清水寺あたりを歩き回っていたとき <京都歩き 第4回> - 現身日和 【うつせみびより】

清水寺あたりを歩き回っていたとき <京都歩き 第4回>

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PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 いきなり雪の写真だけど、これも京都行きのときに撮ったものだ。ご存じの方も多いと思うけど、とにかく関ヶ原というのはやたら雪が降るところなのだ。名古屋も京都もよく晴れていたのに、関ヶ原が近づくとにわかに雪国になっていき、米原を過ぎるとまた雪など影も形もなくなってしまった。地形の関係なのだろうけど、冬場にあのあたりを通ると不思議な感覚になる。
 高山で雪を見てなければ感動的な車窓風景だっただろう。それにしてもよく積もっていて驚いた。

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 雪景色をもう一枚。
 地理的にはそれほど山奥でもないのに、冬は雪国めいてしまう関ヶ原。関ヶ原の合戦が雪の中で行われていたら、勝敗の行方は違ったものになっただろうか。
 雪が降ると新幹線は関ヶ原あたりで止まったり遅れたりする。本当は関ヶ原は避けたかったようだけど、地図を見てもこのルート以外には考えられない。南には養老山脈、北には伊吹山がある。三重県ルートを取ると、岐阜が全部飛んでしまうし、北陸との連絡も悪くなる。
 リニアは、今のところ三重県北部を横断して真っ直ぐ大阪へ向かうルートが計画されている。東京、大阪が1時間ちょっとの時代がもうすぐ本当に来るんだろうか。

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 京都駅ビルの中は初めて入った。
 完成したのは1997年というから、もう13年になるのか。1994年の平安遷都1200年記念事業の一環だったというのは知らなかった。
 外観も洒落てるけど、内部のデザインも斬新だ。贅沢な空間がデザインされている。

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 京都シリーズも今回が4回目となる。
 ここからは歩いた順番に振り返りながら写真を並べていくことにしたい。もう使った写真もだいぶあるから、少し飛び飛びな感じになる。
 橋は五条大橋だ。鴨川はもっと狭い川のように思っていたけど、実際川幅は広い。水量はあまり多くない。
 見えている山はどこの山か分からない。方角的には大文字焼きの大文字山のような気もするけど、違うだろうか。
 天智天皇陵はもう少し右手か。

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 鴨川は、特にこれといった特徴のない川に見えた。街中を流れる川の典型的な姿だ。
 鴨川名物等間隔のカップルというのはどのあたりにいるのだろう。冬場はあまり出没しないのだろうか。

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 五条大橋を渡って、清水寺へ向かう道。少しずつ観光客の姿を見えてきて、ようやく観光気分になってくる。

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 こんなところに若宮八幡宮があった。時間がなくて中に入らなかったのだけど、あとから思うと入って挨拶くらいはしてくるべきだった。
 1053年に後冷泉天皇勅願で、源頼義が創建している。源頼義は、鎌倉の鶴岡八幡宮を創建した、河内源氏初代の武将だ。
 名古屋にも若宮八幡社があるけど、あれはこことは直接関係ない。名古屋城内に創建されたのが700年頃というから、もっと古い。

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 駐輪中の人力車。この日は観光客も少なく、客を乗せて走っているのを見ることはできなかった。乗っていたら恰好の被写体になってしまう。
 向こうに見えている家の二階のオブジェもちょっと気になった。バンザイをしているマネキンや、大きなお面のようなものが飾られている。

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 清水寺さえ拝観するつもりはなかった。とりあえず仁王門をくぐって、西門、三重塔あたりまでは無料エリアなので、そのあたりまでは進入してみる。

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 清水寺は坂を登り詰めた先にあるから、高台から振り返ってみると京都の街並みを見下ろすことになる。
 こうしてみると京都タワーも存在感がある。地上レベルにいるとあまり姿を見ない。
 京都が山に囲まれた盆地だということがよく分かる。

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 清水寺の建物はほとんどが江戸時代に再建されたものだ。仁王門は、室町時代後期再建なので、主要な建物の中ではこれが一番古いということになるだろうか。有名な清水の舞台がある本堂も、国宝ではあるけど江戸時代再建のものだ。 
 三重塔も江戸時代初期で、高さは30メートルちょっと。もともとは847年に建てられているから、それが残っていればと思わずにはいられない。

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 茶碗坂だか、五条坂だか、そのあたり。ここは人気スポットで、大勢歩いていた。急にどこから湧いてきたんだろうというくらい、清水寺周辺は人が多かった。京都を代表する観光スポットだから当然か。オンシーズンは大渋滞になるのだろう。

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 最初、産寧坂と二寧坂の場所が分からなくて、少しさまよった。気づいたら八坂のあたりをウロウロしていた。
 写真を見ても、これが産寧坂だったのか二寧坂だったのか、よく分からない。
 このあともしばらく迷いながら歩き回ることになるのだけど、それはまた次回ということにする。

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