賀茂でも鴨でもどちらでもいいのかよくないのか <京都歩き第8回> - 現身日和 【うつせみびより】

賀茂でも鴨でもどちらでもいいのかよくないのか <京都歩き第8回>

京都歩き8-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 哲学の道を最後まで歩いて、銀閣寺には寄らず、下鴨神社に向かった。
 今出川通は左右に京大の建物がたくさん集まっている。道行く学生がみんな賢そうに見えたのは気のせいだろう。あの道沿いを歩いている若者が全員京大生というわけでもあるまい。そういえば、うちの親戚の子も通っているけど、それほど賢そうには見えない。
 吉田神道の本部である吉田神社はできれば行きたかったのだけど、行けなかった。上の写真の鳥居は、入口の一つだ。小山の奥まったところにあって、体力も時間も余裕がなかった。もうこのときは少し暗くなりかけていて、先を急ぐ必要があった。吉田神社か下鴨神社かという選択なら、下鴨神社を選ぶ。

京都歩き8-2

 道行く途中に天皇陵があったので寄ってみることにした。
 後二條天皇の北白川陵というのだけど、後二條天皇がどんな天皇だったのか、まったく知らない。
 帰ってきてから調べたところ、鎌倉時代の天皇だった。在位中に大きな事件もなく、知る人は少ないと思う。
 京都市内や郊外にはたくさんの天皇陵がある。しかしながら、はっきり断定できるものは少なく、多くは宮内庁が一応そう決めたというだけだ。実在しないような天皇陵まで存在するから、全面的に信用するわけにはいかない。
 何しろ天皇陵に関しては学術調査も認めていないから、はっきりさせようがない。宮内庁自身もはっきりさせるつもりはまったくないようだ。

京都歩き8-3

 出町柳の駅を過ぎて、高野川と賀茂川の合流点近くの河合橋を渡る。向こうに見えているのは賀茂大橋だ。
 今気づいたけど、地図上では高野川と合流する前は「賀茂川」と表記してある。それが合流後からは鴨川になる。
 賀茂と鴨の関係でいくと、下鴨神社(しもがもじんじゃ)と上賀茂神社(かみがもじんじゃ)もそうだ。
 昔の書物の中でも混在していて、どちらが正式とかいうことではないようだけど、使い分ける必然的な理由が何かあったのだろう。

京都歩き8-4

 石柱にもある通り、下鴨神社の正式名は、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)だ。
 上賀茂神社は、賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)が正式名となる。
 直線距離で2.5キロくらい離れている二つの神社の関係性がどうなのか、よく知らない。どちらも古代の賀茂氏の氏神を祀る神社で、二つセットになっているところもある。葵祭は両方の祭事だ。二つあわせて山城国の一宮ということになっている。
 だから、本来なら二つまとめて参拝すべきなのだろうけど、下鴨神社で限界だった。体力的な問題よりも、下鴨神社の最後にはもう日没で暗くなってしまった。下鴨神社だけでも端から端まで500メートルくらいあって、往復するだけでもしんどかった。

京都歩き8-5

 境内の空気感は、想像していたよりもまろやかだった。もっとピリピリムードの神域を想像していたから、がっかりというのではないけど、少し肩の力が抜けた。落ち着いた穏やかな神社という印象を持った。

京都歩き8-6

 江戸時代初期の1628年に建てられた楼門。重文指定。
 現存している建物は江戸時代に再建されたものが多いものの、そのほとんどが重文で、本殿は国宝指定となっている。
 境内には糺の森(ただすのもり)があり、下鴨神社全域が世界文化遺産に登録されている。

京都歩き8-7

 右手の舞殿も、1628年に建て替えられたもので、重文指定。
 境内を掃く巫女さん。これだけ大きな神社だから、数人が常駐している。

京都歩き8-8

 建物はどれをとっても品格があって、格好いい。ビシッとした正統派といった趣だ。

京都歩き8-9

 祭神は、玉依姫命(タマヨリビメ)と、その父である賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)で、上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)はタマヨリビメの子供ということで、賀茂御祖神社と名づけられている。
 カモワケイカヅチは記紀には登場しない。『山城国風土記』に出てくる神で、山城ローカルの神と言えるかもしれない。ただ、その母であるタマヨリビメは記紀に出てきていて、初代天皇である神武天皇(カムヤマトイワレビコ)などを産んでいる。
 ということは、カモワケイカヅチと神武天皇は兄弟なのかといえば、ちょっと違うような気もする。このあたり私自身がよく分かっていないのだけど、異父兄弟なのか、もしくは、記紀のタマヨリビメと『山城国風土記』のタマヨリビメは別人なのか。
 タマヨリビメの父であるカモタケツヌミは、八咫烏(やたがらす)に化身して神武天皇を導いたとされている。
 何しろ、上賀茂神社、下鴨神社ともに古い神社で、崇神天皇の時代に瑞垣の修造が行われたという記録があるという話があり、となるとそれは紀元前90年頃ということになる。創建はもっと昔ということか。
 少なくとも、天武天皇の時代には社殿が建てられたというし、それ以前の500年頃には創建されたという説もある。
 いつか上賀茂神社へ行ったら、もう少し詳しく勉強したい。

京都歩き8-12

 太鼓橋の手前に、「光琳の梅」と名づけられた梅の木がある。
 尾形光琳が、この梅を見て、国宝の「紅白梅図二曲屏風」を描いたという話が本当かどうかはともかく、なかなかいいエピソードだ。琳派は江戸時代の京都で花開いた芸術だし、そういう部分の京都を意識すると、京都巡りがもっと楽しくなりそうだ。

京都歩き8-11

 御手洗社(みたらししゃ)と、みたらしの池。
 さほど大きな社ではないけど、印象的な風景だった。下鴨神社の中でここが一番気に入った。
 毎年7月の土用の丑の日に、この池に足を入れて厄除け祈願をする神事があるそうだ。
 この池に浮かんだ水泡から想を得て、人の形の団子を作ったのが、みたらし団子の始まりと言われている。
 だんごの輪島も、一度くらいお参りに来ているだろうか。

京都歩き8-13

 巫女さんではない女性の神職の人はちょっと珍しい。しかも、紫の袴をつけた女性神職となると、かなり少ないから、私は初めて見た。
 神職の身分制度はちょっと複雑で、外部の人間は分かりづらいところもある。
 役職としては、宮司や権宮司、禰宜、権禰宜などがあり、身分制度として特級、一級から四級まである。階位として、浄階、明階、正階、権正階、直階というのもあるらしい。
 階級によってなれる役職が決まってきて、平の神職は浅葱色(水色みたいなやつ)を履いている。その上が紫で、更に一段上になると紋付きの紫になる。一番上は紋付きの白だ。ただ、若いのに白を履いていてすごいと思うのは早とちりで、無地の白は学生とか実習生が履いている。
 どうやって階級が上がっていくか知らないけど、紫袴の人を見たら、なかなかの出世と思っていい。

 今回の京都歩きでは寺社はなるべく飛ばして、歩くことに重点を置こうと考えていたのに、後半はなんだかんだで神社巡りになった。
 京都シリーズは残りは1回で、最後は御所と二条城を紹介して終わりとなる。

スポンサーリンク

関連記事ページ
コメント
非公開コメント

トラックバック

http://utusemibiyori.com/tb.php/1692-049b3774