大友皇子関連の場所を巡って皇子を偲ぶ <大津巡り3回> - 現身日和 【うつせみびより】

大友皇子関連の場所を巡って皇子を偲ぶ <大津巡り3回>

壬申の乱3-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 昨日で壬申の乱について私が書けることはほぼ書いた。頭の中の整理もだいたいついて、これで一応納得ということにしておく。また別の機会に書くこともあるだろう。
 書くことに気持ちがいきすぎていて、写真をほとんど使えていなかった。文章だけでもたいがい長くなっているのに、その上写真まで載せると長くなりすぎるというのもあって。それで、今日は大友皇子関連の写真をまとめて載せることにした。

 弘文天皇陵の場所は少し分かりづらい。電車の最寄り駅は石山坂本線の別所駅で、その真西にあるのだけど、真っ直ぐ行く道はない。市役所と消防署が行く手に立ちふさがっているので、更にその北にある大津財務事務所のところから回り込まないといけない。ぐるっと回ると、上の写真のところに出るので、あとはなんとなく雰囲気で分かるはずだ。
 昔はこのあたりまで三井寺の寺領が広がっていて、現在も三井寺の飛び地に建つ新羅善神堂もこの近くにある。
 大津全般に言えるのだけど、もう少し案内標識を充実させて欲しいところだ。どこへ行くにしても手持ちの地図がないと分からないようなところが多かった。曲がり角に方向と距離を書いた札を立てるくらいならそんなにお金はかからないだろうし、景観を壊したりもしないはずだ。観光地という自覚があまりないのかもしれない。それがもったいないようにも思えた。
 石山坂本線沿線を巡るなら、一日乗り放題の「湖都古都・おおつ1dayきっぷ」がオススメだ。500円で乗り放題は安いし、あちこちの寺社の拝観料が1割引くらいになる。そのときもらえるパンフレットも役に立つ。

壬申の乱3-2

 初代の神武天皇から124代の昭和天皇まで、宮内庁はだいたいの陵を指定している。
 ただ、それが正確なものだと信じている人はたぶんいない。神代、古代の天皇陵など今更分からないし、存在自体が疑わしい天皇の陵まである。一方で、卑弥呼の墓などは特定されていない。
 宮内庁が天皇陵の整備、管理に力を入れるようになったのは明治に入ってからで、それまでは陵も古墳も、捨て置かれて荒れ放題のところが多かったという。
 実際のところ、奈良時代以前のものに関して本当に確定しているのは数ヶ所とだとも言われている。
 その主な要因として、宮内庁は天皇陵への立ち入りや調査を断固拒否しているということがある。ごく例外的に調査が認められたことはあったものの、研究者でさえ立ち入ることが許されない。国を挙げて砂漠を掘り返しまくっているエジプトとは大違いだ。
 そこまで頑なになる理由がよく分からないのだけど、もし調査のための発掘が許されるようになれば、古代天皇にまつわることがかなり分かるんじゃないか。都合の悪いことがたくさん出てくるといえばそうかもしれない。
 戦前までは学校の授業で歴代天皇名前を最初から覚えさせられたというのに、今は天皇の名前を10人言える人間がどれくらいいるかということになってしまっている。日本という国は極端から極端へと向かう面白い国だ。
 天皇問題にしても、思想を植え付けるというのではなく、もう少し一般知識として勉強して覚えた方がいいんじゃないか。日本神話にしても同様のことが言えると思う。歴史と思想は別のものなのだから。

壬申の乱3-3

 弘文天皇こと大友皇子が実際にこの場所で亡くなっていたのかどうかは分からない。ただ、もし違っていたとしても、ここには特別な空気感があった。不思議な静謐さに満ちていた。
 行く前は壬申の乱についても大友皇子についても表面的な知識しかなくて、思い入れを持って出向いていったわけではない。それでも感じるものがあったのだから、やはりこの空間は特別な場所なのではないかと思う。
 機会と時間があったら、ぜひ寄ってみて欲しい。お墓には眠っていなくて千の風に吹かれているのかもしれないけど、死んだあと見知らぬ人でも自分の墓を訪れてくれたら嬉しいだろうと思う。大友皇子などは半ば忘れられた人になっているから、尚更だ。
 天智天皇山科陵は、石山坂本線ではなく、京津線の御陵駅近くにある。けっこう離れているので、今回は行けなかった。次回大津へ行くことがあれば、行きたいと思う。乗り放題チケットであちらの線も乗れたはずだ。

壬申の乱3-4

 別所から南に下った唐橋前で降りてしばらく歩くと、瀬田の唐橋がある。ここまで来ると、琵琶湖は細長くなって、瀬田川と名前を変えている。
 昨日書いたように、壬申の乱の最終決戦地となったところだ。大津宮目前のこの橋を渡らせまいと死守していた大友皇子軍だったけど、それを突破されたことで勝敗は決した。
 今は現代的に橋に架け替えられていて、往時の面影は残っていない。擬宝珠をつけるなど姿はある程度似せているようだけど、昔の情緒を期待していくとがっかりする。現在の橋は、昭和54年(1979年)に架け替えられたものだ。
 当時は、勢多橋と呼ばれていて、今より80メートルほど下流にかかっていたそうだ。その場所で遺構が発見されている。
 この場所に最初に架け替えたのは、織田信長らしい(1575年)。

壬申の乱3-5

 橋の全長は260メートルで、短い西側と、長い東側の二つに分かれている。昔からそうだったんだろうか。
 北には瀬田大橋がかかり、東海道本線が走っている。南は新幹線と高速道路だ。
 琵琶湖は広いから真ん中あたりに橋はなかなか架けられない。北の琵琶湖大橋と、南の近江大橋と、かなり離れているから、行く場所によってはかなり大回りをしないといけないから大変だ。

壬申の乱3-6

 その美しい姿から、かつては宇治橋、山崎橋とともに日本三大名橋と呼ばれていたという。
 「瀬田の夕照」は近江八景の一つにもなっている。
 764年の藤原仲麻呂の乱、1184年の木曽義仲と源範頼・義経の戦い、1221年の承久の乱、1582年の本能寺の変など、幾度も戦いの舞台となり、瀬田橋を制するものは天下を制すと言われるほど重要な場所だったという。
 少し離れて見ると、なかなか雰囲気があっていい感じだ。今も木橋だったら観光名所になっていたことだろう。
 瀬田川はリバークルーズなどの観光遊覧船が出ていて、船での移動もできる。時間に余裕があるなら、のんびり船旅というのも楽しそうだ。桜の季節は特に良かっただろう。

壬申の乱3-7

 橋の上から桜の写真を撮っていたら、前から歩いてきたおばさまがいきなり私の腕を叩き、大きな声で、
「ニイちゃん、頑張ってるか!」
 と声をかけてきた。もちろん、見知らぬ人だ。
 そのとき、ああ、やっぱり滋賀県も関西なんだと思う。

壬申の乱3-8

 唐橋前駅のすぐ西に御霊神社というのがあったので、ついでに寄っていくことにした。ここが大友皇子を祀る神社だと知ったのは、行ってからだった。偶然といえば偶然だし、こういうのも縁だ。ここまで来たんだから寄っていけと呼ばれたのかもしれない。
 大津市内には、大友皇子を祀る御霊神社が3つあるそうで、私が行ったのは鳥居川町にある神社だった。他に、瀬田6丁目と、北大路1丁目にあるようだ。
 ここ鳥居川町の御霊神社は、秋葉台の茶臼山古墳とともに、陵の候補地の一つだったらしい。昔から隠山と呼ばれていたそうだから、その可能性もなきにしもあらずか。ただ、行ったときの印象としてはやや荒れている感じもあって、そういう雰囲気ではなかった。

壬申の乱3-9

 説明書きが薄れていて読めなかったのはここだっただろうか。どの社殿がどういうものかの説明がなくて、よく分からなかった。
 壬申の乱の3年後、大友皇子の子供である与多王(與多王)たちが中心となって、大友皇子の霊を慰めるために御霊宮(もしくは大友宮)を建てたのが始まりだという。
 それは後付けのような気もするし、そこまでの歴史は感じなかったのだけど、もしその話が本当なら、ここが大友皇子最後の地になったというのは本当かもしれない。
 ただ、与多王は三井寺も創建していて、弘文天皇陵はあちらにあるから、やっぱりあちらで正解なのかなとも思う。
 木曾義仲と源範頼の戦いや、承久の乱、応仁の乱などでことごとく社殿は焼け落ちたというから、昔の面影が残っていないのも仕方がない。
 江戸時代にも何度か改築や再建などがあったようだ。
 歴代の有力者に保護されてきたという記録もあるから、重要な神社であったことは間違いなさそうだ。

壬申の乱3-10

 隣には、大友宮という額がかかった鳥居がある。どちらに大友皇子が祀られているんだろう。両方だろうか。

壬申の乱3-11

 大友宮鳥居の先に、唐突に門が建っている。急にここだけ寺になってしまったみたいだ。
 帰ってきてから知ったのだけど、膳所城(ぜぜじょう)の本丸黒門を移築したものだそうだ。どういう経緯でここに移築されることになったのかなどは調べがつかなかった。
 膳所城は江戸時代前に建てられた城だから、大友皇子とは関係がない。膳所城に関してはあらためて紹介する予定だ。

壬申の乱3-12

 境内社に奥宮社、八幡社、大土社、綿津見社があるというのだけど、どれがどれかは分からなかった。
 上の写真の社殿が拝殿と本殿だったかもしれない。

壬申の乱3-13

 稲荷社もあった。こちらは桜がよく咲いていて、華やいだ雰囲気になっていた。

 大友皇子関連としては、まだ三井寺が残っている。当たり前といえば当たり前なのだけど、大津宮というのは天智天皇が作った都で、天武天皇は奈良明日香の飛鳥浄御原宮に遷都してしまったから、天智天皇と大友皇子関係のものが多い。大津宮はわずか5年の短い夢物語だった。
 とはいえ、大津市は滋賀県の県庁所在地となっていることを思えば、天智天皇の功績は大きい。
 壬申の乱はようやく頭から離れた。いくつか疑問は残っているものの、それはそう簡単に解決するものでもない。
 滋賀大津編はまだ始まったばかりだ。今回のシリーズは何回になるのか、全然先が見えない。次回は三井寺を予定しているけど、それも2回で終わるかどうか。一つずつ、勉強しながら書いていくことにしよう。

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