念願叶って松本城の天守閣に登る ---前編 - 現身日和 【うつせみびより】

念願叶って松本城の天守閣に登る ---前編

松本城1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 松本城を訪れるのも、ほぼ一年ぶりとなった。あれからもう一年かとも思うし、まだ一年かという感じもする。松本城に特に変わった様子はなかった。まあ、そりゃそうだ。
 前回は開智学校へ行ってからだったから、北の方から入った。今回は正面から入ることにした。やはりこちから入る方が気分が出る。
 一年前との違いは、時間帯と光の具合だ。去年は夕方の西日だった。今回は、よく晴れた午後の日差しだった。

松本城1-2

 松本城公園自体は、一日中開放されていていつでも入ることができるのだけど、天守閣がある本丸部分は午後4時半までしか入ることができない。去年はここに到着したときにはすでに門が閉まっていた。今回は時間に余裕があったから大丈夫。ようやく念願叶って松本城に登ることができた。

松本城1-3

 写真ではどこか山上の湖のような写りになってしまったけど、実際の堀はもっと汚れていた。この写真は嘘つきだ。
 渡りのカモたちは飛来しないのかどうか。いたのは放し飼いされているコブハクチョウと、留鳥のカルガモだけだった。
 やつらは人を見ると近づいてくる。エサを与えないでくださいという注意書きなど何のその、エサをあげる人たちは多い。鳩とコイが加わって三つどもえの争いになる。その間を塗ってヒヨドリがエサを横取りしていったりもする。
 堀は、内堀と外堀の半分ほどが残っている。まずまず残されている方だ。

松本城1-4

 市立博物館との抱き合わせ入場券は600円と、やや高め。国宝様だぞと言われれば文句は言えない。寺の拝観料を考えると割安とも言えるか。
 黒門が正門で、名前の由来は本丸御殿が黒書院だったところから来ている。
 東にある太鼓門は前回見たので今回はそちらまで行かなかった。どちらも平成に入ってから再建されたものだ。
 黒門を入った先がチケット売り場になっている。

松本城1-5

 一の門。なかなかいいじゃないか。
 石垣なども全部復元なのだろうか。戦国時代と江戸時代との中間的な感じだ。名古屋城や江戸城などのように大きな石がピシッと合わさっているのではなく、大雑把に組んで隙間に小さな石を入れて補強している。戦国時代の初期は、もっと丸みのある石を積み上げている。

松本城1-6

 手前の線で囲っているところが本丸御殿があった場所だ。
 江戸時代の1727年に焼けてしまい、それ以来再建されることはなかった。
 その後は二の丸御殿で政治が執り行われるようになり、明治になってもそれは続いたものの、明治9年に消失してしまった。
 ということで、現在は本丸御殿も二の丸御殿も残っていない。

松本城1-7

 こちらは前回入れなかった場所なので、どこから見ても新鮮に映る。
 離れたところから見る松本城は真っ黒という印象が強いけど、近くから見上げると、白漆喰と黒塗りとのツートンカラーの城だということが分かる。
 手前が小天守で、奥が天守閣だ。
 松本城の歴史については、去年しっかり書いたので、あれ以上書き加えることはない。今回は天守閣の中の写真を紹介するにとどまる。

松本城1-8

 床板はずいぶん年季が入っている。大勢の観光客が歩くところだから、昔のものということはないのだろう。
 明治の大修理と昭和の解体修理が行われているから、そのどちらかのときに張り替えたものなんじゃないだろうか。それとも、戦国時代そのままのものなんだろうか。

松本城1-9

 二階からの眺め。城は六階建てになっている。
 天守から下界を見下ろしていれば、殿様気分になったとしても仕方がない。
 昔は城だけがずば抜けて高い建物で、あとはすべて地面に近い視点しかない。城は権力の絶対的な象徴だった。
 支配者にはこういう舞台装置が必要だったに違いない。城の役割は単に戦のための軍事拠点というだけではない。

松本城1-10

 この黒光りの感じが素晴らしい。古い天守閣の一番いいのはここだ。気持ちは戦国時代に飛ぶ。
 それにしても柱の数がすごいことになっている。天守閣は生活空間としては適さない場所だ。有事のときに使うものだから、普段の暮らしに便利なようには作られていない。
 そもそも穴や隙間だらけだから、冬場は寒くてそんなところで寝泊まりしてられない。天守閣というのは、基本的に戦になったとき籠城戦をするために作られたもので、殿様の家というわけではない。いちいちこんなところを上り下りするのも大変だ。たいていは、本丸御殿などで生活していた。それがない小さな城では、二の丸や三の丸に生活するための屋敷があった。
 城というとどうしても天守閣ばかりがクローズアップされがちだけど、実は本丸御殿というのはとても重要な存在で、だから名古屋城が今やっているように本丸御殿を再建するのは意味があることなのだ。殿様がどんな暮らしをしていたかを知る手がかりとなるし、豪華絢爛さでは天守閣の比ではない。
 現存する本丸御殿は非常に少ない。完全な形で残っているのは高知城くらいだ。

松本城1-11

 以前屋根に乗っていた鯱。対になって飾られている。さほど大きなものではない。2メートルくらいだったか。
 少し金色が残っているところを見ると、もともとは金箔が貼られていたのだろう。名古屋城のように金製ではない。

松本城1-12

 戦国時代の城らしく、戦時に備えてたくさんの矢狭間などが開けられている。
 堀を渡ってきた敵や、石垣をよじのぼる兵士に向かって、ここから弓矢や鉄砲でねらい撃ちをする。ちょっと冗談っぽい気もするけど、実はかなり効果的だ。上から熱湯を浴びせたりもする。
 自分が城に攻め込む兵士の気持ちになってみれば、それがいかに危険なことか想像がつく。籠城戦に勝つためには、守る側より何倍も多い兵が必要というのは当然のことだ。
 ただ、松本城が実際に戦に使われることはなかった。
 石川数正親子が本格的な天守閣を建てたりして現在の姿にしたのは1590年代のことで、あと数年で江戸時代になろうとしていたときだ。関ヶ原の戦いに巻き込まれなければ、ここらあたりで戦が起こることはなくなっていた。松本は、なんといっても、都からも関東からも遠く離れた地だ。

松本城1-13

 これはなんという名前のものだろう。神社の屋根で似たようなのを見かける。
 こんなところに展示してあるくらいだから、昔の松本城に使われていたものなのだろう。
 他には鉄砲などの展示がなかなか充実している。けど、鉄砲や刀関係は怖いので撮らない。甲冑も怖い。

 ちょっと唐突だけど、今日はここまでとする。写真の枚数が多くなってしまったので、前後編に分けることにした。
 明日につづく。

スポンサーリンク

関連記事ページ
コメント
非公開コメント

トラックバック

http://utusemibiyori.com/tb.php/1378-96a7680a