石山寺前半は東大門と二つの国宝を遠巻きから <大津巡り7回> - 現身日和 【うつせみびより】

石山寺前半は東大門と二つの国宝を遠巻きから <大津巡り7回>

石山寺1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 石山坂本線巡りの旅は、始点なのか終点なのか分からないけど石山寺駅から始まった。
 JR石山駅で乗り換えて、南へ2つ目が石山駅で、北の終点は坂本駅となる。この沿線沿いで回れるだけ回ろうというのが今回の旅の趣旨だった。
 この路線はローカル線にもかかわらず、毎時15分置きくらいに電車が来るので、出たとこ勝負の散策にはありがたかった。何度も乗り降りしたけど10分以上待つことはなかった。
 散策ポイントも、駅から一番遠いところで歩いて15分くらいだったから、一日かけて巡るには最適の場所だ。こんなにいい歴史散策地はそうめったにない。鎌倉の江ノ電より便利だ。
 石山寺まではわりと遠いのだけど、路線バスが出ているから、時間さえ合えばそれに乗ればいい。歩けば15分くらいで、バスなら3分くらいだろう。

石山寺1-2

 駅を出てすぐに赤い鳥居の小さな神社があり、両隣には丸ポストと昔ながらの雑貨屋さんが並んでいる。いきなりレトロな雰囲気でお出迎えだ。
 ただ、門前町のわりには駅から寺までみやげ物屋や食べ物が軒を連ねているという光景は見られない。それなりに参拝客も多いだろうに、これは意外だった。
 一つ屋台が出ているくらいで、あとは普通の道なので歩いていて楽しいということはない。
 桜並木はだいぶ散っていた。大津は思ったよりも暖かい土地のようだ。去年近江八幡へ行ったときは、名古屋よりも桜が遅い印象だったから期待していたのだけど、大津の方が温暖なのだろうか。

石山寺1-3

 瀬田川は広々としていて、遊覧船のリバークルーズも気持ちよさそうだった。
 私はそんなにのんきな旅ではないので、横目で見ながら先を急ぐ。

石山寺1-4

 そろそろ近づいてきたところ。雰囲気がそれっぽくなって、遠くに人の賑わいを感じた。
 駐車場に車がたくさんとまっていたから、電車よりも車で訪れる人の方が多いのかもしれない。駅から歩いている人の姿はあまりなかった。

石山寺1-5

 門前に到着すると、人が大勢いてちょっと驚いた。どこからこんなに湧いて出たんだというくらい、ここだけが妙に賑わっていて、閑散とした周囲とのコントラストに戸惑う。平日の午前中にもかかわらず、参拝客は多かった。この寺は人気があって流行っていることを確信する。
 平安時代には宮廷の女の人もたくさん参拝に訪れたという寺で、昔から人を惹きつける魅力があったのだろう。『蜻蛉日記』や『更級日記』、『枕草子』にも石山寺は登場する。
 西国三十三箇所観音霊場の第13番札所になっているから、巡礼の人の姿もよく見かけた。遠くから来る人は、三井寺とまとめて参拝していくんじゃないだろうか。
 知名度としてはやや低いものの、京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並んで日本有数の観音霊場とされている。
 創建は奈良時代の747年。
 東大寺の大仏を造るとなったとき、メッキのための金が不足して困っていた。そのとき聖武天皇は琵琶湖の南で観音菩薩に祈るといいという夢のお告げを受け、東大寺開山の良弁(ろうべん)にそれを命じた。
 早速良弁はこの地を訪れ、聖徳太子が持っていた如意輪観音像を安置するための草庵を建てたのが石山寺の始まりとされている。
 2年後に陸奥で金脈が発見され、なんとか大仏を完成させることができた。当時の感覚では、それは良弁の祈りが仏に通じたということになったのだろう。
 東大寺の末寺ということで当初は華厳宗だったのが、平安時代になると醍醐寺の開祖・聖宝(しょうぼう)や弟子の観賢などの影響で密教化が進み、中興の祖とされる菅原道真の孫の座主・淳祐内供(しゅんにゅうないく)以降、真言宗のお寺へと宗旨替えをしている。大伽藍が整備されていったのもその頃と言われている。
 三井寺とは違って、ここは兵火で焼けなかったものの、1078年に一度全焼しているため、現在の建物は平安末期から鎌倉時代初期にかけて再建されたものが多い。
 時代が進むにつれて、貴族から武家、庶民と、幅広く信仰されるようになっていく。

石山寺1-6

 一軒が連なっているのか、数軒が並んでいるのか、雑然とした感じでおみやげ物が売られている。新旧取り混ぜて、なんだかすごいことになっていた。じっくり探せば思いがけない掘り出し物とかもありそうだ。

石山寺1-7

 寺の正門である東大門は、1190年に源頼朝が寄進したとされるものだ。
 言われてみると、鎌倉っぽい気がする。なかなか立派なものだ。重要文化財に指定されている。
 1600年前後に一度大規模な修理が行われているというから、当初の姿とは少し違っているかもしれない。

石山寺1-8

 古都には和装がよく似合う。
 昔は宮廷の女性が大勢訪れたというから、門前や参道は華やかなものだったのだろう。旅装束は想像するより地味なんだろうか。

石山寺1-9

 参道の両脇には、大黒堂や法性院、世暮院などの別院が並んで建っている。入れるところもあるし、門が閉ざされているところもある。
 入口からのぞけるところはのぞいて、中までは入らず先を急いだ。最初から時間をかけすぎるとあとから時間がなくなると思って、初めの頃は少し焦り気味だった。
 とはいえ、中は広いから、なんだかんだで1時間近くかかっただろうか。

石山寺1-10

 石山寺は、紫式部や松尾芭蕉ゆかりの寺でもある。時代を超えて人が人を呼び、そうやって引き寄せられた一人に島崎藤村がいる。
 明治26年、東京の明治女学校高等科の英語教師をしていた22歳の島崎藤村は、教え子に恋をして振られ、自身が信仰するキリスト教と教師の職を捨て、関西へ漂泊の旅に出る。
 そのとき立ち寄ったのが石山寺で、愛読していた『ハムレット』を寺に納めた。
 それから更に西へ進み、高知まで行ったところで引き返し、再び石山寺を訪れる。そして、密造院の一間を借りて2ヶ月の間生活していた。小説家になろうと決意したのはこの体験があったからで、このあたりの経緯をのちに小説として書いている。
 今はもう、『破戒』や『夜明け前』など読む人も少なくなったのだろう。私も藤村はほとんど読んでいない。

石山寺1-11

 よく分からないけど水車が回っていたので撮ってみた。特に説明書きもなく、何かの役に立っているというふうでもなかった。

石山寺1-12

 崖の上に建つ懸造(かけづくり)の本堂が見える。清水の舞台などと同じ造りだ。
 前の障害物が多すぎて写真を撮るのは苦しい。この本堂はどの角度からも上手く撮れなかった。

石山寺1-13

 最初の石段を上がって、すぐ右手にあるのが観音堂で、左手が蓮如堂だ。
 写真は観音堂の左にある毘沙門堂だったと思う。

石山寺1-14

 こちらが確か観音堂だ。観音様らしき仏像がたくさん並んでいる。
 西国三十三所巡礼所のすべての観音様が安置されているんだそうだ。

石山寺1-15

 これは御影堂というやつだろう。
 中は見なかったのだけど、良弁、空海、淳祐の遺影が安置されているらしい。
 室町中期の建築物で、これも重文指定になっている。

石山寺1-16

 石山寺で見逃せないのは二つの国宝で、一つは本堂で、もう一つは多宝塔だ。どちらももう少し近づいてから詳しく書きたい。
 手前のうねうねにうねった岩は、珪灰石(けいがいせき)の塊で、こんなに大きなものは珍しいということで国の天然記念物になっている。英語ではウォラストナイトという。
 この寺は、この珪灰石を中心として伽藍が建てられていて、石山寺の名前はこれから来ているとも言われている。

 今日はだいぶ写真も多くなったので、ここまでとしたい。続きは石山寺後編で紹介する。石山寺は前後編の2回にギュッと押し込んだ。まだまだ先は長いから、このあたりでのんびりしてられない。

スポンサーリンク

関連記事ページ
コメント
非公開コメント

トラックバック

http://utusemibiyori.com/tb.php/1394-6baeb41d