御油神社に挨拶に行ったけどイザナミは留守だった <後編> - 現身日和 【うつせみびより】

御油神社に挨拶に行ったけどイザナミは留守だった <後編>

御油夏まつり2-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4 / 55-300mm f4-5.8



 御油の夏まつりは、御油神社の祭事ということで、やはり神社にも参っておかないといけないだろうと、御油神社に向かった。
 けれど、祭神であるイザナミを御輿に乗せて町内を練り歩くのが御油の夏まつりなわけで、ということは、神社に行っても神様はお留守なのではないかと、あとになって気がついた。挨拶に行ったつもりが、留守宅の玄関先で名を名乗って独り言を言ってるおかしな訪問者となっていたようだ。山車が目の前を通ったときは写真を撮ることに気を取られて挨拶も忘れていた。イザナミはあの金ピカの御輿に乗っていたのだろうか。

御油夏まつり2-2

 街道筋の多くの家の玄関先に、これと同じ提灯が吊られていた。祭りのものなのか、祭礼関係のものなのか。
 日の丸提灯というと、祝日に掲げる国旗と同じような意味合いがあるようにも思える。

御油夏まつり2-3

 とても昭和チックな玄関。
 うちの田舎もこんな感じだった。

御油夏まつり2-4

 御油小学校。
 小さな町のわりには校舎が大きい。増築されたような建物もある。
 この地区は思っているより世帯数が多くて、子供もたくさんいるのかもしれない。
 土曜日でもあり、夏休みでもあるということで、学校に人影はなかった。この日はお祭りで、先生たちも学校よりお祭りにかり出されていたんじゃないだろうか。

御油夏まつり2-5

 御油神社前には立派な幟(のぼり)が立てられていた。御油橋にも同じものがあった。神社のものも、祭りの間だけだろうと思う。

御油夏まつり2-6

 駅からは1.5キロくらい離れていて、わりと遠かった。ふらふら歩いていたら20分以上かかった。
 誰か参拝してるか、関係者でもいるだろうと思ったら、あたりにはまったく人影はなく、深閑と静まりかえっていた。まさにもぬけの殻といった様子だった。

御油夏まつり2-7

 御油神社に関しては何の予備知識もなかった。このときは祭神がイザナミということも知らなかった。
 古い神社なのか、新しい神社なのかも分からないまま、苔むした石灯籠がいい感じなので撮ってみる。

御油夏まつり2-8

 室町時代の中期、1444年に、熊野族の稲石五郎蔵光朝が紀伊国からこの地に移ってきて、御油城を築いた。
 その後、林と名乗り、代々、今川、徳川と仕え、林光正は1563年の御油台合戦で討ち死にして、御油城は廃城になったようだ。御油小学校校舎の東が城跡といわれている。
 御油神社は、林氏が熊野権現から若一王子(にゃくいちおうじ)を勧請して祀ったのが始まりという。
 もしくは、もっと以前の1200年頃、三河国国主の藤原俊成郷が那智から勧請して社を造り、1444年に御油に移されたという話もある。初めは若一王子社と呼ばれていて、のちに地名から踊山神社という名になったらしい。
 情報が少なくて、はっきりしたことは分からなかった。
 はっきりしているのは、熊野信仰と深い関わりがありそうだということだ。
 熊野三山は神仏習合の霊地で、十二の権現が祀られている。権現というのは、日本の神は仏が仮の姿で現れたものであるという思想(本地垂迹思想)で、どちらかというと仏教寄りの信仰だ。
 三所権現、五所王子、四所明神に分けられ、若一王子は五所王子の第一位とされている。
 若一王子の本地仏は十一面観音で、アマテラス、もしくはニニギと同一視された。
 ついでに書くと、本地仏というのは、日本の神はどういう仏かという話で、たとえば、スサノオは牛頭天皇、オオクニヌシは大黒様といったふうに、神と仏を一対にした考え方をいう。
 ただ、ややこしいのは、いろいろかぶっていて、十一面観音も大日如来もアマテラスだったり、八幡神も熊野権現も、本地仏は阿弥陀如来だったりして分かりづらい。
 そもそも、日本の神様の数に対して仏の数が全然足りない。だから、この本地垂迹思想というのは、最初から無理がある。日本に仏教が入ってきたとき、仏教を広めるためにこの思想が生み出されて、悪く言えば庶民を言いくるめるための方便として利用して、仏教を信仰させたという歴史がある。
 ところで、もともとは若一王子を祀っていたのに、どうして現在、祭神はイザナミということになっているのか。そのあたりも詳しい事情は調べがつかなかった。
 明治の神仏分離令で、若一王子を祀っていた神社は、アマテラスやニニギノミコトを祀るようになったろころが多いという。
 御油神社では何故、ニニギでも、アマテラスでもなく、イザナミになったのか。もっと以前の段階、たとえば戦国時代にはすでにイザナミになっていた可能性もある。 
 イザナミと熊野は、深い関係にある。熊野本宮大社では第一殿で祀られているし、島根県松江の熊野大社などでも祭神となっている。紀伊の熊野本宮大社と松江の熊野大社の関係はよく分かっていない。別系列という説もある。
 若一王子も、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社で祀られていて、これはアマテラスのこととしている。
 どこかで、若一王子とイザナミが入れ替わったらしい。

御油夏まつり2-9

 神様不在ということで、拝殿の中は引っ越し準備中のように雑然としていた。賽銭箱も奥の脇に追いやられていて、賽銭を入れることもできなかった。
 それでも挨拶をして、満足げな私を、イザナミさんは遠くで笑っていたかもしれない。誰か留守番をしている神もいただろうか。

御油夏まつり2-10

 石段の光と影のまだら模様がきれいだった。
 祭りのクライマックス神輿還御では、松明で照らされたこの石段を、御輿を担いだ男たちが一気に駆け上がっていく。

御油夏まつり2-11

 境内にあった古い建物。かつては誰かがここに住んでいたのだろうか。

御油夏まつり2-12

 戻ってくると、河原では何かの準備をしていた。ここが花火の会場だったかもしれない。打ち上げ花火だけでなく、三河の伝統、手筒花火も行われたそうだ。手筒花火も一度撮ってみたい。

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 自然と一体化しつつある屋根瓦風景。

御油夏まつり2-14

 山車曳きも撮って、御油神社にもお参りしたところで満足した。
 次の予定が控えているので、御油をあとにした。

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