一度覚えてもすぐに忘れそうな難しい読みの膳所神社 <大津巡り9回> - 現身日和 【うつせみびより】

一度覚えてもすぐに忘れそうな難しい読みの膳所神社 <大津巡り9回>

膳所神社-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



「膳所」という地名を一発で読めた人は少ないと思う。大津以外の人でも関西圏の人たちにとっては常識なんだろうか。これは「ぜぜ」と読む。普通は読めない。
 中大兄皇子が近江大津宮に遷都して天智天皇として即位したとき、この地を御厨所(みりくや)としたことから膳所と呼ばれるようになったのだという。御厨所というのは、天皇を初めとした宮家の食事を作る場所という意味だ。
 もう少し詳しく説明すると、もとは阿膳(おもの)の浜田と呼ばれていて、この地に州崎があったことから阿膳の崎、膳の崎、膳の前、膳前(ぜんぜん)となり、それが略されて「ぜぜ」となったということらしい。
 その地に、食事の神である豊受比売命(とようけひめのみこと)を祭神とする神社も建てた。それが今日紹介する膳所神社で、創建は667年と伝えられている。
 豊受比売命といえば伊勢神宮の外宮で祀られている神だ。その関係かと思ったら違っていて、大和からの奉遷(ほうせん)のようだ。
 膳所本町駅を降りてすぐ、徒歩1分ほどのところにある。道を隔てた反対側が膳所高校で、神社を右手に見ながら真っ直ぐ7、8分も歩くと、琵琶湖湖岸の膳所城跡に着く。まずは膳所神社から見ていこう。

膳所神社-2

 明治になって膳所城が解体されたとき、城の門などがあちこちに移築された。以前紹介した御霊神社もその一つで、ここ膳所神社には3つの門が移築されている。
 特に重要視されているのが表門に当たる東門で、二の丸から本丸への入口にあった薬医門(やくいもん)形式の城門がここに移された(1870年)。建てられたのは1655年で、重要文化財に指定されている。 

膳所神社-4

 境内はこんな感じ。中央にぽっかり空間が空いていて、ややガランとした印象を受ける。
 古社にしてはそういう濃密な空気に満たされているという感じではない。個人的な感覚として、気が満ちている神社と、気が抜けている神社がある。相性の問題もあるかもしれない。

膳所神社-5

 これは新しく建て直したふうだった。平成に入ってからといったところだろうか。
 拝殿だろうか、舞殿だろうか。
 本殿はここから離れた更に奥で、この神社はけっこう奥行きがある。
 位置的にというか、方位的に多少違和感があると思ったら、社殿が東向きなのだ。たまにあるけど、それほど数は多くない。大部分は南向きで、御神体が山だったりすると方角に関係なくそちらを向いていることがある。

膳所神社-6

 本殿を透垣 (すいがい)がぐるりと囲んでいる。 この様式は雰囲気があって好きだ。
 ただ、元からこういう様式ではなかったように思う。鎌倉以降は武家の崇敬を集めというから、その時代に建て増ししたものかもしれない。詳しいことは調べがつかなかった。
 室町以降も、秀吉や北の政所、家康などがこの神社を大事にしたという。

膳所神社-7

 横から見るとこんなふうになっている。右奥に見えているのが本殿だ。

膳所神社-8

 本殿右手に、いくつか境内社が並んでいる。
 こちらまではあまり人が訪れないのか、苔むしていい感じになっている。

膳所神社-9

 この北門も膳所城から移築したものらしいのだけど、詳しいことは分からない。
 南門は写真を撮っていない。そんないわれのあるものだとは知らなかったから。

膳所神社-10

 膳所神社横の古い屋根付き商店街。こういうのもアーケード街というのだろうか。
 雨降りの日は、膳所高校生が少し助かることだろう。

 膳所城とセットで一ネタにしようと思ったのだけど、写真が多くなったので2つに分けることにした。
 このあとすぐ、膳所城編へと続く。

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