尾張の一宮真清田神社を巡る謎を考える - 現身日和 【うつせみびより】

尾張の一宮真清田神社を巡る謎を考える

楼門前


 一宮の七夕まつりへ行ったことだし、今回は真清田神社(ますみだじんじゃ)について少し書いてみることにしたい。
 真清田神社は尾張国の一宮でありながら、愛知県民の認知度はあまり高くないような気がする。愛知を代表する神社といえば、やはり熱田神宮ということになるだろう。それに比べると真清田神社の存在感はそれほどでもない。ただ、熱田神宮は尾張国の三宮でしかない(二宮は犬山にある大縣神社(おおあがたじんじゃ))。
 何故、熱田神宮が三宮で、真清田神社が一宮になったのか、はっきりした理由はよく分からない。地理的に真清田神社から大縣神社、熱田神宮と回った方が効率がよかったからじゃないかという説もあるけど、そんな理由で一宮を決めるとは思えない。時の権力者との結びつきだとかそういうこともある。真清田神社の方が古代の国の中心である国衙(こくが)に近かったからという説もあるけど、それもあまり納得はできない。
 同じく一宮市内に大神神社(おおみわじんじゃ)というのがあり、これが一宮だったという話もある。熱田神宮との関係が深かった神社で、熱田神宮は伊勢の神宮同様、別格とされていて、その代わりとして大神神社が一宮の役割を果たしていたとも考えられるとか。
 真清田神社と大縣神社はライバル関係にあって、一時は同格で、大縣神社が一宮になったこともあった。その後、真清田神社が一宮の地位を奪い返した。
 誰がどのような目的で全国の一宮の格付けを始めたのかはよく分かっていない。国司が任地に赴任したとき、一番最初に参拝するのが一宮だったといわれている。一宮、二宮、三宮がそれぞれ2つあったりするのは、時代の変遷の中で交代などがあったということを表している。
 そんな一宮・真清田神社だけど、愛知県民でも訪れたことがない人がけっこういるんじゃないだろうか。そもそも存在自体を知らない人も少なからずいると思う。私も今回が初めての訪問だった。

 入り口では立派な楼門が出迎えてくれる。
 真清田神社は、鳥居をのぞいてすべてが空襲で焼けてしまったので、社殿は戦後に再建されたものばかりだ。楼門も昭和36年に建て直された。
 歴史はないものの、総桧造り、銅板葺きの姿は見事なものだ。あと100年もたてば立派な歴史的建造物になるだろう。



吹き流しと境内の風景

 普段のしっとりと落ち着いた雰囲気とは打って変わって、七夕まつりの期間中は真清田神社境内も大変な賑わいとなる。七夕まつりの主役は、境内社の服織神社(はとりじんじゃ)の神様だから、ここがメイン会場とも言える。
 吹き流しなどの飾り付けだけでなく、屋台もたくさん出ていた。



拝殿と神職

 真清田神社の祭神は、尾張氏の祖神である天火明命(アメノホアカリ)とされているけど、実ははっきりしていない。正式にそう決められたのは明治に入ってからで、それまでは諸説あった。
 大己貴命(オオナムチ)だったり、国之常立神(クニノトコタチ)だったり、天照大神(アマテラス)だったり、いろいろなことが言われていた。
 オオナムチは、大国主(オオクニヌシ)の別名ともされる神で、地上の王だ。クニノトコタチは、神代七代の一番目に現れた神とされる根源神で、非常に古い神様といえる。
 尾張氏の一部がこの地に移住したとき、祖神である天火明命を祀ったのが始まりという説はうなずけるものがあるのに、何故祭神がはっきりしないのかがよく分からない。神社の起源はもっと古く、土着の神への素朴な信仰があったところに、あとから尾張氏が乗っかったということかもしれない。
 それにしても、どこからクニノトコタチが登場したのか、ちょっと謎ではある。もともとは尾張氏とはまったく関係のない神社だったのではないか。
 真清田神社の名前の由来は、このあたり一帯が清らかな水をたたえた水田が広がる土地だったからとされている。けど、延喜式には「眞墨田神社」と表記されていることからして、それはどうなんだろうとも思う。
 真清田神社は分からないことが多い神社であり、歴史的な事件やエピソードが少ないところでもある。熱田神宮にあるような興味深い話は、ここには伝わっていない。
 熱田神宮の成り立ちは思うほど単純じゃない



茅の輪くぐりの光景

 火のついた茅の輪くぐりをしていた。厄払いの神事だろう。
 祭神の天火明命は、名前からしても太陽とか火の神様を想像させる。
 天火明命は、アメノオシホミミ(天忍穂耳命)とヨロヅハタトヨアキツシヒメ(栲幡千千姫命)の子供で、アメノオシホミミは天照大神の子供だ。だから、天火明命は、アマテラスの孫に当たる。弟にニニギノミコトがいる。
 ということは、この系列は天孫降臨系の天津神ということだ。それに対して、もともとの祭神とされるオオクニヌシは地上を支配する国津神だ。クニノトコタチも、地上を造った神とされている。
 この別系統の神がどこで入れ替わったのかというのも、真清田神社を考える上での重要なキーとなる。
 尾張国のもう一つの一宮とされる大神神社は、奈良県(大和)に古くからある神社の系列で、オオクニヌシ(大物主大神)を祀っている。
 地上を支配していたオオクニヌシは、天孫降臨のアマテラス系との争いに敗れて、国を譲ったとされる。尾張の国でも、それに似た交代劇があったのだろうか。尾張氏とは別に、尾張には物部氏の勢力もあって、物部一族はどうやら尾張氏に負けたらしいから、そのあたりも絡めて考えてみると面白い。
 そういえば、この日の主役であるはずの服織神社を撮り忘れた。簡単に挨拶だけはしたのだけど。
 祭神の萬幡豊秋津師比売命(ヨロヅハタトヨアキツシヒメ)は、天火明命の母神で、織物の神とされている。一宮が織物で栄えるのを支えたとして大切にされてきた。一宮の七夕まつりは、この神様に対する感謝の祭りとして始まった。



お化け屋敷

 境内にお化け屋敷というのもなかなか斬新だ。



太鼓演技

 特設ステージも設けられていて、このときはちびっこ太鼓の演技が披露されていた。



境内の外の古い商店

 境内の中に、常設の古い店舗が並んでいる。服屋や道具屋などのようだ。
 この日だから休みだったのか、もう廃業してしまったのか。



御衣奉献大行列

 御衣奉献大行列(おんぞほうけんだいぎょうれつ)は、総勢250人が、平安から江戸時代までの衣装を身にまとって行進する時代行列だ。
 織物を真清田神社まで運んで、繊維産業の発展を願う神事でもある。



古式行列

 かなり本格的なもので、これを見ただけでも行ったかいがあったと思えた。
 少年から少女、おじさん、お姉さんまで、様々な装束で楽しませてくれる。



笙を吹く人々

 衣装とアーケードの風景が合ってないのだけど、それは仕方がないところだ。



行列は続く

 見物人はさほどではないから、多少移動しながら撮ることもできる。場所取りに負けたら終わりといった厳しい状況ではなかった。



上下姿の人たち

 衣装をそろえるだけでも大変だし、お金もかかっている。
 御衣奉献大行列は特に期待もしていなかっただけに、いいものを見られたと喜んだ。



吹き流しと行列

 後ろ姿の方がそれっぽい。この衣装で東海道の古い宿場町を歩いたら、参勤交代みたいになるんじゃないだろうか。

 七夕まつりという特別な日に行ったことで普段の姿を見られなかったのだけど、またいつか普通の日に再訪する機会はあるかもしれない。とりあえず一言でも挨拶に行けたことで、心の引っかかりが取れたのでよしとしたい。
 
【アクセス】
 ・JR東海道本線「尾張一宮駅」または名鉄名古屋本線「名鉄一宮駅」下車。徒歩約12分。
 ・駐車場 30分まで無料。1時間200円。
 ・拝観時間 終日

 真清田神社webサイト
 

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コメント
非公開コメント

暑そう・・

一宮のタイトル争いはいろいろ、うかがい知れない事情があるのかもしれませんね。。

それにしても、ほんとうに行列の種類も人数も多いですね!
装束を保管するだけでも大変そう。
楽人さんも笙だけで5人もいるし。

・・・こういうお化け屋敷は手作り感満載ですが
意外に怖いんです。

2010-08-03 21:53 | from いちこ

立派な行列

★いちこさん

 こんにちは。
 現代の私たちからすれば、どこが一宮でもそんなにたいしたことじゃないと思うけど、当時の格付けは当事者たちにとっては大問題だったんでしょうね。
 裏で手を回すなんてこともあったのかも。

 行列は思いがけず立派なものでした。
 そうそう、あれ笙っていうんでしたね。東儀秀樹が吹いてるやつ、って思ってました。
 神事もいろいろ撮ってみたい気持ちになりました。

 最近のお化け屋敷は怖いそうだから、侮れないですね。

2010-08-04 02:35 | from オオタ | Edit

池田潤氏の朝日の直刺す国、夕日の日照る国、古代の謎・北緯35度21分の聖線という本を読んでいて、真清田神社がそのライン上にあり、出雲大社と富士山を結ぶラインとありました。ライン上には土岐市、瑞浪市があり瑞浪市は8月に七夕まつりの大きなイベントがあり真清田神社と共通するものがあります。また、ライン上にはアマテラスに関係ある恵那神社などあり、北緯35度21分は気になるラインです。
本の中に古事記や日本書紀に富士山の記述がないことも書かれていて、気になることです。

2014-01-15 17:56 | from echo

遠い昔

>echoさん

 こんにちは。
 北緯35度は、アジアにおいて中心的なラインといわれてますね。
 北緯34度32分も、太陽の道、レイラインと呼ばれて知られますが、さて、実際はどうなんでしょうね。
 こじつけといえばそうだし、当時の人たちが強く意識していたのかもしれません。
 何しろ、神社の神託や占いで国事を決めていたくらいだし、重要なのは当時の人たちが何を信じていたかですからね。現代の価値基準で考えると、歴史を見誤るように思います。
 記紀は、コノハナノサクヤビメのところでちらっと富士山が出てきたでしょうか。
 近畿にしろ、九州にしろ、静岡は地理的に遠かったというのもあるかもしれないですね。当時はそんな遠くまで気軽に旅できないし、富士山を見たという人がどれだけいたか。
 真清田神社は、なかなか謎の多い神社でもあるようです。

2014-01-15 23:18 | from オオタ | Edit

図書館などに文献がありますのでしらべてからお書きになってください。
古地図には中嶋郡といあります
時代によっては中島郡

最初にできた神社は中嶋神社。こちらには須佐之男命
次が大神神社、太神社。昔の所在地は
中嶋郡三輪村で現花池になります
大神神社の焼き討ちは信長時代。
焼き討ちを逃れるため真清田さんに避難したが、そこで有耶無耶にされてしまう。
真清田さんの文献は江戸からしかないんですよ

2014-12-01 14:15 | from 中嶋



 こんにちは。
 教えていただきありがとうございます。
 曖昧なまま書いていることもけっこうあるので、指摘していただけるのは助かります。
 真清田神社については分からないことが多いので、もう一度勉強し直さないといけません。

2014-12-06 22:32 | from オオタ | Edit

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