膳所城跡を静かに訪れるつもりが桜見物客で大賑わい<大津巡り10回> - 現身日和 【うつせみびより】

膳所城跡を静かに訪れるつもりが桜見物客で大賑わい<大津巡り10回>

膳所城跡-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 膳所神社をあとにして、今度は膳所城跡へ向かった。
 私としては物好き以外に訪れる人も少ない城跡公園を想像していたら、まるっきり様相が違っていてかなり驚くことになった。桜の名所になっているとちらっと読んではいたけど、あんな大賑わいになっているとは思いもよらなかった。地元ではけっこう有名なところのようだ。普段はもっと静かなのだろうけど。

膳所城跡-2

 大津もところどこに古い家並みが残っている。江戸時代は東海道が通っていて、東海道五十三次の最後53三番目の大津宿があったところだから、これくらい残っていても不思議ではない。
 またそのあたりについても写真を交えながら紹介したいと思っている。
 左奥に見えている城のような建物も気になった。帰ってきて調べたところ、大津市生涯学習センターというもののようだ。近江の歴史についての展示物もあるらしく、模擬天守は展望台になっている(250円)。
 お城の建物を作って喜んでるのが名古屋だけじゃないと知ってちょっと安心する。

膳所城跡-3

 桜がきれいそうだという前に、えらく人が多い方が先に目についた。えええ、なんだこりゃと戸惑う。
 狭い駐車場も車がいっぱいで、待ちの列ができている。
 主観的には城跡見物に行ったつもりが、客観的には一人でカメラを持って桜名所を撮りに来た人になってしまった。そんなつもりじゃなかったのに。

膳所城跡-4

 移築門と思わせて、実際はあとから作った摸擬城門のようだ。全般的に見て新しいものだと分かる。
 ただ、木の門そのものは古さを感じさせるもので、ここだけ古いものを流用したのだろうかとも思わせた。

膳所城跡-5

 こういった水堀も、のちの復元だろう。そもそも水深が浅すぎて堀の役割を果たしていない。
 残っている遺構は石垣の一部だけだそうで、それもどこにあったのか、よく分からなかった。

膳所城跡-6

 桜は雑然とした感じで植えられていて、とりとめがない感じがした。
 公園内は思いのほか広く、桜の本数もそこそこ多い。これなら宴会場には最適だ。

膳所城跡-9

 完全に花見ムード一色になっている。
 中学生が大勢訪れていたのは、遠足のたぐいだろうか。賑やかに騒ぎ、走り回っていた。

膳所城跡-7

 何かの祠が建っていたけど、近くで宴会をしていて近づけず。
 城跡の写真を撮りに来ているような人間は私の他に見あたらなかった。私の方がかえって場違いな感じで、落ち着かない気分のまま結局15分ほどで公園をあとにすることになった。

膳所城跡-8

 はしゃぐ中学生たち。彼らにここが膳所城の跡地だという自覚はたぶん、ない。
 後ろに見えているのは近江大橋だ。

膳所城跡-10

 城跡を思わせるようなものは、わずかに天守閣跡の石碑くらいで、他には何もなかった。完全に公園と化している。

 戦国時代の近江は、浅井氏と六角氏の支配する土地だった。南近江の観音寺城下で生まれた浅井長政だったけど、浅井家は六角氏との争いに敗れて、北近江の支配にとどまっていた。長政と信長の話は有名だから知ってる人も多いと思う。
 織田家が支配するようになってからは、琵琶湖の東岸に信長が安土城を築き、東岸の北には秀吉の長浜城があった。西岸は南の坂本に明智光秀が築いた坂本城があった。坂本城は安土城に次いで立派な城だったと言われている。今はほとんど何も残っていない。西岸の北には大溝城などがあった。
 秀吉に代わって家康が天下を取るようになると、また事情も変わってきた。
 関ヶ原の戦いに勝った家康は、京都背後の守りと大坂に対する備えとして、膳所に城を築くことにした。のちに江戸城、大坂城、名古屋城と続く天下普請の第一号がこの膳所城だった。
 この場所を選んだのは、東海道、中山道、北陸道が交わる要所で、瀬田橋に近いということもあったようだ。琵琶湖を制するという意味合いもあっただろう。
 1601年、城造りの名人と言われた藤堂高虎に命じて、大津城を移築して築城させた。
 突き出た陸地に、琵琶湖を背後にして三の丸、二の丸で本丸を囲んだ水城だった。本丸には4重4階の天守がそびえていたという。
 大津城、坂本城、瀬田城と並ぶ琵琶湖の浮城の一つで、日本三大湖城の一つとされていた(あとの二つは、島根の松江城と長野の高島城)。
 最初は大津城主だった戸田一西が3万石で入り、息子の氏鉄が摂津国尼崎藩に転封したのち、譜代大名が何人が城主を歴任したあと、本多俊次が7万石で入城し、13代220年の間、本多氏の居城となって、明治維新を迎えることになる。
 明治3年(1870年)に解体されることが決まり、城門などが各地に移築された。膳所神社以外では、篠津神社と鞭崎神社にそれぞれ大手門が移され、重要文化財となっている。

 膳所本町散策としては、膳所神社と膳所城跡の二つが見所ということになるだろう。もう少し足を伸ばすなら、和田神社もある。石坐神社は、一つ北の錦駅からの方が近い。
 今回は戦国巡りではなかったから、坂本城跡には寄らなかった。今思えば寄っておけばよかった。まだ比叡山延暦寺に行ってなくて、いずれ行かなくてはいけないだろうから、そのとき坂本城も行くことにしよう。
 大津巡りはまだ続く。

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