連続する選択を自分の意志で選択しながら進みたい - 現身日和 【うつせみびより】

連続する選択を自分の意志で選択しながら進みたい

分岐点

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 人生には大きな分岐点や小さな分かれ道がたくさんあって、私たちは意識的に、あるいは感覚的に道を選んでいる。生きることは選択の連続だ。
 迷えば曲がるべきタイミングを逸し、選択を放棄すれば道なりに進んでしまう。
 常に目の前に道がある。真っ直ぐ行くか、右へ行くか、左へ行くか。もしかしたら次の選択は、人生を左右する重大なものとなるかもしれない。何気なく選んだ道が大きな不幸につながるかもしれないし、その逆もあり得る。
 運命、宿命、偶然、必然。人の一生にはそれらの要素が複雑に絡み合って一つの結果として表れる。他人と関わることで、複雑さは更に増す。国に支配され、時代に翻弄されることもある。運命がすべてじゃないだろうけど、全部が偶然とも思えない。
 大いなる意志のようなものが見え隠れして、ときどき自分の思惑とは別の方向に導かれていると感じることもある。
 選択は、慎重に、そして、大胆に、確固たる意志を持ってすることが大切だ。
 流されれば悪い結果になったとき人のせいにしたくなる。自分で選択した上での不幸なら誰のせいにもできない。
 人生に正解の道はないのかもしれないけど、行き止まりはある。それは不運ということで片付けていいものではない。道を間違えるにはそれなりの必然がある。
 間違った道を進むことは立ち止まるよりも悪い。当てもなく闇雲にただ進めばいいというわけではない。ときには道を選ばないという選択もある。
 とりたてて選択をしなくても時間が運んでいってくれる人生もある。ただ、それが好結果につながったとしても、あまり価値はない。人生は自分で選択してこそ面白くなるものだから。逆に言えば、選択ということをないがしろにするから楽しめないとも言える。待っているだけでは誰も面白いことなど運んできてはくれない。
 自分で考えて、自分で決めて、自分から出向いていって、自分で経験する。そこに学びがあり、成長がある。習慣に身を委ねてはいけない。いつもの道を意識的に外れてみるところに刺激がある。
 人の可能性は無限でも何でもないけど、選択肢は常にあるものだ。完全な自由はなくても自由度はある。選択の自由は権利だから使わないのはもったいない。
 道は作り出すものでもある。大通りや裏道など、今ある道が道のすべてではない。道なき道を行けば、そこが道になる。
 自分の死後、自分の名前がついた道ができるというのも一つの可能性としてある。
 あの世で神様が問うかもしれない。おまえの選んだ道は正しかったと思うか、と。
 そのときはこう答えたい。正しかったか間違っていたかは分からないけど、自分が選んだ道に後悔はない、と。
 自分で選ばない人生だけは送りたくないとずっと思ってきた。それはこれからも変わらない。

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コメント
非公開コメント

>選択ということをないがしろにするから楽しめないとも言える

オオタさんがいうと、本当に説得力があります

2009-01-21 18:20 | from ただとき | Edit

選ぶ幸せ

★ただときさん

 こんにちは。
 私に説得されているのは、ただときさんと他数名くらいかもしれない(笑)。
 でも、自分で選んでも選ばなくてもいいことを、自分で選んだ方が喜びがあるとは思います。
 出される食事をそのまま食べるより、自分の食べたいものを食べる方が幸せみたいなことでも。

2009-01-22 03:15 | from オオタ | Edit

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