浜松城に登って自分も出世したいと願うべきか - 現身日和 【うつせみびより】

浜松城に登って自分も出世したいと願うべきか

浜松城遠望




 やや小高い丘の上に建つ浜松城の天守。このあたりは高い建物があまりないため、少し離れたところからもその姿を見ることができる。
 浜松駅からゆっくり歩いて30分ほどだろうか。
 旧東海道の大手町通を挟んで、北西に浜松城があり、南東に浜松駅がある。城下町と、宿場町と、鉄道の駅と、この関係性というか歴史的な流れはよく分からない。駅はもっと南西の城の真南に作った方が街の区画としてはすっきりしたような気もするけど、いろいろな事情があったのだろう。
 大雑把な感覚として、駅の北口を出て左前方に歩いていけば、浜松城が見えてくる。案内標識はあまりなく、浜松は浜松城をさほど重視していないようにも感じた。昔ながらの天守でもなく、街が城で持っているとかそういうことではないというのもあるだろうか。
 考えてみると、家康が城主だった城で完全な形で残っているものは一つもないことに気づく。駿府城も堀と石垣くらいしか残ってないし、岡崎城も復元天守しかない。ここ浜松城もそうだ。江戸城はついに再建されなかった。明治新政府が反徳川だったからというのがあるにしても、一つくらいは残っていてほしかった。



浜松城野面積みの石垣

 浜松城跡の一番の見所は、野面積みの石垣だ。戦国時代特有の素朴な石積みで、関ヶ原以降のものとはかなり趣が違う。これだけ古い石垣がしっかり残っているところはあまりないから貴重だ。
 無造作に積み上げられているようだけど、これで400年以上持っているのだから、理にかなっているのだろう。



浜松城家康像

 若き日の家康像がある。
 家康が浜松城に入ったのが29歳のときで、出ていったのが45歳。45歳のときをモデルにしていたら若き日というタイトルにはならないはずだし、いくら昔の人が老けていたからといっても、若い日の家康はもう少し若々しかっただろうと思う。
 家康というとどうしてもタヌキじじいという印象が強くて、若武者だった頃の姿をあまりイメージできない。そのせいもあるのか、どの家康像もおやじくさい。20代の家康青年はどんな風貌だったのだろう。



浜松城模擬天守

 最初から模擬天守と分かっていればがっかりすることはない。鉄筋コンクリート造りにしては、外観は木造っぽくてなかなか悪くない。
 現在の天守は、戦後の昭和33年に、浜松市民の熱い想いで再建されたものだ。残念ながら予算が集まりきらず、当初予定していた半分程度の大きさになってしまった。土台の天守台を見ると、3分の1くらい余っているのが分かる。昔のものはこれの倍くらいの大きさだったのだ。



浜松城ボランティアガイド

 ボランティアガイドの人が観光客に説明しているのを少しだけ横から聞いていた。確か、四国の松江城をモデルにした模擬天守だとか言ってたような気がする。写真を見比べると、確かに似ている。それに、松江城なら根拠はある。
 江戸時代中期以降は天守がなかったようで、はっきりした資料が残っていないため、再建ではなく模擬天守ということになる。
 浜松城は家康が建てた城で、家康が駿府城に移ったあとは、秀吉の家臣だった堀尾吉晴と次男の堀尾忠氏が11年間城主を務めている。その堀尾氏は関ヶ原の戦いで功績をあげて、出雲の松江に移封となった。そのとき、浜松城を参考に松江城を建てたとされている。ということは、松江城に似せて浜松城を建てれば結果的に元の浜松城に近いものができるはず、というわけだ。松江城は木造天守が今も現存している。
※2015年、松江城天守が国宝に指定された。

 浜松城の元になったのは、現在の浜松城の東北300メートルほどにあった曳馬城(ひくまじょう)だ。現在そこには東照宮が建っている。
 浜松城公園から東照宮へ向かって歩く
 曳馬城を築城したのは、今川貞相ではないかと言われている。はっきりはしないらしい。
 この頃の分布図としては、名門の斯波氏が没落寸前で、今川氏と勢力争いをいていた。応仁の乱の頃には、越前を朝倉氏に奪われ、遠江国を今川氏に取られ、尾張だけをかろうじて持っていたものの、守護代の織田氏の台頭によってそれももはや危うい状況にあった。
 曳馬城を中心とした地域は、大河内貞綱が支配していたのだけど、斯波氏に味方したのが失敗で、今川氏に敗れて領地を奪われてしまう。その後、移ってきたのが今川氏配下の飯尾乗連だった。
 その後、登場するのが今川義元で、飯尾家は引き続き今川家に仕えることになる。
 少し話が脱線するけど、この時期、秀吉はこの地にいた。曳馬城の支城である頭陀寺城の城主・松下嘉兵衛に小姓として仕えていた。1551年というから、秀吉14歳のときだ。名古屋の中村生まれだった秀吉は、母親の再婚相手と折り合いが悪く、家を飛び出して浜松あたりまで流れてきていた。まだ木下藤吉郎と名乗っていた頃だ。
 そこからどういうわけか、今川氏のところを飛び出し、今度は信長に仕えることになる。1554年だから、桶狭間の戦いの6年前だ。信長はこの頃、尾張のおおうつけと呼ばれ、暴れん坊の跡取り息子で、一族の持て余し者だった。この時期に信長の将来性に目をつけていたとしたら、藤吉郎少年の眼力はただ事ではない。
 1560年に桶狭間の戦いが起こり、今川氏は急速に力を失うことになった。結果的に秀吉の選択は正しかったことになる。もし今川にいたままなら、おそらく歴史に埋もれて無名のまま終わっただろう。あるいは、秀でた才覚というのはそう簡単に埋もれるものではないのか。
 桶狭間ののち、曳馬城城主の飯尾連竜は今がチャンスと、今川義元の息子、氏真に反逆するも、あっさり大軍に潰されてしまう。連竜亡き後、未亡人のお田鶴の方が城守っていたけど、家康に目をつけられ1568年には落城してしまう。
 岡崎城を本拠としていた家康は、次の敵は甲斐の武田信玄と定める。西は同盟を結んだ信長がいるから心配はない。本拠地を遠江に移すことにした。
 最初、見付(今の磐田市)あたりに城を築くつもりだったようだけど、地理的にあまりよくないということで、とりあえず曳馬城を活用することにした。家康くらいリサイクルが得意だった武将はいない。まったく新しい土地に新しい城を作るということはなく、いつも元々あったものを利用して城作りをした。浜松も駿府も江戸も名古屋もそうだ。側室には未亡人が多かった。
 結局、29歳から45歳までの17年間を浜松城で過ごすことになる。三方ヶ原の戦いをはじめ、姉川、長篠、小牧長久手などの激戦を戦い抜いたのが浜松城時代だ。
 三方ヶ原の戦いで武田軍に完敗したことで、手狭で守りの弱い曳馬城では危ないということになり、西南に拡張する恰好で、新たに浜松城を築城することになる。曳馬というのは敗北を意味する馬を引くにつながるから縁起が悪いということで、かつての荘園、濱松荘にちなんで、城と地名を濱松とした。
 家康が駿府に移ったあとは、先ほども書いたように堀尾吉晴が城主となり、江戸時代は譜代大名を中心に有力な人物が代々城主を務めた。
 老中にまで登り詰めた水野忠邦をはじめ、多くの城主が出世したことで出世城と呼ばれることになる。
 明治の廃藩置県で廃城となり、戦後の昭和25年に整備されて浜松城公園となった。模擬天守が再建されたのが昭和34年。その後、いろいろな設備も増え、現在に至っている。



浜松城天守台を見下ろす

 天守の内部は資料館となっている。150円と安いし、せっかくなので入ってみることにした。
 最上階から天守台を見下ろす。だいぶ余っているのが分かる。



浜松城天守からの眺め

 遠くに白いものが見えたから雪山かと思ったら、何かの建物だった。あんな山の上に固まって建っているのは何だろう。



東海道五十三次濱松

 広重「東海道五十三次」の濱松だ。
 鎧なども展示されているものの、どれも複製だった。銃器類は恐ろしいから見ずに飛ばす。いろいろ貴重な資料的もあるようだけど、興味がないとあまり楽しめないかもしれない。



浜松城井戸の跡

 地下に掘られた井戸の跡。
 家康は本気で信玄を恐れていたのだろう。籠城戦も覚悟していたに違いない。この井戸はそのときのためのものだ。
 信玄は三方原の戦いの同じ年に死んでいる。もし信玄がもう少し長生きしていたら、浜松城や家康の運命は違ったものとなっていただろう。



浜松城日本庭園

 天守の北に日本庭園があったので寄っていくことにする。
 かつて城の北側には西池という大きな池があって、天然の堀になっていたようだ。本格的な水堀はなかったらしく、堀跡も残っていない。



浜松城日本庭園の滝

 日本庭園は戦後に造られたものだろう。歴史的な史跡というわけではなさそうだ。



浜松城西池の名残

 庭園の中の川というか池がある。これが西池の名残だろうか。



浜松城公園の梅

 浜松城がある浜松公園は桜の名所だそうだから、3月の終わりには大勢の人で賑わうことになるのだろう。

 家康ファンというわけではないけど、気づけば家康の足跡をかなり辿ってきた。
 徳川のルーツである松平郷をはじめ、岡崎城清洲城名古屋城浜松城駿府城江戸城久能山日光東照宮と、主だったところを巡った。合戦場としても、桶狭間から小牧長久手長篠関ヶ原と回った。大阪城はまだ行っていないから、いずれ行かないといけないだろう。東照宮もけっこう行っている。日光、久能山、鳳来寺、松平、名古屋、日吉、上野、と。今回の浜松でもちゃんと行ってきた。
 なんだかんだで、私は家康が好きなのかもしれない。若い頃よりは家康の偉さが分かるようにはなった。
 浜松城も行っておいてよかった。

【アクセス】
 ・JR東海道本線/東海道新幹線「浜松駅」から徒歩約30分。
 ・遠鉄バス JR浜松駅バスターミナル13・14乗り場発のバスに乗り「浜松城公園停留所」下車。
 ・天守 8時30分-16時30分 150円 定休日なし
 ・無料駐車場 あり(8時30分-21時)

 浜松城webサイト
 

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