近江一宮でありながらあっけらんとした建部大社 <大津巡り11回> - 現身日和 【うつせみびより】

近江一宮でありながらあっけらんとした建部大社 <大津巡り11回>

建部大社-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 唐橋前駅から瀬田の唐橋を渡って、更に10分ほど歩いたところに、建部大社(たけべたいしゃ)がある。駅から少し遠いから行こうかどうしようか迷ったのだけど、近江の一宮と知って、断然行こうということになった。日本各地の一宮は、行ける機会があれば多少無理をしてでも行っておきたい。
 一宮(いちのみや)というのは、その地域で最も社格が高いとされる神社のことで、律令制の中で定められたものだった。地方によっては二宮、三宮、四宮まであった。
 現在は社格というのは廃止されているものの、有力神社がそのまま別表神社となっているところも多く、自他共に特別意識は残っている。神社側からすれば、宣伝文句として使わない手はない。
 大社というのは、特に決まり事があるわけではなく、官幣大社や国幣大社などがそのまま神社名につけたり、それ以外でも自分で名乗ったというパターンもある。
 もともと、大社といえば出雲大社のことで、その場合は「おおやしろ」と言っていた。神宮といえば伊勢神宮のことを指したのと同じで、あとからたくさん大社が出てきたので便宜的に出雲大社と名乗っている。
 一宮や二宮が大社と称しているところも多い。同じく大津にあって近いうちに紹介する予定の日吉大社は近江の二宮だし、以前紹介した南宮大社は美濃の一宮だ。他にも、春日大社や諏訪大社などが有名だろう。
 建部大社は、瀬田唐橋の右岸で、やや外れたところにあるけど、もう少し東へ行くと近江国庁跡があったりするから、かつては近江の中心地だったのだろう。

建部大社-2

 大きな一の鳥居をくぐり、一直線の参道を歩いていると、やがて二の鳥居が見えてくる。
 境内は静けさが漂っている。深閑とした感じというよりも、平和な感じと言った方が当たっている。
 古い歴史を持つ一宮ということで重厚な神社を期待したのだけど、実際はあっけらかんとした明るい神社だった。良く言えば、威張っていない。気安い感じで出迎えてくれる。
 とはいえ、やっぱりちょっと物足りなさを感じたのは確かだった。
 この第一印象は、結局最後まで変わらなかった。

建部大社-4

 この神門はなかなか雰囲気があっていい。
 ただ、比較的新しいもののようで、重文指定などにはなっていない。情報を探してもこれといったものが出てこないところをみると、近年に建てられたもののようだ。
 建部大社は、唐橋に近いという立地もあって、過去何度も戦乱で焼けている。社殿などもすべて新しいもののようで、それが歴史の重厚な空気感が抜けているような印象を与える要因となっているかもしれない。
 建物関係で重文指定なのは石灯籠一基しかない。
 二宮だった日吉大社には国宝、重文がごろごろしていて、時代の流れの中で逆転してずいぶん水を空けられてしまったという感がある。続けて回ると、感慨深いものがある。

建部大社-5

 門から中の拝殿を見たところ。

建部大社-6

 拝殿前の三本杉。なんだこれ邪魔だななどと思ってはいけない。大事な御神木なのだから。
 境内の砂利はきれいに掃かれていて、歩いて崩してしまうのが申し訳ないくらいだった。
 全般的に見て、清潔感のある清々しい神社だ。

建部大社-7

 創建年は不明ながら、祭神が日本武尊ということで、タケルの父である景行天皇が創建したという伝説を持っている。そのとき、タケルに建部という名を送り、それがこの建部神社の起源になったのだと。
 実際のところは、この地方の有力豪族だった建部氏が、氏神を祀るために建てたのが始まりということのようだ。建部氏はヤマトタケルを始祖としたという。
 755年には孝謙天皇の詔勅によって、大神神社から大己貴命を勧請している。
 もとは神崎郡建部郷にあったものを、天武天皇の時代にこの地に移したともされる。
 壬申の乱を初め、木曾義仲上洛のときや、承久の乱、応仁の乱などで何度も戦場になったり、焼き払われたりした。
 明治の頃までは建部神社と名乗っていた。官幣中社から明治33年には官幣大社となり、最高の社格まで上り詰めた。
 建部大社と名を改めたのは、戦後の昭和23年のことだ。

建部大社-8

 本殿は、日本武尊を祀る正殿と、大己貴命(おうなむちのみこと)を祀る権殿とが並び、相殿には天明玉命を祀っている。
 重文指定の石灯籠は、写真右端に写っているやつだろうか。
 14歳で伊豆に流されることが決まった源頼朝は、京都から伊豆に向かう途中の1160年3月20日に、この建部大社を訪れている。源氏の再興を願っての参拝だったと、『平治物語』に書かれている。
 月日は流れて30年後の1190年、頼朝は征夷大将軍となって上洛する際、再びここに立ち寄り、かつてのお礼参りをした。
 以降、建部大社は武家にも崇敬されるようになったという。

建部大社-9

 本殿左右にはたくさんの境内社が並んでいる。
 向かって左は、蔵人頭神社、行事神社、大政所神社、聖宮神社だったか。

建部大社-10

 右側が、箭取神社、弓取神社、若宮神社、藤宮神社だったと思う。
 見慣れない、聞き慣れないものばかりだ。このあたりは地方色なのだろう。尾張地方の神社とは顔ぶれが全然違っている。

建部大社-11

 草野姫命(かやのひめのみこと)を祀る大野神社は、縁結びの神様だそうだ。
 この神様のことはよく知らないのだけど、イザナギとイザナミの子供で、名前の如く草の神様らしい。それがどうして縁結びという話になったんだろう。

建部大社-12

 朱塗りの鳥居といえば、お馴染みのお稲荷さんだ。
 祭神の稻倉魂命(うかのみたまのみこと)というのも、知らない。
 よその土地へ行って、知らない神様と顔見知りになることはいいことだ。何かのときに助けてくれるかもしれないし、縁は縁を呼んで、思いがけないところで再会することもある。

建部大社-13

 瀬戸物の町、瀬戸では見たことがあるけど、他では初めて見た焼き物の狛犬さん。
 八柱神社というのはここのことだろうか。檜山神社かもしれない。

建部大社-14

 境内の一番右奥に、寶物殿という宝物殿があって、ここだけは有料(200円)となっている。
 藤原時代の作とされる重文指定の女神像などが展示されているそうだ。
 その他の情報としては、毎年8月17日に行われる船幸祭(せんこうさい)というのが有名らしく、日吉大社の山王祭と、天孫神社の大津祭とあわせて大津三大祭とされているのだとか。
 ヤマトタケルが船団を率いて東方征伐に出かけたのが由来の祭りだという。
 もう一つ雑学知識として、1942年に初めて発行された千円札には、ヤマトタケルと建部大社が描かれたとういうのがある。今となってはかなり珍しいお札だから、実物を目にする機会はあまりないと思うけど、それにしても誰かが想像して描いた半分架空の人物がお札の顔になっているのは、今の感覚からすると不思議で面白い。
 建部大社について私が紹介できるのはこれくらいだ。想像とは違っていたけど、行っておいてよかった。写真や紹介文だけでは分からないこともあって、実際に自分で行ってみれば感じることも多い。
 今後とも各地の一宮巡りを積極的にしていきたいと思っている。何しろ、愛知県にある3つをまだ行っていないのだ。これはいけない。
 そんなこんなで、大津巡りシリーズはまだ当分続くのであった。

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