析している。今を生きながら昔を懐かしんでいるというよりも、未来から見た現在の姿を廃墟に投影して見ているといった方が合っている。
 あらゆるものは古び、色あせ、崩れ去り、やがては消えるさだめを持っている。今最先端のものでも、やがては過去の遺物となる日がやってくる。そう考えたとき、今見ている廃墟の姿は、未来から見た現在の姿と重なるのだ。古き良き時代に戻りたいとかいう懐古趣味とは違う。
 廃校になった古い木造の校舎を撮ってみたいと思っていた。そうは思っても、そう簡単にあるものではない。田舎の方に行けばあるのだろうけど、何の手がかりもなしに探して見つかるものではなく、あったとしても一般の立ち入りが禁止されているところがほとんどだろう。合法的に入れるところといえば、観光用に保存展示してあるようなところになる。そういうところはいくつか見たことがある。
 豊橋の多米民俗資料収蔵室の存在を知ったのは、御油夏まつりについて調べていたときだった。豊橋でもう少し見て回るものがないかと探していて、ネットでここのことを知った。名前の通り、現在は民俗資料を収蔵展示している施設ではあるのだけど、廃校になった多米小学校の木造校舎がそのまま使われている。是非行こうと、すぐに心は決まった。

民俗資料収蔵室-2

 廃校になった校舎を資料室として一般公開したのは、昭和53年のことだそうだから、ずいぶん昔からあったのだ。
 2006年に公開された映画『早咲きの花』のロケに使われたことで、少し知名度が上がったらしい。
 監督は菅原浩志、主演は浅丘ルリ子で、第二次大戦中の豊橋を舞台にした映画だ。ほとんど愛知県内でしか上映されなかったようだから、知られたといっても全国に知れ渡ったわけではない。
 豊橋も昭和20年の空襲でひどくやられて、市街地の7割を消失している。その中で、多米小学校は、焼け残り、市内で唯一現存する木造校舎となっている。
 公開は土日のみ(9時半~4時)で、無料。
 豊橋駅前で市電に乗って、終点の赤岩口まで行き、そこからバスで柳原団地までいく。あとは歩いて5分くらいだ。

民俗資料収蔵室-3

 懐かしいというには私にとっては時代が古すぎる。古い学校のセットみたいというには、荒れている。
 良く言えば手つかず、悪く言えば整備不良といったどっちつかずで、当時のままと言うには手が入っているし、観光用にきちんと体裁を整えているかといえばそうとは言えない。
 けど、この感じ、決して悪くない。トリップ感を味わうには少し時間がかかるけど、この空間の中でしばらく過ごしていると、だんだん空気感に馴染んでくる。思い描いていた廃墟に近い廃校というのとは違うけど、観光用でないところがいい。

民俗資料収蔵室-4

 校舎全体が当時に近い形で残されているのかと思ったらそうではなかった。教室はこの一室のみで、あとは展示室として使われている。音楽室などもない。それが少し物足りなくも感じた。
 机や椅子は当時のままで、椅子が揃いじゃなかったり、机の高さが微妙に違ったり、机に刻まれた落書きがあったりと、とてもリアリティーがある。
 こういう教室を見ていつも感じるのは、机と椅子があまりにも小さいことだ。自分も小学生のときはこんなにも小さかったのかと思うと、少し愕然とした思いに囚われる。思えば長い旅をしてきたのだとも。
 教室ゆっくり歩いて回り、しばし感慨にふける。

民俗資料収蔵室-5

 民俗資料とは何かといえば、昔の生活用品とか、道具とか、器具とか、そういったようなものだ。
 東三河を中心に集めたそれらを、5つのテーマごとに分けて展示している。全部で3,500点ほど集めた中から1,000点ほどを展示してあるそうだ。
 しかし、整然と並べてあるのは一部で、あとは教室や廊下に雑然と積み上げられていたり、なかば物置状態と化しているところもある。
 私の目的は、あくまでも木造校舎と教室を撮ることなので、展示物に関してはざっと眺めただけだった。目に付いたものをいくつか撮った。

民俗資料収蔵室-6

 廊下の板張りが補修されて色が変わっている。こんな感じも好きだ。

民俗資料収蔵室-7

 茶の間を再現した一角がある。これはまた古い。私の子供の頃の時代ではない。昭和30年代くらいだろうか。
 世代的には、現在の50代、60代より上の人たちが見て懐かしいと感じるものが多そうだ。

民俗資料収蔵室-8

 うちの田舎にあったのは、こんな冷蔵庫だった。
 田舎の冷蔵庫の中身が思い出された。

民俗資料収蔵室-9

 電気掃除機の走りくらいのときのものだ。
 どれもお宝になりそうなものではあるのだけど、たいていは保存状態がよくない。とりあえず手当たり次第集めてきて、そのまま置いてあるといった感じだ。
 展示物にしても、展示方法に関しても、もう少しなんとかできそうに思う。

民俗資料収蔵室-10

 古いPanaColorのテレビ。昭和40年代の初期のカラーテレビだ。
 発売当時は夢の電化製品で、庶民のあこがれだった。当時は最新のデザインで、みんなはこれをカッコイイと思っていたのだろうけど、今見るととんでもなくデザインが古くさい。
 こんな小さなブラウン管を、家族全員が張り付くように見ていた時代は、貧しくもあり、心豊かでもあった。チャンネル争いなんて言葉も、最近すっかり聞かなくなった。家族がバラバラになったのは、子供部屋にもテレビが置かれるようになってからかもしれないと思ったりもする。

民俗資料収蔵室-11

 下駄と草履が並ぶ、かつての日本の玄関風景。

民俗資料収蔵室-12

 これは懐かしい。板に釘を打ち付けて作ったパチンコ台だ。私も子供の頃、似たようなものを作った覚えがある。
 思えば昔はそんなにたくさんのおもちゃはなくて、けっこういろんなものを考え出して手作りしたものだ。
 素朴なおもちゃでも、想像力で補うことで楽しくなった。

民俗資料収蔵室-13

 シンガーミシン。
 かつては一家に一台、必ずといっていいほどミシンがあった。お母さんは日常的にミシンで縫い物をしたものだ。今はミシンを持っている家は少なくなったのだろう。ましてや、足踏みミシンなどは絶滅に近いんじゃないか。

民俗資料収蔵室-14

 柱時計はたくさん集まったようだ。まとめて壁にかけられていた。
 振り子時計も、一般家庭では見なくなったものの一つだ。

民俗資料収蔵室-15

 木造校舎を撮りに来たつもりが、いつの間にか昭和の懐かし製品撮りに変わっていた。こんな自転車も昔あった。

民俗資料収蔵室-16

 ピッキングなんて言葉がなかった時代、家の鍵はこんな程度で充分だった。ぐりぐり回すねじ式のこんな鍵を知らない世代も増えたのだろう。

 木造校舎を撮るという点においては、大満足とはいかなかったものの、昭和の製品をあれこれ見ることができたのは予想外の収穫だった。
 一見の価値がある場所として、オススメできる。
 私は更なる廃校を求めて、もう少し調べを進めることにしたい。どこかにひょっこり、思い描いているような廃校があるような気がする。かつて子供たちが発した残響が聞こえるような写真を撮りたい。

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