桑名神社特集その2~地図にあってもなくても <桑名11回> - 現身日和 【うつせみびより】

桑名神社特集その2~地図にあってもなくても <桑名11回>

桑名神社2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 桑名神社特集2回目は、一目連神社(いちもくれんじんじゃ)からの再開となる。
 前回もちらっと出てきたように、一目連神社は多度大社の別宮が有名で、天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)を祀っている。
 天目一箇神は、天津彦根命(アマツヒコネ)の子で、アマテラス岩戸隠れのときに、刀斧や鉄鐸を造った神とされている。
 桑名は本多忠勝が奨励した鋳物が発展した町だから、金属や鍛冶関係の神様を呼んだのだろう。ただ、この神社の創建は江戸時代後期の1800年代というから、時代的には新しい。多度大社の別宮から勧請したのだと思う。
 一目連は、素直に読むと「いちもくれん」だ。ただ、「ひとつめのむらじ」という読み方もするようで、連(むらじ)はヤマト王権においては最高位の姓(かばね)だから、そのあたりの関係も考えられる。
 主に軍事関係を司る氏族が連となり、大伴氏や物部氏が代表的だ。
 片目になった龍神のことを指すという説もあり、あるいは、目を持つ台風のことで、そこから転じて雨乞いの神でもあるらしい。
 ダイダラボッチとの関係を指摘する人もいる。
 なかなか興味深い存在で、今後とも別のところで会う可能性を感じる。

桑名神社2-2

 神館神社と書いて、「こうたてじんじゃ」と読む。
 倭姫命(ヤマトヒメ)が神宮(伊勢)の地を定めるために各地を巡っていたとき、ここに休憩所として館を建てたのが起源とされている。それで、神の館というわけだ。
 神館神明宮や神館明神などともいい、地元では若宮さんとして通っているそうだ。すぐ北に若宮公園がある。
 一説によると、ヤマトヒメの仮宮があったのは多度町の野志里神社(のじりじんじゃ)だったとも言われている。
 少し離れた城南神社にも同じような話が伝わっているらしいのだけど、そちらは神社自体を見つけることができなかった。
 創建年はよく分からない。ヤマトヒメに関係があるというからには古そうではある。延喜式に載っているという話もあるのだけど、一覧表を見るとそれらしい名前は出ていない。鳥居の横の石柱には郷社とあるだけで式内社とは出ていない。
 三重県の松阪市に神戸神館神明社(かんべこうたちしんめいしゃ)があって、そちらは延喜式に載っている。どういう関係性なのだろう。

桑名神社2-3

 神宮との関係が深いということで、祭神は当然アマテラスということになる。ヤマトヒメも祀られているようだ。
 桑名市太夫町に伊勢太神楽という二人立獅子舞(ふたりだちししまい)の伝統があって、北陸から近畿、中国地方を巡行しているそうだけど、出発の前にはこの神社にまず参拝していくという。
 いずれにしても、桑名では重要な神社の一つと言えそうだ。

桑名神社2-4

 神社の周囲をぐるりと水路で囲んでいて、境内には鏡ヶ池がある。
 池のほとりには白竜明神が祀られている。
 神明社は農耕の神という性格も併せ持っていて、豊作のためには水は必要不可欠で、龍神とも結びついていったのだろう。
 現在でも神宮とのつながりがあって、神宮斎主が訪れたりもしている。
 社宝として掛け軸や刀などの文化財を保管しているという。室町時代の村正も持っているらしい。
 村正は桑名出身の刀匠で、千子村正(せんごむらまさ)ともいい、桑名で代々受け継がれたとされる。
 村正といえば妖刀というイメージがつきまとう。
 家康の祖父・清康と父・広忠は共に家臣の裏切りによって命を落としているのだけど、そのときの刀が両方とも村正だったり、家康嫡男の信康が謀反の疑いで死罪になるとき使われたのも村正だったりと、徳川家と因縁浅からぬものがあり、そのあたりから不吉な刀というイメージが作られていったようだ。
 それは後の世の作り話で、家康も家臣たちも村正を持っていたとも言われているけど、当時から反徳川の象徴とされていたのは確かなようで、家康に逆らった真田幸村は村正をあえて選んだというし、幕府に敵対した由井正雪や、倒幕の志士たちも村正を好んで持っていたという。西郷隆盛も村正を愛用していたらしい。
 その後、偽物が多く出回ったこともあり、現存している本物の村正は少ないそうだ。

桑名神社2-5

 ずっと南にも鳥居が建っている。こちらが一の鳥居ということになるのだろうか。
 ここから先が参道だとすると、昔は相当大きな神社だったようだ。

桑名神社2-6

 国道一号線を挟んで反対側に鳥居が見えた。八重垣神社というらしい。
 地図には載ってない予定外の神社だったけど、見つけたからには寄って行かなくてはなるまい。

桑名神社2-7

 軽トラが境内に入っていて何か作業をしていて、境内は古さと新しさが混在していて、なんとなく落ち着かない感じだった。
 狛犬が妙に新しくて周りと調和していない。
 拝殿は1808年に建てられたものだそうだ。鳥居もけっこう年季が入っている。

桑名神社2-8

 このあたりの町名は八重垣町だから、神社の名前はそれにちなんだものかと思ったら、祭神がスサノオで、「八雲立つ 出雲八重垣妻籠めに 八重垣つくる その八重垣を」という詩から名づけられたというから、先に神社があって町名があとだったのだろう。
 もとはこの地にあった大福田寺の鎮守として牛頭天王(ごづてんのう)を祀っていて、明治の神仏分離によって大福田寺が他に移って、神社だけが残り、牛頭天王と同一視されるスサノオを祀ったという流れだったのだろうか。

桑名神社2-9

 立坂神社(たちさかじんじゃ)の一の鳥居も現境内からずいぶん離れて建っている。神社自体は遠くに小さく見えている。

桑名神社2-10

 真っ直ぐ北に向かって歩いて、二の鳥居前に来た。
 その向こうには門がある。
 青銅の鳥居もどこかにあったらしいけど、見逃した。
 この神社は古いものだということが分かっている。平安時代の延喜式に載っている。
 もともとはここから北西1キロほどにあったようだ。桑名高校の北西にある桑陽保育園の敷地内に石碑があるらしい。そちらは見に行っていない。
 ごく古い神社だとすると、当時の海岸線は今の近鉄名古屋線あたりだというから、駅より西にあったのは当然のことだ。現在の桑名市街は昔は海だった。
 創建や由緒については、はっきりしていない。
 昔は矢田八幡社という名前だったようだ。立坂神社というのは明治に入ってからの名称で、明治41年には、旧地の1キロほど北にある尾野神社に合祀されていたという。
 尾野神社も式内社で行きたかったのだけど、体力と時間が許さなかった。
 初代桑名藩主の本多忠勝もこの神社を大事にしたと伝わっている。忠勝出陣姿の肖像画や村正を所蔵しているそうだ。

桑名神社2-11

 いくつかの社殿が縦横に配置されていて、撮ってきた写真を見てもどれがどんなふうに建っていたのか思い出せない。
 上の写真は本殿の拝殿だと思う。
 祭神は、大日霊貴命(オオヒルメノミチノミコト)らしいのだけど、どういう経緯でそうなったのかよく分からない。
 大日霊貴は、大日靈貴とも書き、アマテラスのことだと言われている。大日霊貴神社というのも各地にある。
 ただ、もともとは八幡神社だったわけで、それがどうしてアマテラスを祀るようになったのかは定かではない。八幡神社ならホムタワケ(応神天皇)が一般的だ。
 応神天皇は、神功皇后、玉依姫などとともに配祀されている。どこかで入れ替わったのだろうか。

桑名神社2-12

 応神天応や神功皇后を祀っていたのはどこだったか、思い出せない。

桑名神社2-13

 八天宮と菅原神社とある。境内社だろうか。
 八天宮は八天狗のことか違うのか。菅原神社は菅原道真のはずだ。
 他にも子安稲荷神社がある。

桑名神社2-14

 夕方近かったというのもあるけど、境内は昼なお暗いといった感じだった。
 ここは空襲で焼けていないというから、昔の空気感をとどめているのだろう。カラリとしていない、やや湿っぽい雰囲気を感じた。

桑名神社2-15

 たくさんのニワトリが小屋で暴れていた。入口は開いていて、自由で出入りして追いかけっこをしたりもしていた。
 それにしても数が多い。写真に写ってる倍くらいいた。しかも、普通のニワトリじゃない。白い体に黒い顔といえば烏骨鶏(うこっけい)ではないのか。そんな高級ニワトリを神社で飼っているだろうか。卵をいただいたりしてるのか。
 ニワトリといえば神宮の神使だ。祭神がアマテラスといい、やはりどこかで八幡宮から神宮系に切り替わったらしい。尾野神社に合祀された前後だろうか。

 桑名の神社特集第2回はここまでとする。
 次回第3回に続く。

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コメント
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桑名に住んでいて

天智・天武・持統天皇に興味をもちググっていたところ、こちらにヒットし興味深く読ませていただきました。

桑名に長年住んでいて(幼児期は新屋敷に住んでいました)、知らないことってたくさんあるのだなぁと思いました。
歴史は全くの初心者ですし、しかも前出の天皇は中学の教科書でしか知らず、興味を持ったのは「天上の虹」というコミックスからなのです。
こちら様にコメントなぞ恐れ多く感じましたが、ブログ文がとてもすんなり入ってきましたので、一読者として書かせていただきました。

私もせっかく桑名の地に住んでいますので、いろいろ自分なりに調べていきたいなと思います。

2010-01-09 23:33 | from けい

天武、持統もいた桑名

★けいさん

 こんにちは。
 訪問とコメントありがとうございました。

 桑名にお住まいですか。
 名古屋にいながらきちんと行ったのはこのときだけなのですが、一日かけて歩き回って、桑名の魅力に触れることができて楽しかったです。
 神社仏閣もずいぶん巡りました。

 天智から天武にかけては、このブログでも少し書きました。
 長いですが、よかったら読んでみてください(ブログ内検索すると出てきます)。
 今の日本の基礎は天智、天武時代にできたものが多いから、この時代を知っておくと、その後のつながりが分かってきます。
 私も近々京都へ行って、平安時代の理解を深めたいと思っているところです。

2010-01-10 02:30 | from オオタ | Edit

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

2014-04-06 22:13 | from -

神社ばかり

>風神雷神さん

 考えてみると、このとき巡ったのはほとんど神社ばかりでした。
 お寺もいいところがあったのだろうけど、そこまでの余裕はなく。
 それにしても、一日でよくこんなにも神社を回ったものだと、自分のことながらちょっと驚きます。

2014-04-07 23:27 | from オオタ | Edit

1日であれだけ知らない土地を回られるなんて、凄いですよね!

歩行距離も半端ない距離なのが解ります!

駅東は平坦なのでまだしも、赤須賀から駅西…しかも西桑名神社まで上がられるなんて、脱帽です!

2014-04-08 01:46 | from 風神雷神 | Edit

歩いても歩いても

>風神雷神さん

 地図を見て、神社仏閣とか、古い町並みとか、公園とかに印をつけておいて、あとは現地で行き当たりばったりに巡るというのがいつものパターンです。
 歩いてみるとその町のスケール感が分かるので。乗り物に乗ってしまうとそれが曖昧になってしまう。
 京都も、奈良も、東京も、鎌倉も、たくさん歩きました。
 意外と行っていないのが大阪で、そういうところもあります。
 三重県でいうと、伊勢、志摩、紀伊長島、尾鷲、鳥羽、松阪、四日市あたりは歩いてます。
 津が案外行ってないかも。
 桑名でいうと旧長島町あたりはまったく歩いてないのだけど、何かあるのだろうか。
 ナガシマスパーランドは、中学のときダブルデートで行って以来です。(^^;

2014-04-08 22:14 | from オオタ | Edit

旧長島町

一向一揆の願証寺や、長島城の城門を移築したお寺、各々の村々にはほのぼのとした氏神さんが祀られています!

2014-04-16 01:19 | from 風神雷神 | Edit

長島といえば

>風神雷神さん

 そうでした、長島といえば一向一揆ですよね。
 雑賀孫一はドラマやゲームなんかでもお馴染みです。
 信長がむちゃくちゃやったけど、そうしなければ勝てないほど強い抵抗だったんですよね。
 今はそんな名残も残ってないのでしょうか。
 長島を訪れるときは、そのあたりの史蹟も巡ってみたいと思います。

2014-04-16 23:18 | from オオタ | Edit

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