弘文天皇陵へ行って壬申の乱にとりつかれる <大津巡り1回> - 現身日和 【うつせみびより】

弘文天皇陵へ行って壬申の乱にとりつかれる <大津巡り1回>

大友皇子-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 弘文天皇陵に立ったとき、懐かしいような、切ないような、悲しいような感情が襲ってきて、心がしんとなった。ああ、ここがそうなのか、と。
 大友皇子(おおとものみこ)と言った方が通りがいいだろう。天智天皇(てんじてんのう)の息子で、皇位継承を巡って大海人皇子(おおあまのみこ)と壬申の乱で争って敗れた皇子といえば、日本史の教科書を思い出す人も多いんじゃないだろうか。
 京阪線の「別所」を降りて、大津市役所をぐるりと回った裏手に、それはひっそりとある。不思議な静謐さに満ちていた。

 今回の滋賀巡りの旅は、わりと漠然としたものだった。石山坂本線沿いに有名な寺社がたくさんあるから、それらをできるだけ巡ってみるというのが目的だった。特にテーマを決めていたわけではない。
 それが期せずして大津宮の旅となったのはたまたまだったのか、何らかの力に導かれたものだったのか。
 帰ってきてから今日までの3日間、壬申の乱を中心として、天智天皇、大友皇子、大海人皇子たちが亡霊のように私の中に居座り、悩ませている。
 一般的には、天智天皇の息子・大友皇子と、天智天皇の弟である大海人皇子が争い、大海人が勝って天武天皇となったとされている壬申の乱だけど、調べるほどに話はそう単純なものではないことに気づかされる。けっこうな時間を費やして3日間勉強したけど、みんなそれぞれにいろんな自説を展開していて、どれを信じればいいのか分からなくなった。
 話は古代天皇の出自や東アジアを含めた日本の歴史、外交、渡来人、血脈、記紀の信憑性へと広がり、とりとめがない。
 中途半端な知識を振り回して分かったようなことを書くと怪我をしそうだから、知ったかぶりはしないようにしたい。不勉強を自ら晒せば恥になるだけだ。
 それにしても、どこからどう書けばいいのか迷う。調べたことを全部書けばものすごく長くなってしまうし、古代史に興味がない人にとっては退屈なだけだ。なるべく簡潔に分かりやすく書きたいと思っているのだけど、さて上手くいくかどうか。

 壬申の乱を語るとき、東アジアとの外交問題と、大海人皇子の血筋の問題を避けては通れない。教科書で習った歴史はいったん忘れることにする。
 時代は670年前後、区分でいうと飛鳥時代ということになる。聖徳太子が死んで50年ほどの月日が流れた頃だ。
 その前に645年の大化の改新をおさらいした方がいいだろう。
 蘇我稲目以来、馬子、蝦夷、入鹿の親子四代に渡って政権を握り続け、横暴の限りを尽くしていた蘇我氏を討つべく立ち上がったのが中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)だった。
 皇極天皇がいる集まりで、蘇我入鹿を惨殺して蘇我氏を実質的に滅ぼしたのが大化の改新の幕開けだった。中大兄皇子はのちに天智天皇となる。
 蘇我氏はもともと渡来系の氏族という説がある。推古天皇などもそれに近いところにいたというし、そうなると甥である聖徳太子も同じだ。蘇我氏との争いに敗れた物部氏は、この頃までにはすでに没落している。
 それでは、天智天皇の出自はどうなのかというと、私はよく分かっていない。父親は推古天皇の次の34代・舒明天皇(じょめいてんのう)、母親は35代・皇極天皇(こうぎょくてんのう)で、現在に続く天皇は天智天皇系だから、天皇家の本筋には違いない。ただし、どこかで渡来系の血が入っていることはほぼ確実で、そうなると日本人というのは何だろうとテーマが大きくなって収まりがつかなくなるから、ここではいったん置いておく。このあたりのことをきちんと理解するためには、オオクニヌシノミコトのアマテラスへの国譲りなどを読み解く必要があるのだけど、すべては神話の世界できちんとした資料がない以上、推測するより他にない。
 大化の改新以降、20年以上に渡って天智天皇は政権を握り、日本を中央集権国家へと作り上げていくことになる。長らく皇太子という地位にあって、天智天皇となったのは668年のことだ(38代)。ちなみに、この時代の皇太子は、天皇の実の息子というのではなく、次期天皇の地位を意味している。聖徳太子こと厩戸皇子も、次期天皇を約束された皇太子だった。天皇になれなかったのは、推古天皇よりも先に死んでしまったからだ。この時代は、生前の天皇譲渡はなくて、死後に継ぐのが決まりだった。
『日本書紀』によると、大海人皇子は天智天皇と同父同母の弟ということになっている。しかし、これは信じられない理由がいくつもある。そもそも『日本書紀』は、天武天皇が自分の子供の舎人親王(とねりしんのう)たちに命じて編さんさせたものだから、自分に都合の悪いことをそのまま記すはずもない。天武の出生年が書かれていないのも、そこに書けない何らかの事情があったに違いない。その他の資料を合わせ見ると、天智よりも天武の方が4つ年上だともいう。
 それに、天智は娘を4人、天武の妃にしている。古代においては同族結婚が当たり前とはいえ、同じ父母から生まれた兄弟で、兄の娘を4人も弟に嫁がせるというのはあまりにも不自然だ。
 実際のところ、大海人皇子はどういう血筋の何者なのか? 朝鮮半島の新羅との関係を指摘する説もある。新羅の王族だとか、母親の皇極天皇と新羅人との間にできた子供だという話もあり、個人的にはそのあたりかなと思ったりもする。はっきりしたことは分からない。どこかに決定的な証拠が残っているのかどうか。
 ただし注意が必要なのは、当時の朝鮮半島や大陸は、日本より進んだ国だったという点だ。現在の日本人から見た東アジアの人たちというのとはまったく違って、むしろ今でいう欧米人の方が近い。進んだ国から来た進んだ文化を持った人たちが渡来人だった。その中には王族関係の人間もいたし、逆に言えば、日本からもたくさん向こうに渡っていっている。
 とはいうものの、いくら進んだ国から来た人とはいえ、天皇の継承となるとまた話は別だ。そのあたりの理解が難しいところでもある。
 それからもう一つの問題は、天智天皇が671年に死んだあと、大友皇子が即位していたのかしてなかったのかということだ。
 天智天皇は大海人皇子に暗殺されたという説もあるけど、今回それは保留とする。いずれどこかで書く機会もあるかもしれない。
 壬申の乱が起きる672年までの約半年間、大友皇子が天皇として即位していたのかしていなかったのかによって、天武天皇は反逆者ともなり得る。当然、『日本書紀』にはしていたとは書かれていない。天武の側からすると、それは都合が悪すぎる。
 けど、現在はしていたということになっている。弘文天皇というのがその諡(おくり名)で、明治に入ってから認定された(とはいいつつ、やっぱり即位はなかったともされている)。それができたのは、天皇家の系統が天武から天智に戻ったからというのもあるかもしれない。
 天武の血筋に疑いの余地があるもう一つの要因として、天皇家の菩提寺である泉涌寺(せんにゅうじ)に、天武系9代の天皇だけが祀られていないという事実がある。南北朝の天皇も入っているにもかかわらずだ。
 では、大海人皇子こと天武天皇は怪しい出自で天智天皇と敵対していたのかといえば、そうではない。天智と天武が日本を律令国家に作り上げた実績は確かで、両者は血縁関係を見ても分かちがたく結びついている。
 大友皇子は、大海人皇子と額田王の娘・十市皇女(とおちのひめみこ)を正妃にしているし、娘たちはあっちにいったりこっちにいったり、複雑なことになっている。
 天智が存命中は右腕として大いに働いたようだし(もっぱら汚れ仕事をやらされていたという話もある)、壬申の乱ののちも、天智系や大友皇子の関係者を排除したりはしていない。
 それじゃあ、大友皇子と大海人皇子と、どちらに正当性があったのか、ということになるわけだけど、これも今となってはなんとも言えない。勝てば官軍の言葉通り、勝った方が正義となる。
 ここで壬申の乱が起きる前から合戦後に何があったのかを、順を追って振り返ってみよう。

 と、思ったのだけど、ちょっと息切れを起こした。このまま続けると長くなってしまうので、ここでいったん中断したい。続きはまた明日ということにしよう。
 それまでにもう少し私の頭の中も整理しておかないといけない。一度にいろんな話を読み過ぎてごちゃごちゃになっている。

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コメント
非公開コメント

>知ったかぶりはしないようにしたい

つい話ののりでしったかっちゃうことが多くてその後、へこんでますOTL

2009-04-14 18:16 | from ただとき | Edit

壬申の乱辺りは、色々な説、ドラマがあり面白いですよね。
オオタさんのいつも通りの分かりやすい解説期待しています。

2009-04-14 23:19 | from mouming

失言注意

★ただときさん

 こんにちは。
 雑学とかうんちくとかも、ひけらかすと危険なんですよね。(^^;
 私も教えたがり屋なので、訊かれてもいないことを教えてしまうから、気をつけなくちゃと思ってます。
 北野誠は何を言ったんだろう。(^^;

2009-04-15 01:25 | from オオタ | Edit

もう少し勉強が必要

★moumingさん

 こんにちは。
 壬申の乱がこんなにも込み入った話だというのはまったく知りませんでした。
 もっと単純に、息子と弟の相続争いだと思ってた。
 調べるほどにいろんな説があって、結局、最後までよく分からずじまいでした。(^^;

2009-04-15 01:28 | from オオタ | Edit

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